僕等が小・中・高校と教えられて来た歴史の知識。
実際に数十年経過した今ではかなり違う事実が判明して来てますね。
仁徳天皇陵→大仙陵古墳
聖徳太子→厩戸皇子
和同開珎→富本銭
大化の改新645年→乙巳の変(いっしのへん)646年
1192年鎌倉幕府→1185年
足利尊氏肖像→高師直
全然違うやん、、!!
従って古代の事なんて判らないですよね、、。
北九州に伝説が多く残る神功皇后は実在したかは不明なんだけど
後の応神天皇を産んだのが宇美神社。ざる籠に天皇を乗せてしょって
越えた峠が、「しょうけ越え」。
皇后が山に登って日が沈むのを「更にくれたり」と言った皿倉山。
洞海湾の奥で皇后が上陸したのが皇后崎(こうがさき)
大陸に遠征する船の帆を張る木を伐り出したのが帆柱山。
こんだけ伝説や地名が残っているのは、やはりその対象となる
人が居たんでしょうね!!
古代史1番の謎は、、やはり卑弥呼が居た「邪馬台国」は
何処なのさ!!って事かな。
いつも書いてるけど、邪馬台国が纏向箸墓でも全然良いんです。
だけど僕は邪馬台国は九州で生まれて、卑弥呼もそこに居た。
卑弥呼なんて個人名じゃないかも、、卑弥呼1号 2号、、。
で、どんどん東上して近畿で大和政権を作った説です。
だから近畿にも卑弥呼が居ても全然不自然じゃない。
あー古代史は夢が広がる!!
前置きが長くなりましたが、昨日テレビで高松塚古墳の壁画復元の
特集が放送されてました。(再放送かな)
御存じ高松塚古墳の壁画
ご覧の様に発見から時を経て壁画がカビに覆われた為に
なんと12年かけて補修を行ったそうです。
次の福岡県でも有名な装飾古墳を見て下さい。
竹原古墳(宮若市) 6世紀後半
王塚古墳(桂川町) 6世紀前半
高松塚古墳は西暦700年頃のものと推定されています。
九州の2つの装飾古墳はそこから100年さかのぼった6世紀の
ものです。
九州の2つの装飾は確かに色は綺麗ですが(当時の状態に復元してる)
何か宗教的な雰囲気も感じられますよね。
対して高松塚古墳の壁画は完全に絵画として描かれてます。
本当に古代の女性が美しく描かれています。
九州の王朝が関係していると思われる2つの壁画と
100年後の大和政権に関係するとみられる高松塚古墳の壁画。
この100年の間に日本で何が起きて何が変わったのか?
大陸からの文化や技術もどんどん入って来て色んな
革新があったんでしょうね。
タイムマシン貸してくれー!!












