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高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

前回は小説の題名がなかなか決まらない、昔の東映の任侠映画を憑かれたように観ていたこと、まぁ煎じ詰めると愚痴でしたが。
少し時間が掛かるかとは思いますが、私は祖父のことを小説にしようと思っています。
私が、叔父や父から聞いた祖父のエピソードは映画や小説にでも出来るような面白い話がいくつも有ります
今、それをどう繋ぎ合わせるか、それをいろいろ検討しているところです。
祖父の武勇伝だけでなく、
例えば、三浦三崎からの連絡で鯨を引き取って横浜へ持って来て市内の子供達に
見せたこと、ところが鯨が腐ってしまい苦労する子分達のユーモラスな話。
簡単に言うとこうなりますが、小説ではもっと面白い話を書きたいと思ってます
私の父や叔父がまだ子供の頃、髙田の家では双六【すごろく】をやってはいけないという決まりがあったそうです。
双六だけではなくサイコロを振る遊び全般、それに歌留多もだめだったそうです。
その理由は、髙田の家の子がサイコロを振れば、世間の人は『やっぱり蛙の子は蛙だ』と言うだろう、が理由でした。
これだけなら、そういう考えも判るなぁとなりますが
サイコロはダメでも、父達は激鉄の外れた本物の拳銃を玩具のひとつとして持っていました。
こっちの方がよっぽど蛙の子は、となると思いますが
祖父母はそう思わなかったんでしょうか。
祖母は小田原小町と言われた美人でした。
私は幼少期に祖母と暮らしたことがあったが、祖母は既におばあちゃんだった。
だから美人とは思わなかった。
その祖母は、鼈甲屋の人妻だった。
祖父は人妻に恋をして、なんと掠奪したのです。
やっぱり、普通じゃないです。
関東大震災の時、横浜は東京よりも速く瓦礫が片付いたそうです。
これも祖父の頑張りのおかげだったようです。
まだまだ沢山のエピソードがあるんです。
小説が完成するのをお楽しみに。