秋葉原の事件・・・7人死亡ですね

被害者また遺族には、御愁傷様ですと言う以上に表現する言葉が見つからないのが何とも言えないですが

秋葉原

下手したら自分だってそこに居たかもしれないってこと
人よっては他人沙汰じゃぁないでしょうね

加害者の方がどういう背景でこの事件に行ったったかは、警察やメディアがその輪郭を明確にするでしょう
情報に基づく憶測は自分が論じるに値しません

インタビューを受けている人を見て感じたのは、無意識ながらに
「一人目がひかれる音を聞いて、見に行ったら二人目・・三人目・・」と
とりあえず事件の速度は伝わりますし、その言葉に間違いは無いと思います

注目すべきは『~人目』という言葉使い・・・もちろん大量殺人においての個の数からすれば
そう表現せざるを得ないが・・・・自分が遺族だったらその表現自体が怖い
自分の家族は数人の内の一人でしかないっと思えてしまう・・・そんな悲しさ
かつ、大きなメディアだったら、そういう言葉の裏側をとって
「そういう人間は、人を人と思っていない」なんて言われかねない
んなこた無い。ってのは自分の中にあっても、

こういった自分の表現からもどこか偏った表現が有るかもしれません

ただ、この事件が何か大きくなりそうな気がしてならないのです

高齢化・・・人の死に目を見ていない若者が増えているのかもしれない
老人は老人の場所が有る、という風潮も自分は感じている・・・・違うかもしれない
だれだって一緒に居ていいはずだ
もちろん、高齢化に伴う介護等の支援は必要であるとして・・・現在のカタチはベストか?
『夏の庭』ではないが、人の死というのは親しい仲にあるモノだろう

自分は、祖父を思い出す、先になくなった祖母つまり彼の伴侶に伝えたかったことが有ったということ
告別式とは言え、科学的にはコミュニケーションは祖母とはできない状況
何を言っても、自分たちを励まし経過を肯定するのがその場の次第だ

自分は、『人に伝える能力を求める時代』の次に『人に接する能力を求める時代』が来る気がします
だから、電子化が人と人を近づける存在であることを自分は強く望みます

そういった最中、電子化と交流が有ったであろうシンボルの秋葉原がこうなってしまったのは
残念で仕方が無い。

普段からつかってて 無意識下で使ってしまうのが

「まぁ」

自分のブログでは頻出の文字です

三行連続で冒頭「まぁ」とかも あったかなw

考えてみれば、活字にはあまり必要の無い表現のケースがしばしば

いかに 無意識にブログを書いているかが 伺えますねw
そのタイトルを変えてみた

理由か・・・ 

今の気持ちそのまま 普段ださない気持ちそのままだ

常に最低限のものを残して 破壊的になる自分

そういった一面を とらえたタイトルだとおもう



壊すことを覚えた子供が でっかい怪獣がビルを倒すのを観て

自分も積み上げた積み木をけり倒してみる そんな感覚



でも それはまた再構成される

っていうのは それを形成すべく考えだけは崩れていないからだ

そこに無いから存在しないなんてことは無い

心の中に・・といったらただのクサイ台詞に過ぎない

記憶の中で概念的に残っているモノだろう

残そうとすることに意味合いはない

残ったものに意味がある

ただし 残ったものには かつて残そうとした意思があったのは確かである

よって残そうと思うことは間違っていない

それを無理に維持しようとすることが意味合いが無いのである

カタチを残すほかに方法の無い万里の長城のようなモノだと話は変わるのだろうがな



俺の中で 第一幕が降りた

ここからは第二幕が始まる

それは いままでの話を踏まえて

それでいてまったく新しい物語になる


第二幕を展開するのは 俺じゃない ここから観客の皆さんに

すばらしきメンバーを紹介していく如く 活躍の場がでてくるのだ


頼りになるメンバーで 心強いです


いまいちど ありがとう と

面きって言えたら俺も成長した ってことなんだろう・・・



こんな 文字コード変えたら読めないようなところに書いても伝わらない

だけど



ありがとう