高田龍の《夢の途中》 -67ページ目

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。




             弍〜❸

  人生のわかれ道

 祖父が自ら眼球をえぐり出したことを初めて知ったのは、横浜の叔父の不動産会社に見習いで働いていた時だった。
その頃は一日中、叔父から在りし日の髙田福松の思い出話を聞かされる事が日課のひとつだった。

叔父には二人の息子と二人の娘がいたが、叔父との血の繋がりは無かった。
四人の子がいる女性と叔父が結婚した為に、叔父も四人の父親になったのだ。
『おまえは、直系の長男だからな』
叔父はよくそんなことを私に言った。

叔父にしてみれば、ただ一人の血縁の私に髙田福松の事を、しっかりと伝えておきたかったのだろう。
中学生の頃には解らなかったことも、二十歳を超えた頃には、いろいろと捉え方も変わってくる。
その、変わった自分が見る
髙田福松という人間は、一言で言えば、時に狂気の凄みを見せ、生命を賭けて人生を生き抜いた人、とでも言おうか。
その髙田福松のたった一人の血縁者が私だ。
私には幸いにも跡取り息子がいる、しかも警視庁にいるのだ。

少し穿った言い方をすれば
その家々に代々備わっている業というか宿命というようなものがあって、その上で言えば永いこと髙田の家はその業というものに絡め取られていたのかも知れない。
私の息子が警察官になった時に、私の一族はその永い呪縛から解放されたのだろう。

屋根屋の道を諦めた福吉に親方から、新しい仕事の話しが来た。

親方が言うには、横浜港の中で、手広く魚の卸業を
やっている会社だという事で魚の運搬も重要な仕事としているとの話だった。
自分が目指していた屋根屋への道が閉ざされてしまった福吉は若干、無気力になってはいたが、せっかく親方が見つけてくれた仕事を断るわけにもいかず、それを受け入れた。
こうして福吉の新しい道が決まった。
これが彼の人生にとって、大きな意味を持つことだと言うことを福吉はまだ知らなかった。

時代は明治末期、世の中は大きく変わろうとしていた。

         了。