大学の友人に全てではないけど病気の事が言えただけで、僕の気持ち随分と楽になった。
あれから、奴らからはしょっちゅう電話がかかってくるようになった。
時には、差し入れを持ってきてくれたりもした。
(話せて良かった。。。)
心から、そう思った。
しかし、僕の人生を司る奴がいるとしたら、まだまだ僕に試練を与えるは、始まったばかりだった。
2月に入り、コンピュ-ター会社の社員(といっても彼だけなのだが…)から電話がかかってきた。
「Mさんと連絡取れませんか? こっちは全然ダメなんですよ。本当に困ちゃって!」
Mとは今年に入ってから何度か話をした。
仕事の方も順調にいっていて、今の取引先の以来で韓国に店を出したいからと、Mは年明けから韓国と日本を行ったり来たりしていた。
僕は、やれる事はやるようにしていたが、痛み止めとして強い解熱鎮静剤を飲んでいるのに熱が下がらなかったりして、動けない時の方が多かったため、退院してから、Mとはきちんと話をして当面の間、僕は経営権を放棄する事にした。
勿論できる仕事はやるつもりだが、いつ何時起るかわかない爆弾をかかえたままだといっその事、きちんと一線を引いた方が周りに迷惑をかける事が少ないと判断した為だった。
Mも快く引き受けてくれた。
その為、入院した時から父の会社からは、そしてその時からMの会社からも収入を得ることは断っていた。
ただ、時間のある時はどちらの仕事でもできる事はやらせてもらった。
『この前二人で会ったし、その後も電話で話したけど、ちゃんとつなったぞ。韓国の件は一段落したんだろ?』
「そうなんですけど。。。」
彼のただただ不安そうな声が携帯から聞こえてくる。
『わかった!電話してみるよ。つながったらかけ直す様に言っとく。』
といって電話を切って、直ぐにMの携帯に連絡をしたが確かにつながらなかった。
とりあえず、メールを携帯とコンピューターのアドレスの両方に入れて連絡を待つことにした。
どんなに忙しくても、メールチェックはかかさないだろうと確信していたからだ。
しかし、しばらくしてもMから連絡がくることはなかった。
共通の知人にも連絡をしたし、自宅にも連絡をいれたがMの居場所はわからなかった。
前に会った時に、「俺は頼まれれば何でも作れる自信はあるんだけど最近、人の物ばかり作っていても自分として楽しくないんだよね。」と言っていたMの言葉を思い出した。
技術者によくある事の一つだと思い、
『自分の作りたい物、作ってみればいいじゃん。俺が売りに行くよ。』
と言った事でその件は済んだものだと思っていた。
Mの家に行って自分の目をうたぐった!
Mの部屋は、家族共々もぬけの空だった。
Mが飛んだ!!(夜逃げしたのだった)
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