1月28日20時32分、たった一人の家族である母が97歳の生を終えました。
1週間前に肺炎で入院して、しばらくは呼吸が苦しそうで見ているのも辛かったですが、肺炎は改善されていきました。
でも腎臓の機能が働かなくなって静かに穏やかに旅立ちました。
12月に施設でコロナ感染して、その時も危ない状態までいきましたが、奇跡的に回復。
今回はコロナの影響はないということでした。
兄、主人、姉、父とみんなお空の上に・・・
母も逝ってしまいました。
12月に出来たばかりの家族葬ホールで30日に亡き姉の子の甥たちに助けられ無事に葬儀を終えました。
明るく、優しい母でした。
大正生まれです。
戦時中は韓国にいました。
引き上げて帰国後、大阪の大きな会社で働いてたようです。
その頃の写真
裏に母の名前と18才と書いてありました。
娘の私から見ても「可愛い」と思います。
母の死化粧した顔もとても綺麗でした。
9年ほど前から施設に入所して、3年前に今の施設に入所。
そこがとても楽しかったようで、遺影の写真は施設で見せる笑顔がいいなと思い、施設の方に写真をいただきました。
コロナや高齢で長く会えなかった母の兄弟たち(母は長女で、現在弟2人、妹2人います)が穏やかなニコニコ顔の母の写真を見てみんなが笑顔で見送ることが出来ました。
最期まで周りを笑顔いっぱいにする母でした。
とにかく私を一人にしないように長生きしてがんばってくれました。
もう充分がんばりました。
本当に感謝しかないです。
さて、一人になりましたが、甥っ子たちや周りの友人たちに助けられながら頑張って生きていきたいと思います。
数日バタバタでご飯だけあげるような日々だったので、今日はゆっくり散歩しました。
大和は母が入院してすぐとわママに預けています。
暖かくてゆっくり散歩出来ました