辺野古作業強行 民意踏みにじる蛮行だ

連日の
イスラム国
報道の中、

聞き捨て
ならないのが
沖縄基地移設
問題。


最近の
流れは、

昨年11月、
県知事選で
辺野古移設
反対派の
翁長県氏が
当選


さらに
昨年末
衆議院選
では
本土では
圧勝した
自民だが、

沖縄
全4選挙区
で敗北、

辺野古
移設反対派
が当選。


が、
政府は
辺野古移設
作業を強行、

現地で
抗議活動を
する市民と
警察の間で

拘束や排除、
もみ合いで、
けが人が相次ぐ
異常事態へ。


但し、
多角的な
視点で見る
必要性や

現地沖縄と
本土では
報道内容の
温度差もあり、

そこで
今一度

沖縄を
振り返って
みたい。

「島唄」THE BOOM



THE BOOM
1989年
バンドブーム
の中デビュー

デビュー当初
は派手な
パフォーマンスで
人気を博したが

1990年以降
音楽性の幅
を広げ

1993年
沖縄音階を
用いたこの
「島唄」、

ボーカル
の宮沢和史
さんが

『ひめゆり
平和記念資料館』
を訪れ

太平洋戦争中、
激しい
沖縄地上戦で
大勢の住民が
犠牲になった
事を知り

その犠牲者
への想いを
歌った
レクイエム。



歌詞
歌い出しの

「ていごの花が咲き
風を呼び 嵐が来た」


「ていごの花」

沖縄県県花で
それが見事に
咲く年は、
台風や天災に
見舞われる、

と災厄の前ぶれ
の言い伝えが
あり


そして
「風を呼び 
嵐が来た」



沖縄に米軍が
上陸した。


つまり
この歌詞、

「沖縄に
米軍が上陸し
殺戮は繰り返され

鍾乳穴の
防空壕で
集団自決をした

島唄よ 風にのり 
本土に伝えておくれ、
沖縄の悲しみを


戦争も終わり
大切な命が散り、
日常生活は
消えた

さとうきび畑で
歌い楽しんだ
あの人は
防空壕の中で
死んだ

島唄よ 
風に乗り
天国へ届けて
おくれ私の愛を

このまま
永遠の平和を祈る」


という
こと。





沖縄基地
移設問題、

年末の
辺野古移設
が争点の
衆議院選挙で
沖縄で大敗
した自民だが

普天間飛行場の
ある宜野湾市、

「世界一危険な
基地」
によるリスクを
日々受けている
この地域まで

何故、
負けた
のだろう?


多分、

沖縄県外移設
という理由
以外に
移設されると
困る人もいる
のかと。。


沖縄は
大量の
補助金が
国から支給
され、

年収1000万円
以上高所得者数
は全国で
ベストテン入り
なのに

平均所得、
失業率
は全国最低。


つまり
メガ格差地域。


大量な
補助金は
どこへ流れて
いるのか。


つまり、

敗戦国
アメリカ
戦争の悲惨さ
格差
利権
権力


日本の現実と
歴史を凝縮
した地域。


様々な人の

思惑、
想いが
交錯する

基地
移設問題。



どうやって
舵をとり

進路
決めるのか

日本の
民主主義が

今、
問われて
います。




個人的な
話で恐縮
ですが

今は亡き
私の祖母は
沖縄の人。


幼き頃
遊びに
行くと

砂糖
小麦粉



混ぜ合わせた

沖縄の
お菓子の
ゲンコツ
ドーナツ

「サーター
アンダギー」
を沢山
作って
出迎えて
くれた。


お坊さんが
大きな口を
開け
笑ったように
見える
ということで、
台湾では

「開口笑」
いうらしい。


その

笑顔、
優しさの

背景に
あったものを
今、思い返すと

自分の
無知さが

ただ

ただ

悲しく、、




島唄よ 

風にのり 

本土に
伝えておくれ、

沖縄の悲しみを




~Ryohei次回のライブ~

日時 2015年2月8日 日曜日 Ryohei出演 14:00


場所 LIVE CAFE SALA(赤坂)


東京都港区赤坂2-17-58 赤坂福住ビルB2
03-3505-0690

入場無料ですが、別途飲食代がかかります