はろはろーん
たつとらです
気を抜くとすぐ更新の間が空いてしまいますな…げそ
しかし、長かった京大への道シリーズも
今回で一応一区切りです!(デジャブ)
前回までのあらすじ
↓↓↓
京都大学文学部を志望する高校3年生たつとら。センター試験の奇跡に加え、京大前期試験でも天上界にジャンピング土下座で感謝したいほど奇跡続発で、上々の出来!そしていよいよ合格発表の日が近づいてきて…!?
前期試験が終わり、一応試験の出来を担任に報告しに行きました。
私「ボチボチです」
担任「そうか」
なんてざっくりした報告
担任「前期が終わった後、ちゃんと後期に向けて勉強する奴は前期で合格するんや。後期の対策やるぞ」
そんな感じで、
前期が終わってひと段落、てなわけではなく、
すぐに後期の小論文対策…。
といっても、前期の合否が気になりすぎて、
あんまり集中はできなかったですけど、
とりあえず後期に向けて、
小論文書いては添削、書いては添削の日々でした
心は
「合格してるかな…。いけたとは思うけど、万が一落ちてたら…あぅ…」(心臓痛い)
という感じで、
合格80%、不合格20%くらいに思っていて、
時々不安が襲ってくる状態でした。
そして、
卒業式が終わり、
いよいよ合格発表…
その前日。(デジャブ)
担任「合格してたら、私服のまま学校に来い。もし落ちてたら、制服に着替えて来い。そのまま学校で勉強しろ。そうしたら、服見ただけで結果が分かるやろ」
私「なるほど、分かりました!(よし、どっちにしろ制服で来よう)」
こんなやりとりがありつつ…。
発表当日…
私服で家を出て、自転車に乗って京大へ。
ちなみに一人で行きました。
受験期間、親はあんまり私に干渉せず、特にプレッシャーもかけずでしたね。
巷でいう「教育ママ」的なことは一切なく。
だから合格発表も親が一緒についてくるというようなこともなく、一人で解き放たれました…。
京大に到着。
文学部の校舎へ…。
人だかり。
数字の並んだ貼り出しの紙。
合格者を胴上げしてる京大生と、胴上げされてる合格者。(こわ…絶対からまれないようにしよ)
遠くからは数字が見えず、近寄って、自分の番号を探す。
あ。
あった。
あった~
その時の感想としては、
「やった――――!!!」みたいな喜びというよりは、
「あった…(ホッ)」という安心が大きかった。
とにかく、安心した。
ああ、良かった、あった…。という感じ。
というわけで、
至極静かに合格の事実を受け止め、
一人静かに安心し、
胴上げされないように気配を消して、
事務室に行って入学書類をもらう。
さて、これから学校へ行って、
先生方に合格の報告である。
良い結果が報告できるので、
私は少し興奮していた。
ドキドキしていた。
先生方のリアクションを想像し、嬉しい気持ちだった。
…で、服どうする???
たつとらは思った。
着替えるの面倒くせぇ
ということで、私服のまま学校へ行った。
(制服で行って、担任にドッキリぶちかますのも面白かったが、なんせ私は面倒くさがり屋で、面倒くさかった)
(あと、担任もうっすらドッキリを察してるだろうから、制服を見ても特に良いリアクションが期待できそうになかったこともある)
一旦家に寄って、両親に合格を報告。
母「あっそう、受かったん」
父「良かったな。お前全然勉強してなかったのにな。とりあえずおめでとう」
ひどくね???
さて、学校へ。
職員室に入ると、
真っ先に担任が
私が私服なのを見て、
「おぉ―――!やったか!よっしゃ!!よくやった!!!おめでとう!!!」
と褒めたたえてくれて親より良いリアクションなのが嬉しかった。
近くにいた数学のM先生が、
私服は合格、制服は不合格の印だったことを聞き、
「たつとら、そういうときはな、制服で来るんや」と言ってきた。
おう、同志よ。面倒くさがってすまない。
私「私もそう思ったんですけど、着替えるの面倒くさかったんです」
M先生「なんやそれ」
一つの笑いを逃してしまってすまない。
(全員お笑い脳)
そんな感じで、職員室にいるお世話になった他の先生にも報告、お礼をし、
同じく「おめでとう」と讃えられ、
ウハウハ気分。
教室に行くと、何人かクラスメイトが登校しており、
何も考えず「受かった~」と言って、祝ってもらた
ただ、落ちた人もいたようで、
あとから考えて、ちょっと浮かれすぎたかなと反省。。。
そして、
廊下を歩いていたら、
小学校から学校が一緒だった男子(普通科)にばったり会い、
「京大受かったん!?おめでとう!!すごいな!」
とめちゃめちゃ祝ってくれた。
実は、彼は、小学生時代、私をいじめていた男子であった。
さらに言うと、私をいじめていた男子たち(クラスの男子ほぼ全員)と、一部女子の中でも、
特にしつこくいじめてきた首謀格の一人であった。
そやつと小中高と学校が一緒で、
最終的には大学合格を祝われるなんて、
誰が想像しただろうか。
人間の関係性は変えられるのだと思った瞬間だった。
ちなみに、そのときのいじめは
うちの母親の告発をきっかけにようやく収まって、
そのあと私は「もういじめられないようにしよう」と自分の性格改善に取り組んで、
「いじめられっ子オーラ」を断った。
いじめた子たちに対しては、
「人間は変わると信じよう」という幸福の科学の教えに従い、
深く恨み心を抱かないようにしていた。
そのおかげか、中学校以降はいじめられることはなく、
かつて自分をいじめていた人たちに対してもフラットに接しており、
人間関係を変えるに至る努力はしていたという経緯がある。
にしても、まさか君からお祝いされる機会に巡り合うとは…
(そもそも科が違うので廊下でばったりその人と会うこともめったにない)
人って、不思議なものですね。。。
ちょっと脱線するけど、
全国のいじめ事件やいじめによる自殺を見ていると、
「いじめられたこと」も、もちろんとてもしんどいし苦しいし憎らしいけど、
それ以上に、
「周りの大人が助けてくれない」「何もしてくれない」ということの方が
結構傷が大きい気がするのです。
例えば旭川の女子高生凍死事件などは、
学校側が責任逃ればかりで誠意ある対応をしなかったことが
被害者を絶望させたのではないかと感じます。
「本来助けてくれるはずの大人が助けてくれない」「正義がまかり通らない」というのは、
子供の心に大きな傷を残します。
いじめは絶対に許されないし、かばう気もないですが、
子供が道を間違えたり、感情を抑制できなかったり、悪いことを平気でやって謝らなかったりは、
「ああ、子供ちゃんなのね、バブバブ」と言って大いに見下すこともできますが、
大人が善悪の判断をせず、悪いことを見て見ぬふりするのは
それはもう悲しいし、失望だし、絶望だし、「こんな世界もう嫌じゃボケ」ってなるなぁと思います。
私も、
同級生にいじめられたことより、
担任がいじめをなかなか止めてくれなかったことの方が
「なんで???」って思ってました。
いじめていた子たちに対しては、「こいつら道徳の授業で習ったことなんも分かってねーんだな」って思ってました。(めっちゃ上から目線)
はい。
すみません、思わず脱線。。。
いじめについてはまた記事を改めて書きたいと思います。
とりあえず、いじめられてようと、その後自分が何を選ぶかで人生変わるんだってことと、
いじめていた側も成長して人のこと祝えるようになるんだってことと、
どうしてもいじめたやつを許せないなら努力して成功して有名大学の卒業証書や札束でそいつの顔しばいたれってことです。
(※今現在いじめを受けているという方は「いじめから子供を守ろう!ネットワーク」にご相談ください。絶対に助けてくれます)
まぁそんな感じで、
みんなに祝ってもらってワッショイワッショイでした。
なんかその勢いで、
中学校にも突撃して、当時の先生に報告したりして。。。
調子乗ってましたテヘ
後日のことですが、
再度高校に呼び出され、
理事長やら校長やらに手を握られ、「ありがとう」と直々にお礼を言われました。。。
「おめでとう」じゃなくて「ありがとう」なんだ。。。と混乱
聞くところによると、その年にうちの高校から京大に合格した人は私だけだったらしい。
(他にも2~3人受けたらしいが落ちた模様)
なるほど
私立だから、京大合格者がその高校のステータスに直結するのよね。。。
経営者からしたら、そりゃ「ありがとう、首の皮一枚繋がりました」よね。。。
大人の世界を垣間見たたつとら。
大人にガチでお礼を言われるのは初めての経験ですた
ということで、
京大シリーズ①~⑫まで長らく読んでいただきありがとうございました!
たつとらさんは、
小さいころから幸福の科学の教えを学び、
大川隆法総裁の教えに基づき精神鍛錬し、
大川隆法総裁の教養溢れる本を読んで脳ミソを鍛え、
幸福の科学の祈願によって支援と奇跡をいただき、
無事、受験を乗り切って京都大学文学部に現役合格することができたのでした。
確実に言えるのは、
幸福の科学が無かったら、
私は絶対落ちてたし、
もっとバカだったし、
なにより暗くて意地悪な娘になってただろうなってことです
本当に、
ありがたいです
総裁先生ありがとうございます
総裁先生は一浪されていて、いろんな苦労をされていますが、
その経験や智慧があったからこそ、
その教えを学んだ弟子が
こんなに自分の実力を押し上げられて、
思考回路ふざけたアンポンタンでも京大に現役合格できたのです。
上手くお伝えできてるか分かりませんけれども、
そして書き方が悪くておぼろげになっているかもしれませんけれども、
「合格」とか「成績良い」とかは表面的な結果です。
それよりも、精神的支柱として、そして勉強の基盤として幸福の科学があり、
そのことが結果につながったのです。
そして、その支柱や基盤は、30代になった今も人生を支えてくれているのです。
それが伝わっていれば嬉しいです。
京大に入ったら周り全員京大生で、コンプレックスの塊になったし、
就職後は「京大卒」ということで過度な期待をされ、
相手の学歴コンプレックスを押し付けられ、
「京大合格」ということで人生ウハウハかと言うと全然そうではない。
結局、テストの結果や学歴などは泡沫で、
人生を本当に支えるのは思想であり、精神です。
もっと言えば、神の御心に通じた真理です。
それさえあれば、何が起ころうともきっと、乗り越えられるのです。
そんなことを思って、
このシリーズをいったん終わりたいと思います。
ありがとうございました
\(^o^)/オワタ――――――――――――――――――――――
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