佐久真良太 〜難病歌手が希望を届ける〜 『くちびるに歌を 心に太陽を』

佐久真良太 〜難病歌手が希望を届ける〜 『くちびるに歌を 心に太陽を』

【難病歌手が希望を届ける】シンガーソングライター佐久真良太

おはようございます☀

佐久真良太です(^^)


今朝は、とある思い出について記したいと思います。


僕には、ベーコンポテトパイが販売される時期になると呼び起こされる記憶がある。





僕が4〜5歳の時だったと思う。

体が弱かった僕は、よく高熱や喘息の発作で病院につれていかれた。


その時も、高熱だったか喘息だったかで病院に行くと、最初に体温や体重を計測し終えると、血圧を測る事になった。

すると、とんでもない数値をたたき出した。

何度測定し直しても血圧は高いまま。血圧計が壊れてるかもしれないと別の血圧計で何度も測定したけど高いままだった。


その後、原因不明の高血圧と言われて、大学病院に精密検査と治療の為、入院する事になった。

これが僕にとっての初めての入院だった。


小児病棟には、僕を含めて様々な病気の子ども達が入院していたけど、今でもずっと覚えているのはジュナという女の子の名前だけだ。ジュナとは病室のベッドが隣同士だった事もあって特に仲良くなったんだと思う。


僕の母とジュナのお母さんも仲が良くて時々2人で出かける事があった。その時には、僕とジュナにお土産を買ってきてくれた。それがベーコンポテトパイだった。僕とジュナは、ベーコンポテトパイが大好きで、お土産に買ってきてくれるのを楽しみにしていた。


その当時は、僕自身も何で入院する事になったのかも良く理解出来ていなくて、ジュナが何の病気で入院していたのかも分からなかった。


僕は、あらゆる精密検査を受けたけど異常は見つからず、高血圧の原因は不明なまま入院し続ける事が決まり、しばらくして僕はジュナより先に退院する事になった。


退院してからは、同じ病院に通院していたけどジュナと会う事はなかった。


月日は流れて僕が18歳になった時。

ふと、ジュナの事を思い出して母に尋ねてみた。


「そういうば、入院していた時に一緒だったジュナは元気にしてるかな?今どこに住んでるんだろう?」

すると母は、少し間をあけてから答えた。


「まだ伝えてなかったんだね。ジュナは、白血病で亡くなったんだよ。」


僕は言葉を失ってしまった。

普段、思い出す事はなかったけど、今もどこかで生きていると思っていた。だから、そんな事は考えも

しなかった。


僕が退院して後、ジュナは病状が悪化してこの世を去った。最後は、多臓器不全でお腹がパンパンに膨れ上がっていたそうだ。


入院中、ジュナと遊んでいた時、オモチャの取り合いになった事があった。僕が手を滑らせてしまいオモチャが偶然ジュナの頭に当たっちゃって泣かせてしまった記憶が蘇ってきた。


悲しくて、申し訳なくて、胸が痛くて、しばらくは思い出す度に涙が止まらなくなった。


そこから、さらに22年が経ち、僕は40歳になった。

今でもベーコンポテトパイが販売されるとジュナを思い出して買いに走る。


「ジュナが生きていたら、どんな人生を歩んで、どんな女性になっていたんだろう?」と、ベーコンポテトパイを食べる度に、そんな事を考えている。


毎年ジュナの面影は薄れていくし、もう声は思い出せなくなったけど、きっとジュナと言う女の子の名前だけは、一生忘れないと思う🍀


僕の大切な思い出のお話しでした📕