2009年7月のとある土曜日のこと
私は、和歌山に向かって出発していた。
朝の7時には車に乗り込み、五條市から橋本市まで繋がっている、京奈和道を使って、R24経由でJR和歌山駅に到着。
ちょっと本題の前に野暮用で立寄り、その後、私は単身、湯浅警察の刑事課へ向かったのだった。
実は、ある事件について、任意で出頭を求められていたのだ。
予想通り、阪和自動車道は途中から渋滞となり、10時には出頭しないといけなかった事から、手前の海南ICで下りる事を選択し、国道をひた走った。
そして、何とかジャスト10時に到着出来たのだ。
湯浅警察署は移転間もなく、こじんまりとした建物だった。
中に入り、受付で場所を尋ね、目的の刑事課に向かう。
そこには、土曜日のせいか皆ラフな出で立ちが多く見受けられたが、それぞれ慌ただしい様相だった。
その中から彼は「すーっと」私の前に現れたのだ。
それが、担当の刑事Kだ!
(ロボットではない。わからんだろな!?)
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(参考画像)
歳の頃は30代半ばだろうか、背はあまり高くはないが、ガタイのしっかりした、 いかにも柔道で「鍛え上げた」という感じと、「やんちゃ」してました、という顔付きをしている。
そんな彼に誘導され、個室に連れて行かれた。
まだ、新築の建物だからか、いかにも尋問を受ける、少し薄暗く、西陽が眩しい、それとは違い、明るく綺麗な場所だった。
部屋には、机とその上にノートパソコンが置いてあり、聞くと昔の刑事ドラマ(別の誰かが黙々と書いている)とは違って調書はそれで作成するらしい。
私は、対峙するように刑事Kと向き合い、2脚の椅子の奥側に座らされた。
私の逃げ道を極力遮断するのが狙いだろうか!?
刑事K
「少しバタバタしてるんで、また後日来てもらわなあかんかもよ、がんばるけど…」
私
「えーっ、車で3時間近くかけて来てんのに、勘弁してや!、何とか頑張ってもらわな」と懇願するように言い放つ。
別の事件が重なり、人手が足らないとか、なんとか…
そんな押し問答がありながら、事情聴取が続いて行く。
証拠押収品が持ち込まれ、これから私に対しての本格的な尋問が始まるのだ。
一気にかしこまり、緊張感が高まる。
刑事K
「これらの押収品について質問していきます。 先ずこのAについてやけど確実な特長はありますか?」
私
「ああっ、これについてはもう10年近く前の物で、先端を改造してる。元々の物とは付け替えていて、赤色だった物を黒く染めてるし、あと、これは全ての物に共通して言える事で、手元に黒のリングを装着してるわ。」
黒光りする、重厚で、口径の揃った証拠の品々は、改造を加えられ、能力を高めている。
どれも、ゴルゴが手入れをするが如く、相手を仕留めるために馴染むよう工夫が施されているのだ!
<img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/15fa03126576305bbe70d811fb083e20733b61b8.39.2.9.2.jpeg" alt="rblog-20170720100352-01.jpg" border="0" />
(イメージ画像)
こんなやり取りが、1時間の昼休憩をはさんで、証拠品の全て7点分、午後2時まで続いた。
しかし、昼の休憩はあっさりと流されたもので…
刑事K
「え〜っと、1時からまた始めるんで、すぐ近くに食べるとこがあるから適当に行って来て。」
私のイメージでは
事情聴取=カツ丼
<img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/8d84c01f7075b35ff7a69b28a608e43f3cab2b0e.39.2.9.2.jpeg" alt="rblog-20170720100352-02.jpg" border="0" />
(イメージ画像)
なのだが…
その思惑もガラガラと崩れていく。
“カツ丼食べたい!”
これも時代の流れなのか、情に訴えるやり方は通用しなくなって来たからなのか?
はたまたテレビの見すぎか?
でも、何故か寂しい…。
それはさておき、その後、証拠押収品の特長を表す部分を私が指差し、慎重に撮影が行われた。
その撮影には、未だにフィルム式のカメラを使っている。
デジカメでは、データを改ざん出来る可能性があるから、ダメなのだとか…。
こんな所は古臭いのだ。
一通り撮影も終わり、次は調書に目を通す。
刑事に文才は必要ないようで、小学生の作文と大して変わらない。
私はニヤニヤしながら読み終えた。
まあ、そんな事はさておき、一応、事実は抑えてあるのでOKを出した。
話は少し前に戻る…
とある日に
私と釣友M氏が和歌山県の有田川上流にある、山中の“二川ダム“へ釣りに行った事が始まりであった。
その日は天候が悪く、朝から雨模様。
釣り場へは、車を止めた場所からは程遠く、一旦離れれば昼食の時間まで戻らない。
車の往来も少なく、勿論、人通りなどこの天候では皆無の場所だった。
そんな状況で午前の釣りを終え、車へと戻った時の事。
朝より雨足が激しくなっていた。
急な登り坂をやっとの思いで登り切り、道路へ出た所、道を挟んだ車を見て、少し違和感を覚えた。
その違和感を明確にするため、車に近付くと、外へ出した覚えのないクーラーBOXが、車の脇に置かれていたのだ。
「誰や?クーラー出したままにしたんわ!、M氏出したか?」
釣友M氏にも確認したが、やはりおかしい。
鬱蒼とした山中!
心霊現象も疑ったが!?
更に近付き、運転席に目を向けると激しい雨水が車内に吹き込んでいる。
一瞬、状況を飲み込めなかった私は、この雨の中、窓を開け放ったまま車を後にした事を酷く後悔した。
しかし、朝から雨が降る中、どう考えても窓など開けるはずもなく…。
そう思った瞬間、状況が一気に飲み込めた。
ドアを開けると窓ガラスが割れ、車内中に散乱している。
車内が荒らされ、使わず残していた竿がケースごと、その他の道具、車検証も含めた私物がなくなっており、グチャグチャに貪(むさぼ)られていたのだ。
二人は現実を認識し状況を確認すると、釣り場の道具も引き上げ、帰り支度を急いだ。
その後、かなり離れた、最も近隣の交番へ駆け込み、被害届を出したのだった。
そして、山裾まで降りて見つけたホームセンター“コメリ”で、窓ガラスをカバーする半透明の樹脂シートや仮止めするテープを購入し、突貫工事を施し、降りしきる雨と視界の悪さと戦いながら、慎重にゆっくりと、複雑な思いで帰宅したのだ。
そして、それから凡そ一月後…
当時、大阪市西区に勤務していた私は、盗難にあった釣竿の代わりを探しに、会社に程近い“タックルベリー”という小規模ではあるが、50店舗以上系列店を全国に持つ、中古の釣具店に足を運んだ。
少し釣りについてうんちくん。
私のする釣りは、状況に応じて様々な長さの竿を使い分けないといけない。
長さも尺刻み(尺=約30cm)で短いもので1.8m~長くなると9mと約20種類程度あり、本格的に揃えると数10万円以上かかってしまう。
それだけに、泣け無しの小遣いを切り詰め、貯金をしては一本購入し、また貯まれば一本と、揃えるまでに10年以上もかけ、やっとの思いでこれまでに至った、それぞれに思い入れのある品々だった。
だから、それに代わる似たものを探し出せたとしても、また、新たに思い出を刻み込んで行かねばならない。
しかし、再び釣りを再開するには、最低限の種類を揃えねばならないのだ。
そんな思いを重ねて、私は幾らかの竿に目を向けていった。
何本かを見ている内に、気になる竿に目が止まる。
その竿は、22尺(6.6m)の長竿で、私の持っていた、最長寸の物と同じだった。
布製の竿袋に入れてあり、銘(めい)も書かれていた。
その名は『六華仙』
竿の名前まで同じである。
新品当時の定価が138,000円もする、高級釣竿だ。
なんと言う偶然なのかと、心を踊らせた私は、竿の程度を品定めしていく。
口栓も揃い、本体には、これと言った傷もなく、なかなか良好な品だった。
私の竿達と同じく握りの手前には、滑り止めのリングも付けられており、好感が持てた。
更に見ていくと、竿の先端の道糸を繋ぐ穂先の部分も、オリジナルから回転リリアンに変更されている。
これも同じだ!
更にリリアン部分が明るい赤で、あまりに目立つのが嫌な事から、黒に染め直している所まで同じだったのだ。
更に数カ所、見覚えのある特徴的な近似箇所が見つかり、私は、益々不思議に思い、頭が混乱し始めていた。
あまりに似ていたので、他の展示された竿にも目を向けてみると、盗難にあった竿達と同じ種類、同じ長さの物が何本も見つかったのである。
あまりの偶然に「もしや?」と思い、店員に事情を話し立会いの上で、私の盗難品との特徴を照らし合わせてもらった。
すると、店内にあった7種全てが盗難品と一致し、店側から警察へ通報してもらったのだ。
しかし、残念ながら何本かは既に販売されており、それらに関しては追跡不能で、戻る事はなかった。
盗られたのは、和歌山県の山奥。
しかし、見つかったのが大阪のそれも私の勤める、最も近隣の釣具店とは、こんな偶然があるだろうか?
こんなドラマな展開が待っていようとは、予想不可能な展開だった…
その後、捜査が進み犯人も逮捕され、今回の事象聴取となった訳なのだ!
そして話は戻り、再び湯浅署にて…。
次に被害届に移る。
その内容は、5月5日の事件当初に届を出した頃とは、別の特徴の証拠品が出てきたからに外ならない。
私も全てを記憶していた訳でもなく、多少の気の動転もあった。
後に帰宅して調べた時には、わかってはいたが…
当時検証してくれた親切な交番勤務のお巡りさんが「もし届に違いがあれば奈良までいこらないといけないこらなんで、きっちりと確認していこらいこら」というような事を呟いていたのと、まあ、出て来る事は100%ないものと思っていたので、多少の誤差はいいだろうと考えていたのだ。
時間はどんどん経過して行く。
それでも、仕方なく刑事Kと問答を繰り返した。
やっと、全ての調べと確認も終えると、自筆のサインと捺印を指示される。
しかし、印鑑などは持っていなく、人差し指で拇印を押す。
この行為は何度経験しても、特に刑事の前では、自身が犯罪者になった気分にさせられる。
とにかく、嫌なものだ。
その後、今後の説明を受ける。
刑事K
「今日はこれで帰ってもらって結構ずら、押収品に関してはまだ預からんといけんので、また連絡をいれるずんずらだけんど」と…。
私
「と言うことばってん、また受け取りにいかんといこらなあかんのんいこらいこらか?…」
時間の経過と共に襲って来る疲労と、色んな方言とが交錯し、錯乱していく。
まあ考えれば、捜査も終わってないのにそれは無理な事か?
ここで今返せと粘っても埒(らち)があかないので、仕方なく諦めた。
そして、竿達を残し、後ろ髪を引かれながら、湯浅警察を後にする。
帰路へと向かう道中、様々な事を考えた。
今回はまだ、近隣の県内で起こった事件だったが、被害に遭う場所も選ばねばと痛感したのだ。
被害にあっても、そこの所轄へ自費で足を運ばねばならない。
それも複数回である。
これが北海道や沖縄だったらと思うと。
その時は、全てを諦めたであろうが…
これだけの思いをしたのに
なんで?
せめて“カツ丼食べたい!”
食べさせろよ~!!。