指導教授が見つからずに袋小路に入っていた私は、すでに精神的な限界を越えていた。

 心労で論文が書けない。

 ますます袋小路に入って行く。

 とある時、ふとしたきっかけで新しい指導教授を紹介してもらう。

 研究室に来ても良いと言う。

 W大の教授だ、

 テストを受けたら受かった。

 そこまでが限界だ。

 入学しても通えなかった。

 長い躁うつ病の始まりとなる。

 よほど無理していたのだろう。