「私は死ぬことにより、光に達するのです」と、貴僧は仰った

私がその意味を考えつづけた2年の間に、貴僧はその言葉のとおりとなった



この死別体験を通し、私は死というものの意味を教わった

貴僧は2度仏門に入られたのだ

1度は在家からの出家の時

2度目は現世での生を終えられた時に



そして先月、私は近親者の旅立ちを見送った

物理的に死に目には遭えなかった

あなたも、俗世での人生のご修行を終えられ、死を入口として、仏弟子となり仏門へ入られた

あなたは、弥勒菩薩のおわすとそつ天に昇られ、聞法の機を得られているだろうか

あなたはその生において仏弟子であった

死により更なる仏道の極みに辿り着けるのだろう



このような死別体験を経て、今月には初彼岸を迎え、忌明けとなる

人は、その生を終えた時に仏弟子となる

今のこの思いを胸に抱いていたい



このように意識が次元のはざまにあるような時に、ふと偶然女児の口ずさむ曲の一節を聴いたのだ

「あの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえ その全てを愛してた」

TVを観ずヒットチャートを知らない私にとって、唐突にお聴きした一節に、慰めを見出だした

時の彼方に刹那の煌めきを見出だす



死は別れではなく旅立ちであると

その本人にとっての仏門入りであると

この世はかりそめの修行の場であると

人生はただ春の夢の如しの虚構に過ぎぬと思っている



それでも私はこの世に生きる者として、あなた方をご回向申し上げる

あなた方のためではなく、自身のために、そしてせめてもの思い出のよすがに

旅立ちの日に私の脳裡に、そのご尊顔を拝し、お別れを仰りにみえたあなた方へ



画像:死別の日、時を同じくして、白浜の海の水平線に沈む夕陽



2011年6月28日(火)より、約8年間に渡り、Yahooブログ『時空を超えて』に、お付き合い賜りまして、誠に有り難うございました。

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