私の祖母が認知症になりました【リモートでも、愛をこめて】

 

 

 

皆さんは、ある日突然大切な人から忘れ去られたらどうしますか?

 

 

今まで名前を呼んでくれていた人が呼んでくれなくなる。楽しかった思い出を共有することもできなくなる。忘れられるということは残酷で、考えるだけでも怖いものです。

 

 

私は昨日、祖母の様子を久々にリモートで見て、認知症の予兆を感じ不安を覚えました。ですが、老いはかならずやってくるもの。それ相応の覚悟はしなければなりません。

 

 

今の時代の良い所は、きっと離れていてもリモートで言葉が交わせることだと思います。実際に合わなくても、おはよう、またね、と言えることがなんと幸せなことでしょう。かかわりが薄くなったといわれる現在ですが、人の距離は縮まっているのかもしれません。

 

 

リモートで話せる現代だから、今のうちに話せるだけ話しておきたい。リモートだからといってそこに感情の変化はありません。

 

 

今日の話は、祖母の認知症の様子を確認して一日たった私の心境をつづったものです。自分の話で見にくいかもしれませんが、大切な人を思い浮かべながら見てくださるとありがたいです。

 

 

祖父をなくした祖母の話

 

私の祖母は、数年前に肺炎で祖父をなくしました。紛らわしいですが、私の祖父、という意味です。入院する少し前までは元気だったのですが、骨折して入院したころから一気に痩せて、病態が悪化。思いもよらない早さで、帰らぬ人となりました。

 

 

祖父をなくした時期から祖母の体調が悪化しました。今まで食べていたご飯がのどを通らない。何をするにも元気が起きず、憂鬱としている。そんな状態で数か月すごした後、肺を悪くして入院することとなりました。

 

 

もともとパーキンソン病を患っていた祖母ですが、この入院によって余計に体が衰えていきます。幸い大事には至らなかったものの、元気はやはり戻らず鬱々としたまま。このままではまずいため、私のおばさんの家の近所に引っ越すこととなりました。何十年と過ごしてきた家を離れ、新しい場所での一人暮らしです。

 

 

祖母の一人暮らし

 

 

さて、一人暮らしといっても高齢者の一人暮らしですから私たちとはわけが違います。ちょっとこけただけでも大問題だし、頭でも打とうものならすぐに救急搬送です。それでなくとも元気がなかった祖母のこと、一人でいる時間が私たちからするととても心配。そのため、家にいなくても祖母の様子が確認できるよう、リモートのカメラを設置しました。

 

 

私の母とおばさんがこのカメラで確認し、何か異変があればすぐに問いかけたり迎えるような環境を整え、少しは安心。祖母とも遠隔ながらしゃべれて、お互いにさみしくない環境が整った。

 

 

と思ったのもつかの間、祖母が転倒してしまいました。打ち所が悪かったのか、腰椎の圧迫骨折をしてしまい入院は免れません。

 

 

それに、運悪くコロナウイルスが重なってしまったことで私たちも見舞いすら不可能となってしまいました。もともと精神的に弱くなっていた祖母なのに、見舞いに行けないとは余計に心配です。

 

 

着々と忍び寄る認知症

 

そんなこんなで時期が過ぎ、祖母が退院することに。コロナのため見舞に行けなかったため、リモートカメラで確認をしてみた所、入院前と特段変わったところは見受けられません。

 

 

よかったよかった。入院でどうなるかと心配したけど、おばあちゃんは変わってないな。そう、楽観的に考えていました。ですが、そんな考えもすぐに改めることになります。

 

 

朝から、母が祖母とカメラ越しに会話をしていました。何だろうと思いのぞいてみると、祖母が床の上に寝そべっています。これはただ事じゃないと思い何があったのか聞いてみると、どうやらトイレに行こうとして転倒した様子。何とか祖母が立ち上がったのを確認し、一人で歩かずトイレはポータブルで済ますように伝えていったん通話を終えました。

 

 

時が少し経ち夕方。またもや母が通話しています。今度はどうしたのかと思えば、祖母がまた転倒したとのこと。それに今回は、頭がパイプ椅子の足の上にあり頭を打っている可能性があります。急いで救急車を呼び、搬送してもらいました。

 

 

幸いにも出血などはありませんでした。ですが、母が何故歩いたのか聞いても覚えてないの一点張り。それどころかどうやってこけたのかも覚えていない様子。母はなんでかしら?と首をかしげていますが、私は祖母に忍び寄る認知症の影を感じずにはいられませんでした。

 

 

どうやら、入院中から錯乱やせん妄があった様子。入院したことを覚えていなかったり、スタッフが来たことを記憶していなかったようです。これは、明らかに認知症の症状が現れてきています。

 

 

今まで目を背けていた事実からもう逃れることはできません。高齢の祖母が、入院を繰り返している中で認知症が進むのは当たり前。これからは、認知症だと受け入れて接していく覚悟を決めました。

 

 

忘れられるその前に

 

 

 

幸いのところ、私はまだ忘れられてはいないようです。むしろ、母の同級生を私の名前で呼んでいる状態。なんだか複雑ですが、まあ忘れ去られていないだけいいでしょう。

 

 

ですが、そのうち祖母は私のことを忘れてしまいます。正直それは逃れられないでしょう。私も医療職の端くれですから、認知症がどのようなものか位は分かります。

 

ですが忘れられたとて、私から祖母への気持ちに変化はありません。私から祖母に対する対応は何も変わらないと思います。たとえ忘れられても私が大切に育ててもらった孫であることに変わりはない。

 

 

とはいえ、祖母が私を認識して話してくれるのは今だけかもしれない。そういった思いはあります。この今しかできない会話があるんだろうという事実に関しては、前以上に感じるようになりましたし、祖母とおしゃべりが出来るのも今のうちかもしれないと思っています。

 

 

祖母が救急搬送から帰ってきて、少しリモートで話しました。普通に話している分には昔と変わらず、少し元気がないくらいです。こんな風に話せるのもいつまでかな。そう思うと少し寂しい気持ちもこみ上げます。

 

 

リモートでも、愛をこめて

 

 

 

今、私は祖母とほとんどあっていません。会話はリモートカメラ越しだし、一緒にご飯を食べたのはそれこそ半年前、あるいは一年前の話。ですが、リモートでも祖母を感じることが出来て幸せです。

 

 

スマホを祖母は持っていませんし、パーキンソンで上手に扱えないから祖母が私たちの顔を見ることはできません。しかし、私たちは祖母を見ることが出来るし、たとえ祖母は見えなくても会話をすることが出来ます。

 

 

また、コロナで余計に会えない今、どうやって生活しているのか確認できるのは心強いです。転倒しがちな祖母だから、すぐに助けを呼べる環境がありがたい。これが一昔前だったら、不安でつきっきりじゃないといけなかったと思います。

 

 

きっと、今している会話もそのうち忘れてしまうでしょう。でもいいんです、私の中にはちゃんと残っていますから。そうだ、祖母が祖父のことを覚えているうちにたくさん話そう。私の昔話は覚えているかな?私の知らない祖母の昔話も聞いてみたいな。今のうちに、たくさん話しておかないと。

 

 

リモートがあるから、「今」をたくさん話せる。月に一回しか会えない人でも、話せる機会はぐんと増えるはず。直接会えなかったとしても、そこに込める感情に変わりはありませんよね?

 

 

きっとこれからも私は忙しいし、祖母はどんどん記憶を失っていくでしょう。だからこそ、覚えているうちに覚えていることをたくさん話したい。直接だろうが機械越しだろうがそこに込める思いは変わりません。「リモートでも、愛をこめて」、これからも祖母といろんなことを語っていきたいと思います。

 

 

皆さんも、大切だけどなかなか会えない人とリモートで話してみませんか?もしかしたら、話せるのは今のうちかもしれない。そんなことを思った私からの、ささやかな、愛を込めたメッセージです。