龍安寺先生と護国寺君~アインシュタインと般若心経

龍安寺先生と護国寺君~アインシュタインと般若心経

潜在意識の力に気付いたけれど、
まだ科学を捨てきれない人のための、
量子物理学と心理学と哲学と宗教のお話です。

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龍安寺「すべての人がもっとシンプルに考えた方が良いと思うんだ」

護国寺「どういうことですか?」

龍安寺「今の問答の用に例えば、問題は問題化されなければ問題ではない、だから今自分を悩ませているこの問題に、これ以上取り合うのはやめようと決める、とか」

護国寺「取り合わなければ問題が消え去るなんて、おかしいと思います」

龍安寺「やってみたことはあるのか?」

護国寺「ありませんよ、そんなこと」

龍安寺「どうして?」

護国寺「怖くてできません。それに無責任な気がします」

龍安寺「それじゃ、どうでもいいような悩みで実験してみればいい」

護国寺「……例えば?」

龍安寺「朝、電車で座りたいのに座れない。だからそのことについて思い悩むのはやめて、座れなくても構わないと決める、とかだよ」

 

 

電車で座るために生きる!


護国寺「そうしたら座れるんですか?」

龍安寺「それは解らない」

護国寺「そんな無責任な」

龍安寺「だが、座れなくても構わないと決めたんだから、座れなくても別にいいんじゃないのか?」

護国寺「それはそうだけど」

龍安寺「座りたいからこそ座れなくても構わないと決めたというのなら、それはがっつり座りたがっているということだろ?」

護国寺「……まぁそうです」

龍安寺「心の底から座ることへの執着を捨ててしまえばいい。そうすれば、その問題は消えてなくなる」

護国寺「本当ですか?」

龍安寺「そりゃそうだろ。座れなくても構わないんだから、座れるか座れないかで頭を悩ますことはなくなる」

護国寺「そういう理屈?」

龍安寺「理屈で言ってるんじゃないの。執着を捨てるのは、座ることが目的じゃなくて、執着を捨てることそのものが目的なの」

護国寺「目的が変わってる気がします」

龍安寺「いや、変わっていない。そもそもの目的は座ることじゃない。座ることが目的なら目の前に座ってる人にカネを渡して席を譲ってくれと言えばいいだけだ。多くの人が譲ってくれるだろう」

護国寺「そうかも」

龍安寺「そして小さな実験がうまくいったら、次の問題に対する執着を捨てる実験をすればいい」

護国寺「少しずつ取り組む問題を大きなものにするっていうことですね?」

龍安寺「違う」

護国寺「違うんだ」

龍安寺「そもそも取り組むのをやめろと言ってる」

護国寺「もうわかりません」

龍安寺「取り組むのをやめる取り組みは、がっつり取り組んでいる姿勢だ」

護国寺「ますますわかりません」

龍安寺「だからもっとシンプルに考えろと言ってる。いや、そもそも考えるな」

護国寺「ドンシンク、フィ~~ル」

龍安寺「そういうことだ」

護国寺「何がそういうことですか!」

龍安寺「簡単すぎて説明が難しいね。やっぱり言葉は不便な道具だ」

護国寺「言葉のせいにしてますよこの人」

龍安寺「だが本当に今言った通りなんだよ。わかる人にはわかると思うが」

護国寺「また無責任だなぁ」

龍安寺「あまり長くなってもいけないので、この辺りでタイトルについての答えを書いておくと」

護国寺「唐突ですね」

龍安寺「人は安全でありたいがゆえに、安全でなくなるのだよ」

護国寺「またそういうことを」

龍安寺「安全が足りない、という問題を抱えているから安全ではない状況に追い込まれる。執着を捨てて、安全でなくても構わないと開き直ってしまえば、危ない目になど遭わなくなるよ」

護国寺「ホントですかぁ?」

龍安寺「実験してみればいい」

護国寺「先生は実験したんですか?」

龍安寺「もちろんだ」

護国寺「で?結果は?」

龍安寺「言うまでもないことだよ」

護国寺「うまくいったってこと?ホントかなぁ?」

龍安寺「ではまた次回!」

まとめ:安全でありたいと思うがゆえに、人は安全でない状況に追い込まれる。問題は問題化されない限り問題とはなり得ない。
安全や問題解決への執着を捨てて、一種の開き直りをしてしまえばいい。
いきなりは難しいならば、自分にとって気にならないことを実験台にしてみよう。

 

この項おわり

龍安寺「問題に大小は無い」

護国寺「は?」

龍安寺「問題に大小はないと言ったんだよ」

護国寺「どういう意味ですか?」

龍安寺「どもうこうもない。あらゆる問題は、同じレベルだ」

護国寺「いやいや、道にごみが落ちていることと財布に20円しか入ってないのは同じじゃありませんね、絶対」

龍安寺「この世界に絶対などな~~い!」

護国寺「だってさ」

龍安寺「いいですか?護国寺君」

護国寺「どうしたんですか突然言葉使いを変えたりして」

龍安寺「逆から考えてみるんだよ」

護国寺「逆から?」

龍安寺「そう」

護国寺「どういうことですか?」

龍安寺「問題は問題化しなければ問題ではない、と言ったよね?」

護国寺「はい。納得はできませんけど」

龍安寺「ということは、ふたつの問題化されない問題があったとしても、それは問題化されていないのだから、どちらも問題ではない」

護国寺「そりゃそうですよ」

龍安寺「とうことは、問題はすべて存在していない。ゆえに問題に大小などない」

護国寺「……」

龍安寺「どうした?」

護国寺「屁理屈こく人だなぁと思いまして」

龍安寺「問題が気になっているのに無視しようとするからいけない」

護国寺「は?」

龍安寺「そもそも気にしなければいい、ということなんだよ。色々あっても、何とかなると思ってると何とかなるもんだ」

護国寺「そんな気楽な」

龍安寺「気楽な人ほど健康じゃないか?」

護国寺「そういう傾向は確かにありますけど」

龍安寺「ストレスは万病の元なんだよ」

護国寺「それには賛成しますけど」

龍安寺「すべての人がもっとシンプルに考えた方が良いと思うんだ」

護国寺「どういうことですか?」

つづく

龍安寺「君を取り巻く、君が問題だと考えていることや感じていることに対する取り組みをやめてしまえば、それらは問題ではなくなるということだよ」

護国寺「そんなバカな」

龍安寺「いや、本当にそうなんだよ。今君は私のその言葉をわざわざ繰り返したじゃないか」

護国寺「いいえ、そんなワケありません。繰り返したのは読者のためです。僕自身は納得してませんから」

龍安寺「別の例を出すならば、床にごみが落ちていたとして」

護国寺「はい」

龍安寺「ごみを落とした犯人捜しをしてどうするのか、ってことだ」

護国寺「はい?」

龍安寺「その場で拾って捨ててしまえばいいだけだろ?」

護国寺「そうですね」

龍安寺「気にならないのであれば、そのまま放っておいても構わないだろ?」

護国寺「僕は気になるので拾って捨てます」

龍安寺「ごみ屋敷の人は気にしないよね?」

護国寺「そうですね。ごみ屋敷自体、問題ですけど」

龍安寺「他人には問題でも本人は気にならないんだからそれでいいじゃないか」

護国寺「まぁそう言えないこともありません」

龍安寺「だから、問題は床に落ちているごみのようなものだ。こんなところにこんなものが落ちていると、ありのまま受け入れればそれは問題でもなんでもない」

護国寺「……なんだか屁理屈に聞こえますけど」

龍安寺「だがそれが本当のことだ。すべてはありのままに、だ。ビートルズのレットイットビーはそういうことだ」

護国寺「突然ビートルズですか」

龍安寺「音楽や小説、アニメや映画には真実が含まれていることがあるんだよ」

護国寺「へぇ」

龍安寺「以前も話題にしたが、アニメのヱヴァンゲリヲンやポケモン、映画マトリックス、バンプオブチキンの曲『虹を待つ人』なんかもそうだ」

護国寺「バンプにも……」

龍安寺「作詞している彼、藤原基央くんは間違いなく解っていてあの詞を書いているはずだ」

護国寺「へぇ」

龍安寺「同じ意図を含んだ曲はNHKのみんなのうたの中にもあったね」

護国寺「え。そうですか」

龍安寺「『永遠のとびら』って曲」

護国寺「調べてみます」

龍安寺「つまり、安全でありたい、安全ではないという問題があると思った時、それをそのまま受け入れてしまえば、問題は消えてなくなる」

護国寺「煙に巻かれた感じですけど」

龍安寺「ゴミの例で理解できたんじゃないのか?」

護国寺「ゴミと身の安全は問題の大きさが違います」

龍安寺「問題に大小は無い」

護国寺「は?どういうことですか?」

つづく
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