美空ひばりさん
二十七回忌に400人 
長男和也氏
「お袋も感謝してます」


ひばりさんが
間質性肺炎
による
呼吸不全で

1989年、
52歳の時
亡くなられ
満26年。


もう、
そんなに
経ったかな、


思うほど

彼女
の歌と
存在感は
色あせない。


で、

ひばりさん
の魅力、

それは
圧倒的
な歌唱力っ。


低音から
高音域

そして、
裏声を
表情豊に
使い分け、

時に
勇ましく

時に
繊細で

時に
ポップで、

七色の声
を自在に
操る、その声。



但し、
聴く立場
からすると、

歌が
上手ければ
全ての人間
が好むか
というと
そうでもなく、

逆に
稚拙な歌の
魅力という
のもあり、

最終的には
当人の好み。



なので、
特に
若い世代は

何故
ひばりさん
が、ここまで
支持されるか
分からない、、


感ずる方も
少なからず
いるだろう。



そこで
その秘密を
紐解く

ひばりさん
一番最初の
ヒット曲

「悲しき口笛」



悲しき口笛。

1949年に
発表され、

当時として、
戦後最高の
ヒット曲で、
同タイトル
映画の主題歌。


その映画
の内容は

自中労働者
と浮浪児が
群がる
横浜桜木町
が舞台、

復員した
主人公
田中は
妹のミツコ
を探していた。


以前
音楽を
志した田中は、
戦地へ行く前に

ミツコ
のために
「悲しき口笛」
という歌
を作り、

その曲が
彼女を
探す手がかり。


一方、
ミツコ
(美空ひばり)
は浮浪生活を
しつつも、

上手な歌で
わずかばかり
のお金を
稼いでいた。


蔓延する
貧しさや
犯罪の中、

最終的に
2人は再会
を果たす、、

というお話。


歌詞の方は

「ふしも
悲しい口笛が

路地の細道
ながれ行く」



どこが
漠然とした
悲しみが
感じとれる。



で、
この曲が
発表された
1949年、
日本は
戦後混乱期。

まだ
GHQに
占領され、
食料難の為、
焼け跡には
闇市が並び、

「パンパン」
と呼ばれる
街娼いた頃、、


つまり

映画
「悲しき口笛」
は、そういった
世相を反映し、

皆、貧しく

日々
食べるのに
必死の時代。



この当時、
最も売れた
ひばりさんの
この曲。

要は、
お金を出して
音楽を買う
という行為自体、

今時の
アーティストの
存在感とは次元
異なるのかと。。



困窮
からの脱出、

その
希望の光、

シンボルが

ひばりさん
だったのでは
ないのだろうか。



その後、

朝鮮戦争
の特需で
経済復興
きっかけを
つかみ、
高度経済
成長へ
つながり、

80年代
バブル期に
なると

ユーミンが

「繁栄の
シンボル」

何て
言われ方を
されましたが。。



つまり、

ひばりさんが
ここまで
語り継がれる
のは

苦しい頃
助けてくれた
恩人とでも
いえば良いのか、

特に当時
の人にとって
根深い
ファン心情が
あるのだろう。



最近は
ネット上で
気楽に気楽
が聴けて、

平穏な
日常が
存在しつつ、


でも、

それは、

戦後の
混乱期を
生き抜いた人、

そして、
その人達を
歌で支えた

「美空ひばり」

という
偉大な歌手
の存在があり、

今日が
あることを
忘れては
ならない。


■お知らせ

Ryouhei主催
「音楽リスナーの集い」

開催日
7/25(土)18:30~
東京都新宿区某所

※まだ席に空きが
ありますので、
参加希望者はRyouhei宛に
メールでお問い合わせ下さい。

お気に入りの
音楽(CD、iPod、スマフォ等)
を持ち寄り、それを聴きつつ、
紹介し合いながら飲みに
ケーションを楽しみます。
お喋りを楽しみつつ、
新しい音楽との出会いや
音楽人脈の開拓に
お役立て下さい。(^O^)

詳細↓
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