質疑応答について | 威風堂々

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幸福の科学の信者たつとらのお笑い脳が抑えきれないブログ。

前記事でも書いた通り

3日のご法話のとき

友達との待ち合わせがあって

御法話本編が終わるとすぐに支部を出なければならなかったので

質疑応答はその場では聞けませんでした。



大阪での他宗のセミナーを終えて京都に帰ってきて

その足で支部に向かい

御法話の続き(つまり質疑応答部分)を拝聴しました。



何が良い質問で何が悪い質問かというのは

私が決めることじゃないんで

その点については言及しませんが

最近この質疑応答というものが

ちょいちょい問題視されてきているので

私も少し

意見を述べてみたいと思います。













ご存知ない方に配慮して

まず少し説明しておきます。



「質疑応答」とは

大川隆法総裁先生のご法話のあと

信者の質問に対し

先生が質問者を直接当て

直々にその質問に答えるというものです。



その質問は言ってみれば

「縦横無尽」



どんな質問が飛んでくるか未知数。



「なるべく御法話に関係ある質問をしてください」と司会の方はおっしゃいますが

信者はそんなこと聞きやしねぇ←お前だけだの件



本当に、どんな質問が飛んでくるか分からないのです。



でも総裁先生は

どんな質問に対しても

即座に答えてくれるのです。



だいたい1御法話につき3問くらい当てていただけます。

















さてさて

そんな質疑応答ですが

さきほど

「問題視されてきている」と申しました。



何が問題なのかというと

その質疑応答における信者の態度です。



実は

たびたび以下のようなケースが散見するようになってきたのです。



・原則一人一問であるのに、ひとりで2問以上質問する。

・先生に当てられた人だけが質問できることになっているが、当てられた人が自分の連れにもマイクを回し、連れの人も質問する。

・質問とは直接関係のないこと、もしくは自分のことを延々しゃべる。









質疑応答の時間は限られているし、

多くの方が同席している公の場です。



なるべく多くの方に質問の機会が与えられるよう配慮すべきであるし

当てられたのは自分だからといって個人的な思いを朗々と語る場ではありません。



あくまでも総裁先生は

「一人でも多くの方の悩みに答えたい」と思って

質疑応答の機会を設けてくださっているわけですし

信者としてもなるべく「多くの人の参考になるような質問をしよう」と心がけるべきです。


















というのがまぁだいたいの信者が共通して思っていることです。



「もっと質疑応答に際して総裁先生への礼儀を尽くすべきだし、

他の信者に配慮すべきなんじゃないか」

と。





私も同じ意見です。





言い出したらキリが無いくらい、

「なんじゃそりゃ」な質問、

「おいおいおい」な態度、

「ちょ…まじか?」な行動

たくさん見られるようになってきました。





ある学生さんは

上に書いたように

友達にマイク回しをされたのですが

私はそれ以前にその言葉遣いにびっくりしました。


「それが総裁先生に対する言葉か(°д°;)」と。




礼儀って大事です。


「伝道が上手くいかない」って、それ以前の問題じゃないかと。





幕末に活躍した吉田松陰という方がいます。

彼はあるとき九州に偉い先生がいるというので会いに行ったそうです。

しかし、当時の松陰はただの一藩士で

その先生にとってみれば

「あなたと交流して何のメリットがあるのか」という感じでした。

でも、その先生は松陰のあまりの礼儀正しさに心打たれて

大事な蔵書を松陰に与えたそうです。





「先生」から何か有益な教えを引き出すのって

最も大事なのは「礼儀」だと思うんですよ。



いくら勉強熱心で将来有望な若者でも

礼儀がなってなかったら

「教えよう」とか「育てよう」という気にはならないですよね。



総裁先生はお優しいので

あんまりはっきりとはおっしゃらないけれども

先生と接するときにおいて

「果たして自分は礼儀を尽くせているだろうか、快く質問に応じられる言葉遣いや態度をしているだろうか」

ということを考えるべきじゃないかと思います。



特に学生。。。












あと、よく聞くのが「前置き長いよね」ということ。



以前

「あと1分残ってるから誰か当てます。1分で答えます」

と先生がおっしゃってから当たった方は

質問とは関係のない話を1分以上されたのち

その日の2日後に行われるご法話のタイトルまんまな質問をされました。



私は質問を聞いた途端

新喜劇のごとく椅子から転げ落ちそうになりました。



でもまぁ質問の内容自体はいいとして

「1分で」と言われているのに前置きの長いこと…。

















まぁ特定の方だけでなく

だいたいの方が前置き長いです。



質問に関係のない話や、

関係があっても「それ言う必要あるん?」という話をよくされます。



それを見るにつけ私は

「質問へただなぁ(´・ω・`)」と感じます。














確か総裁先生が英語や英語圏の国のことを話されているときに

「結論を先に持ってくる」というアドバイスをされたと思うんですが

果たしてそれを生かせている人はどれくらいいるんでしょうか。



日本人の結論を後に持ってくるやり方を指摘され
(日本語自体がそうゆう構造なんでしょうが)

「それだとディベートできませんよ」って

総裁先生はおっしゃっていた気がするんですが。













たいがい質問者はこんな感じで言います。




「昨今〇〇という状況があります。
私たちは〇〇していかなければならないと思います。
そこで総裁先生にお聞きしたいのは…」






はい、ぶ――――――――

ぶ――――ですよコレ。

礼儀は良くてもこれぶ――――です。








良い質問の仕方はこうです。



「お聞きしたいのは〇〇についてです。
というのは、昨今〇〇という状況にあり、~云々。
ですから、〇〇ということについて先生のご意見を賜りたいと思います」




まぁ細かい言い方はどうでもいいんですが。



重要なのは、

「先に、『結局何が聞きたいのか』を簡潔に述べること」

です。







これが出来ない人が

まぁ―――――非常に多い!



なんでできへんの?ってくらい多いです。







最初に「何が聞きたいのか」という結論を言っておくと

質問を聞いている人は

「この人は〇〇について聞きたいのだな」ということが分かります。



ですから、そのあとに続く言葉にも集中して耳を傾けられるわけです。

その「聞きたいこと」に関係する話をすると分かっているし、

一緒に質問内容を考える材料になるからです。



でも、最後に結論を持ってくると、

それより前に言った言葉が

その結論とどう結びつくのかが

分かりづらいのです。



帰結先が分からない言葉は、宙に浮いたまま、

「それ言う必要あった?」という言葉に変わります。





多くの方が最近の質疑応答において

「前置きが長い」「自分の話ばかりする」と感じるのは

おそらく、この「結論を最後に言う」という点にひとつ原因があると思います。



結論を先に言えば、

その後の話が多少長くても

その質問に関する内容であるなら

許容されると思います。












そして、

確実にその方が総裁先生も答えやすいです、間違いなく。



「配慮」というならここまでするべきでしょう。












そして、さらにぶっちゃけるなら

信者がそういう質問の仕方をしてしまうのは

きっと「霊言収録などにおいて職員がそういう質問の仕方をしているから」ではなかろうかと

ちょっと思います。



特に政党関連の霊言に多いです。

前置きが長い質問。



機会がある方は見てみてください。

最近(だけでもないか?)の信者の質問の仕方と

政党関連の職員の質問の仕方、

そっくりです。



女性の方は結構バシッと結論をおっしゃるのですが

男性の方は

最近の情勢がどうだの、自分はこうしなければならないと思うだの、散々語った後に

「で、お聞きしたいのは…」と言いますよ。


まぁその語り自体は短いかもしれませんが

質問の構成はうまくないです、はっきり言って。






それが信者にうつっているのではないかと思います。

政党関連の人は頭がよさそうに見えるから、

その人たちを真似すれば間違いはないだろう的なことで。







でも、その構成力で街頭演説がうまくできるのかは疑問です。

じゃあお前やれって言われたら逃亡しますけどね←

















最後、言っておきたいのは
(長くてすんません)

「やっぱり質問自体もレベル下がってきているんじゃないか」ということです。



もちろん悩んでおられるのは分かります。



だけど、

聞いていると

「それ、つい最近先生おっしゃったよ」

「それ、〇〇(本)に書いてあるよ」


というのがほんと多くて。



質問する前に教学しているのでしょうか?



私なら、悩み事があったら

まずそれについて答えている本や御法話がないか調べます。



分からなかったら先輩信者や支部長に聞きます。



それでも答えが出なければ先生に聞きます。



先生に聞くに際しても、

その悩みは自分で解決できないか徹底的に考えます。

自分の中でもう答えが出ているなら聞きません。

答えが分かっているのに聞くのは、相手の時間を奪うことになると思うからです。








質問するときに、

しどろもどろになったり、

何が聞きたいのか分からない言い方をする人は

きっと「徹底的に考えていない」んじゃないかと思います。



「自分で解決しよう」と思って徹底的に考えた人は

「どこが分からないのか」「何がネックなのか」って

はっきりしてるはずなんですよ。



「悩みが言葉で簡潔に言えない」というのは、

それ自体「考え抜いていない」ということ
だと私は思います。












先生がどうしてあれだけ法を説き、

本を出版しているかと言えば



そりゃもう

「自分で自分の悩みを解決する力を身に付けてほしいから」でしょう。



そうでなきゃ、人は救えないですもん。



もう「人間の悩み」に対する解答はすべて出ていると思います。

全部、本になっています。



先生に直接聞く前に、

先生がこれまでに説いてくださった法を通して

「自分で解決しよう」と思っていただきたいと思います。















信者がレベルアップしなきゃ、

どんなに先生に「新しい法を説いてください」と言ったところで

先生は説いてくださらないでしょう。



私も、質問の機会を与えていただいたことがありますが

自分の勉強不足や視野の狭さを痛感しました。



とにかく、先生に聞く前にとことん勉強することが大事なのだと。
















生意気にも語ってしまいましたが

「お前にそれを言う資格があるのか」と言われると

「や、知らん」としか言えません←



私も成長途中ですし

みなさんそうですし。



でも、できるだけ先生の時間や労力を奪わないように

信者で解決できることは信者で解決していけるよう

声の掛け合いって必要だと思ったので書きました。












不快な思いをされた方がいらっしゃいましたら

深くお詫び申し上げますm(_ _)m




これでもかなり抑えておりますヽ(゜▽、゜)ノ

ご了承ください(σ・∀・)σ


礼儀w