偽善とはなんだろうか


善であると偽ること


では何が善なのだろうか


一般的な考えで言えば、利己心なく相手を思いやる心・行為だろう


はたしてそんなものがあるだろうか


利己心のない行動なんてないのではないか


友達が泣いているときなぐさめた

それは、相手によく思われたいからだろう


本当に心配にだってからであろうと、

それは自分が満足したいからという利己心である


地震のためにを名前も明かさず高額を募金した

それは世間では善というだろう

そこに感謝されたい、有名になりたいという思いがないからだ

しかし、その人は自分が満足するためにやった、

つまり満足という自分の利益のためにしたことだから

これも利己心だろう


そう、つまり目的もって行った行動はすべて利己的なものとなるのだ


たとえ自分が損するような行動だとしても、それを望んでしたのだから

それは自己利益、利己心だろう


つまり行動に善も偽善もないのだ

動機ではない、結果なのだ



ちなみに善を道徳的なことという人がいるかもしれないが


道徳の矛盾、怖さについてはまた書きます

人の良い面は

よっぽどその人に対して

好感をもっていないと

第三者に対して明かしたくないものである


それによって自分より

相手が注目されることを恐れるからだ


しかし

自分の言ってほしいところを

行ってくれる相手ほど

その人にとって素晴らしいパートナーはいない


それは確実に

そこで失う以上のものが

得られるはずだ


留まっていることは簡単だ


ただ死ぬ前に思うだろう


思うままに行動すればよかったと