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料飲稲門会公式ブログ

早稲田大学 料飲稲門会のオフィシャルブログです

マーケットリサーチなどで外食の分野でも深く

関わってきた

㈱コミュニケーション科学研究所会長の

春原豊司さんに<会長参上いたしました>55

に登場していただきました。

今こそ日本独自の外食産業のあり方を提案しよ

うと、料飲稲門会の仲間に熱く訴えかけていま

す。爺の話に耳を傾けよう。

 

こんにちは。「楕円球倶楽部」の立ち上げ、

ご苦労様でした。

今日は真打登場。よろしくおねがいします。

まずは学生時代のことから。

 

はじめに、春原は「すのはら」と読みます。

誰からも「読めない」とか

「日本語じゃない」などと言われますが

れっきとした日本名なのです。

ルーツは 長野県上田地方で、上塩尻という村

でした。

真田の下級武士と言われています。

私は戦前の東京市の生まれで一応、江戸っ子の

はしくれですが

太平洋戦争中は長野県に疎開していました。

 

学生時代は 1959年4月入学ですが、入

学式の4月22日の前の4月15日から安保

反対の首相官邸デモに参加して、そのまま、

1960年の暮れまで学生運動に没頭してい

ました。

 

60年安保のつわものが、今でも輝いてい

る。嬉しいことです。

社会人になってマーケテイングの世界で

活躍。そのいきさつを教えてください。

 

留年せずに卒業しましたが、就職課はまともな

ところには推薦してくれず、新聞社か出版社く

らいしか受けるところはなかった。

大新聞もあっさりおちました。

 

4年のぎりぎり12月に就職課に行き、募集の

張り紙を見ると、横文字の会社で「マーケテイ

ング・リサーチ・ サービス」という調査の会

社の募集があり、政経学部から2人まで推薦す

るとのこと。

そこなら、推薦してもよいとの話で、受けるこ

とになりました。

小生学生運動と社研の部活動でマルクスはかな

りよみましたが「マーケテイング」はよく知ら

ずに、給料が良いというだけで受験しました。

 

試験会場に行ってみると、2人定員のところに

100人くらい詰めかけており、入れそうもな

いとおもいましたが、奇跡的に引っかかり、

マーケテイングをやることになりました。

いらい、50年やりっぱなしデス。

 

㈱コミュニケーション科学研究所を立ち上げ

たいきさつと、会社のアイデンティティを

教えてください。

 

今の会社は、(株)コミュニケーション科学研

究所といいますが創立は1977年です。

名前は当時としては先駆的な名前でめずらしが

られました。

60年代のリサーチはもっぱら「高度成長期の

製品開発のための調査」です。

洗剤なども電気洗濯機が普及をはじめ、たらい

と亀の子固形石鹸によるごしごしと手で絞る方

式から、電気仕掛けの自動洗濯機に移行する時

代で、そこで使われる洗剤は固形から粉の洗剤

へと大きく変化するときであり、新製品が売り

出されると飛ぶように売れる時代でした。

 

販売ルートも町の小さな雑貨店から大型のスー

パーマーケットにとってかわられる大転換が行

われる時代でした。

 

しかし、ハチャメチャな高度成長は同時に公害

も引き起こし、空は昼間でも薄暗く、塩酸や硝

酸が混じるひどい空気状態になり、洗剤の泡も

なかなか消えず、多摩川の下流はあわが天に舞

い上がりそのまま海へ流れでる深刻な状況をう

みだしていました。

 

1970年代は早くも成長期の反省が社会に

まきおこりました。

 

この状況から、小生も深く反省し、やみくもな

新製品の開発に手を貸すのは慎重にすべきと感

じました。

 

そこで、企業と消費者、生活者との間の

communicationに注目し、ソーシャルな視点

をもって、リサーチと広報の企画をする会社を

つくりました。

 

食、外食の分野でも深くかかわってきました

が、外食産業のこれからの課題について

ご意見を聞かせて欲しい。

 

1980年代から90年代にかけて、外食チェ

ーンが成長し、マクドナルドなどの外国資本の

企業がマーケテイングの手法を日本にもちこみ

ました。

店の出店についても独自のリサーチマニュアル

を持ち独自な視点で出店を伸ばし、確実に繁盛

させてみせました。

 

あとからついてゆく日本の企業は伸びる外資の

店の隣に店を出すというような塩梅で、リサー

チに投資する会社は少なかったのが実情です。

 

外食産業はその後日本の企業も実績をのばして

きましたが、真に日本独自のマーケテイング手

法を作り出したかといえば、「NO」と言わざ

るをえません。

 

今や、日本の和食は世界の文化遺産にもなって

きて、これからその遺産を時代に合った形で成

長させて、世界に発信することが課題となって

います。

 

TPPは否応なくグローバルな論理と力で新しい

開国を迫ってこようとしています。

「儲かるものを売る」というのでなく

「息長く、人々の生活にほんとに役に立つ」

外食産業の姿を確立したいものです。

 

日本独自のマーケテイング手法がない、という

ご指摘、その通りですね。

現代の課題ですし、将来の課題でもありますね。

ところで貴方もラグビーファン。

印象深い試合の話を聞かせてください。

 

記憶に残るラグビー試合は、平凡だが1987

年雪の早明戦だろう。

国立競技場の観衆は6万2000人。

 

早稲田は前半5分のトライの4点に今泉の2本

のPGで6点合計10点、明治は吉田のトライと

川上のPGで7点、10対7で終了間際まで試合

は激闘がつづいた。

 

3点差の明治は最後に早稲田をゴールぎりぎり

まで追い詰め、PGのチャンスはあったが、

引き分けでは優勝に届かず、あくまでトライを

狙った。

しかも降りしきる雪の中、もうもうと湯気が立ち

昇るしびれるような試合だった。

 

覚えていますよ。

泥だらけで組み合ったスクラムが燃えていた。

あの湯気は私も一生忘れないでしょう。

最後に料飲稲門会について一言。

 

先にも述べたように、ますますグローバル化し

また世界的な超高齢化時代に突入した日本の社

会で日本独自の外食産業のあり方が問われてい

ます。

あらゆる人にとってこれは新しい時代であり、

新しいチャンスなのです。

ほんとうに腰を据えて独自の食文化を作りだし

ましょう。

そのために古くて新しい爺の知恵を及ばずなが

ら提供します。

 

爺の知恵が今ほど必要な時はない。

ぜひ料飲稲門会にもっと積極的に関わって

ください。

ありがとうございました。

 

 

楕円球倶楽部発足会での春原豊司さん。一番左の白髪の人