もし性器がなかったとしたら、人は何を使って愛を確認するのだろう。…愛を確認する?…そんなこと、性器とは関係ないんじゃないか。性器とは生殖機能を持つ単なるカラダの一部分でしかない。そこに刺激を与えるとカラダの中から体液が溢れて快感を得られる。それを知ってるから、男も女も気持ち良くなりたくて抱き合うのだ。もし、性器がなかったとしたら、男と女は抱き合うだろうか。たぶん、きっと、性器が無くても抱き合うと思う。それは体温があるから。肌を合わせると温かくぬくもりに包まれ、感情が動くから。感情は体温のある相手へ向かい、愛おしさが生まれ、抱き締める。そこまでで、お互いに対する感情は確認し合えるはず。だったら性器なんて要らないじゃない。いや、それじゃあ生物としての種が…云々。生殖行為が必要だから、性器は機能性に優れたフォルムを持った。それまでのこと。どこに「愛」という概念が入り込む隙間があるんだろう。愛を確認するのに、性器など必要ないのに、いつから性器を使う行為に愛を絡めるようになったのか。たぶん・・・・愛してる。…という理由は、女の脚を開かせるのだ。二人で性器を使うと気持ちいいから、一緒に性器を使おう。…なんて誘われて脚を開く女はいない。子供をつくろう。…では、自分を大切にしてくれるというより種を撒くという理屈に傾く。好きで愛おしくて、そのすべてを感じたいと強く想う気持ちが昇天すると、ひとつになりたいというところへ向かっていく。溶け合うことができてしまえたら、と。その時、性器がさらにその昇天を後押ししてくれる。でも…それだけなのでは?好きでもないのにセックスできるというのは、つまり性器の持つ気持ち良さが独立された粘膜本意の行為。それこそが性器本来の存在が引き起こすこと。挿入することされることが、粘膜の構造上の快感であるだけ。何度目のデートでセックスするのがいいのか、などということは、無理して愛を絡めようとするから起きること。だったら愛を確認することに、性器など要らないんじゃないか。心の側からではなく、性器の側から考えてみたら、案外、真実が見えてくることもあるかもしれません。お手数おかけします☆3ポチ☆どうぞよろしくお願いします
デザイナー*ココナッツの深呼吸日記。
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