月誕生日は、生きていたらあんな事こんな事できてママに着いて歩いたり、つかまり立ちしながら寄ってきたり、上手く歩けなくてよろけて泣いていたんだろうなと、色んな事を想像して泣けてくるし…
月命日は、おめでたい日ではないし、亡くなった日のことを思い返すだけで胸が締め付けられて涙が止まらなくなってしまう…
りっちゃんと同じぐらいであろう近所の子が、ママとヨチヨチ歩いてるのを見ては、りっちゃんの事を考えてなんとも言えない悲しい気持ちになる。
私はおはよう☀って笑顔で言うけど、心の中は泣いてるんだよ。
私の周りには子供を亡くした人はいないのだけど、旦那の職場の取引先の社長さんに子供を亡くした人がいるらしく、りっちゃんが亡くなって間もない時に亡くなったと話をしたら、実はうちも10ヶ月の時に亡くなってる子がいると話をしてくれたそうです。
その社長さんには現在高校生ぐらいのお子さんが3人いるんだけど、その3人のお子さん達は自分が生まれてくる前に亡くなった兄弟がいる事はなんとなく聞いていて、写真も無いお位牌だけの仏壇にご飯を備えしてくれるそう。
当時はケータイも無くて、生まれてからほとんど入院していて写真も撮れなかったので写真が無いそうです。
旦那がりっちゃんの事を話した後に、社長さんが自分の亡くなった子の事を話し始めると、事務所で事務の仕事をしている奥さんが顔を覆い泣き出したんだそうです。
亡くなったのはもう随分前の事なのに、それでも亡くなった子の事になると泣いてしまう…
旦那にその話を聞いた時に私は、子を亡くした悲しみは一生消えることはないんだ、この悲しみを抱えたままこれからずっと生きていかなければならないんだ…と思い知らされました。
時間が解決してくれる、と言われた事もあったけど、時間が解決してくれる事は無かった。
時間が教えてくれたのは、悲しみを押し殺して生きていくという辛さ。
平気な顔して生きていかなければならないという過酷な現実。
いつだってりっちゃんの事を想っているのに会えない辛さ。
りっちゃんがどんどん遠い存在になっていくような気がしてならない不安。
あんなに抱っこしていたのに、りっちゃんの感触が薄れていく感覚…
飲んでもらえずパンパンに張ったおっぱいを泣きながら絞り出した事。
毎日搾乳した母乳をお供えしていたけど、みるみる量が少なくなって、とうとう母乳が出なくなった時に泣いた事。
時間は経つけど、悲しみだけは消える事はない。
前向きになれない私は甘えなのだろうか。
何もできない私は人間失格ではないのだろうか。
私は毎日何をしているんだろう…
何もしなくてごめんなさい。