早速、いきなり日記とやらを書いてしまいました(笑)。


仕事が決まりそうです。
決まりそうってだけで、確定ではありません。








死んだように生きるのは、”生きる”とは違うのです。

息をしていても心が死んでいたら、”生きる”とは違うのです。

生きているという現実は、たとえ自覚がなくても選択の結果です。

全部で生きろ。

どこかでそう強く望んでいるのです。






今までの記事には、いったいいつまで続くんだ?と、突っ込まれそうなほど、悪態・醜態の数々を長ったらしくタ~ラタ~ラと書いてきました。

それを読み不愉快な気分になってしまった方々に、ここでお詫び致します。




私は、外見と中身のギャップが激しい人間です。

誰でも良いから本当の自分を知ってほしいと、誠に勝手ながらこのブログを公開させて頂きました。

そして、今思い付く限りでの自分の悪い部分・本当の自分を曝せたと思っております。



自己アピールが上手くないと行き難くなるこの世の中。

それでも、私は、もう自分を飾りたくありません。

同じように悩んで、汚れちまって、そんな自分に傷付いて、真っ黒になっちまった人を愛していきたい。

そう思うのです。






さてさて、過去の話は尽きました。たぶん(笑)。

次からは、日記とやらを書こうと思います。

ではでは。












私は、学校へ行きたくないと騒いでいた時期(登校拒否の少し前)から中学へ上がるまでの間、拒食症だった。

吐くのが怖い
というのがあり、食べ物が食べれなかったのだ。
お腹も空きかず、食欲もなかった。

一日で食べるもの、フルーツ・食パン(味なしの生)・白いご飯(味なしか梅干)・トマト・カフェオレのうちのどれかを少し。
これ以外は、どうしても食べられなかった
だから、身体はガリガリ

その為、母は、学校の養護教員から ご飯をあげいないのでは、あらぬ疑いをかけられた上に注意もされた。(その時代、拒食症はあまり知られていませんでした。まして、小学生がなるなんて有り得なかったのです。)
激怒した母、佐椰花がご飯を食べないから私が怒られたじゃないの! 怒鳴った
それまでの穏やかで優しい母の急変した姿はショックだった。

どうやら母は、自分が責められること、プライドを傷つけられることに異常に反応するらしい。


だから、自分の母(祖母のこと。祖父は他界)に私が登校拒否をしている事を
隠していた。(今でも祖母は知りません)
夏休みに祖母の家へ遊びに行くのが恒例だったのだが、その時も事前に母は、
佐椰花が学校に行っていないのを教えていないからね。心配かけたくないでしょ? と言って、私と弟にコトを匂わせた。

とても
哀しくて仕方がなかったが、母を大好きだった私は、その要望通りに振舞った

過食
これまでに何度か繰り返している。

高校時代のダイエットのリバウンドとして・・・
手当たり次第に食べたのが始まり
でも、嘔吐はしない。
嫌だから。
治ったきっかけは、二度目の留年の危機に遭い、勉強に追われて
食べまくる時間がなくなったこと。

今、現在、過食している。
心臓が圧迫されてドックンドックン苦しくなるまで食べ物を詰め込み、下剤を使う。
そして、数日食事を減らしてはまた過食する。(食事制限中は、シラタキとかキノコとか、繊維入りのコーンフレークとかそんなものばっかりを食べるので、家族とは一緒に食事をしません。自分の部屋でこっそり食べます)

ダイエット薬にもかなりの金額を注ぎ込んでいる。

もう止めたいが、かれこれ三年程こんな生活なのですっかり習慣になってしまったのか、止められない!!

でも、もしも過食が直ったら、ここでご報告します。。゚+.(・∀・)゚+.゚
そしてその暁には、同じく過食で悩める方を強制的に、無理やり、ひっぱたいてでも治します。(゚∀゚ゞ)
ただし、吐く方はご遠慮下さいね。