もうギリギリで立っているのがやっとなんだが | 意識が世界を創っている

意識が世界を創っている

心と身体のつながりを日々研究中
面白いことをみつけたら不定期でつぶやいています

当たり前だけど幼い子供は物事に対しての「定義」がまだあまりありません

 

成長するにしたがって

言葉に出会いその意味を知る

また生きる経験を重ねていくことでそこに

「これはこういう意味なのか」「この場合はこれが良いことでこれは悪いこと」

などといった様々な定義付けを獲得していきます

 

「犬」という単語一つにも

ペットとの関係でその単語に素晴らしい意味や感情を持っている人もいれば

昔、近所の犬に追いかけられてそれ以来犬はどうも苦手という定義をくっつけている人も

いるでしょう

 

そんな様々な定義を(多くは自分が勝手につけたもの)

知識と呼んでその内に蓄えていき、いろんなことをうまくやれるようになっていった

私たちはそうやって自分の世界が広がっていったと思っています

 

それもある意味では正しいかもしれませんが

同時にそれは「定義付け」という枠に自分自身も少しずつはまっていっていることにも

なると思います

 

知識として手に入れた沢山の『枠』は自分自身を助けることにもなったかもしれない

でもそれは往々にして本来の自分のあり方から大きく外れる原因にもなっていて

心や身体はそれでも自身をよりよく生かそうとして必死にくらいついていく

 

うまく、よりよく立ち回るためにはさらに思考をフル回転して「恐れ」を拡大させ

あらゆる未来のシミュレーションを繰り返す

 

そうすれば「よりよく立ち回れる」と思いがちですが実は正反対の方向へ!

つまり自分の選択肢は狭められ

いつの間にか身動きが取れなくなっている、なんていう状態に陥ります

(私、ほんっとがんじがらめでした)

 

今はわかります

 

あの状態は、あるがままの自分から遠く離れたところにいたのだと

 

自分の世界が拡大していく一方で本来の自分の在り方とは乖離していく

(ここで乖離したまま何の不自由も感じずそのまましっかりと生きている方も

たくさんいらっしゃいます。それはそれで『マスター』の域だと思います)

 

ただ私はその乖離した状態に対して、私自身の存在に理由を伴わない根本的な「恐れ」を

抱いてしまった

 

そこからますます「感じる」ことよりも知識と思考をフル動員してなんとか乗り切ろうとして

方向はますます恐れへと自身を落ち込ませる・・・という悪循環となっていきました

 

身体はそれでもなんとか私をよりよく生かそうと全力で立て直しを図る

「ここは心臓に持ちこたえてもらおう」

「この恐れは腎臓に引き受けてもらって・・・」

「一旦小休止が必要だ、蕁麻疹を出そう!」

 

身体だけではなくマインドも模索を続ける

「このままじゃこの生体は潰れる、どうにかしないと・・・」

 

そして

私をいろいろなメッセージに引き合わせていく、それも的確に💘

 

そんなことを繰り返していくうちに私はやがて生かされていることに気づき

その意味(あるいはその意味の無さ)に気づいていきました

 

どれだけ教わったことや作り上げたことで自分自身をがんじがらめにしていたか

 

今思うと「しんどかったねーよく頑張ったよ、ありがとう」という気持ちでいっぱいです

 

だからこそ私は出会った人に伝えたい

あなたを生かすために、あなた自身は全力で今この瞬間も最善の努力をし続けている

それもご自身のあずかり知らぬところで!

 

だからなるべくならそれに気づいて協力してあげてほしいです

 

その協力とは

「へ?それだけ?」というほど簡単です

 

今自分がどう感じているか を常に意識する これだけ

 

自分の奥底からかすかに聞こえる声を聞き逃さないで

聞き逃さないためには思考のおしゃべりをとめる

思考のおしゃべりをとめるには自分が「今、どう感じているか」

に意識的に向きあう練習を重ねる

 

「定義は自分を縛り付ける」とか言っていながら

またここで「練習」と言ってしまう矛盾 笑

「練習」はそのちょっとしたコツをつかむのに必要かなと・・・

生まれた時からデフォルトでできていた人もいます

私の大好きな哲学者の池田晶子さんとか・・

 

感じるということは「今この瞬間」だけのものです

「今、悲しいんだな」

「これは喜びだ」

「うーん、痛みってやっぱりつらい」

 

思考は自動的に起こってくるものですから完全に止めるなんて無理です

でも自分の奥底から響く声を聞き取れるほどにはボリュームを抑えていきたい

 

常に自分の感覚に意識的に向きあう練習をしていると

やがて思考と感覚がいいバランスで保てるようになってきます

そうなると「人生ってなかなかオツなものですな」となってくるのです

      ↑極端な話「苦しみ」も味わい深くなる

そうなるともうヘ・ン・タ・イ の域かもしれませんけど

 

でも最終的にはそれでも全然困らないんですよ

あ!人に迷惑をかける変態は論外ですよ

あくまでヘンタイは自分の人生に対してのみの話

 

 

(もうギリギリで立っているのがやっとなんだが)という

以前の私の状態がまさしくこれ↓刃の先にいるのは紛れもなく自分自身でした