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新境地への模索(もさく)

演じるときには演出の意図を確認したり、解らないなら解らないと話すことにしている。


これは出来ないからではない。


自分なりにシ-ンを成立させるだけなら、やりやすい方法はいくらでもある。
しかしそれは、チャレンジとは程(ほど)遠いものだ。


演じ手は、つねに新境地を模索している。

ただだからといって、たんに突飛(とっぴ)な行動では少々バランスが悪い。


まして言いづらいからという理由で放置されては、スタッフともども共倒れになるだろう。

覚悟と配慮(はいりょ)

男と女がふれあう場合、ぜったいに臆(おく)することがあってはならない。

さもなければその気持ちはすぐに透(す)け、観客の前に醜態(しゅうたい)をさらすことになるだろう。

かつ女性が美しく描かれていなければ、たぶんそれだけでよいシーンにはならないだろう。


知り合いの女の子が、ピンク系の作品に出演しているのをみて複雑な思いを抱くことがある。

誤解のないように言うが、女優にとってもちろん、脱ぐことがすなわちいけない、ということではない。

むしろそのシルエットで魅了できるのは、わずかに限られた女性だけだ。


だがそうしたモチーフを扱うなら、まわりは相当デリケートにあつかわなけばならない。

さもなければ例外なく、観客に痛々しく目を覆わせるだけ。


とくべつなシーンであるだけに、現場の繊細さが問われるというものだ。

寝そべってみる。

公園で寝そべってみる。

青空のはんぶんを木々が覆(おお)い、てのひらをかざしたときのように葉っぱが透けている。

あまりにも鮮やかなのでステンドグラスか、ともすると、ようかんに付いている偽物のセロファンにも見える。


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それらが複雑に重なり合い、葉っぱに、もうひとつ空に近い葉っぱの影が乗っかる。

それらが無数の様相を呈(てい)し、ああ緑色とか黄緑色のクレヨンなんかは、こんな景色を描きたくて生まれたんだなと解(わか)る。