いくら武術の魅力を伝えようとも、誰も分かってはくれない。自分の中の禍々しい心が育つだけだった。いくら頑張っても、結果を出しても、本当に理解してくれた人はいない。それどころか相手の対抗心を煽るだけで互いに何も得られはしなかった。
哲学の魅力を話す時も、同じように、そんなものは使えないとか、実用性がないとか、社会でそんな知識は何の役にも立たないよ(笑)とか。
理解を求めたのがそもそもの間違いだったんだ。
この哲学も、この武術も、自分の中で大切に大切に育てていくんだ。
だから僕は、この孤独を愛しながら、舐めるように愛でるように、この文章のように出力していく。