深夜、密室でマッサージしていた女性の場合

 

 池田は朝に弱い男である。朝はたいてい十時過ぎまで起きてこない。やっと床を離れても寝起きが悪く、必ずグズグズいう。ところが、東京でも地方でも夜十時過ぎには寝室へ引っ込むのである。

 マッサージが好きでよく頼んだ。夜は、時に女性が一緒だった。その女性たちは信仰熱心な婦人部幹部のケースもあれば、本部勤務の女子職員のケースもあった。大人の男女が二人で何をしているのか、おおよその想像はついたが、私は知らん顔で通した。

『池田大作の素顔』90頁

 

 

 

池田のデタラメな行状を目撃した側近の場合

 

 池田は自分の国会喚問をなんとしても阻止するために衆参両院の七十人近い国会議員を総動員し、各党の懐柔策を命じた。(中略)

 池田大作は一人で逃げた。公明党議員に恥さらしなモミ消し工作を命じながら、自分は二月初旬、創価学会の箱根研修所へ逃避行を図り、同年春までその山の中に身を隠していたのである。(中略)その側についていたのが一番弟子・原島崇教学部長(当時)ら子飼いの若手側近数人だった。原島はのちに月間ペン裁判の証人に立った際、逃避行時の池田のデタラメな行状について自分の目撃談を明かしている。

「四十五年の言論出版問題の時は、会長になってはじめての経験で(池田氏は)狂乱状態のような時もありました。時には、午前四時(ごろ)にある女性が靴下もはかないまま、私たちを呼びにきたこともございました。非常に度を失っていた時期だったので、そうした場面にも遭遇したのではないかと思っています」

『池田大作の素顔』130頁