ブロ友さんが「日本神話」について記事にされてて、初代の神武天皇に
ついては神話として残ってる話ばかりで信憑性についても全く
不明な部分が多いですよね。
(神武天皇)お借りしています。
古事記が712年、日本書記が720年に編纂されますが、卑弥呼が
238年に大陸の魏へ使いを出して、日本の王として「親魏倭王」の金印を
受けた(但し見つかっていない)話からするとこれは初代天皇より
前の話である事が分かります。
さらに福岡市博物館にある金印、「漢委奴国王印」は西暦57年に奴国王に
贈られたもので、卑弥呼に贈られた倭王ではありません。
従って卑弥呼以前は日本に統一国家は無かったと考えられます。

(卑弥呼)お借りしました。 やはり卑弥呼は天照なのかな??
日本書記や古事記では神武天皇は天照の5世孫になっています。
日本を統一しているのですから、神武天皇が実在ならば、卑弥呼より後の時代の
人物と見るのが自然ですよね。
卑弥呼が魏へ使いを送って以降、266年に再び大陸へ使いを送って
いますが、この時の王は卑弥呼の後継者の台与(とよ)と言われています。

(台与)お借りしました。
実はそれ以降、413年に大陸の東晋へ日本から使者が使わされるまで
150年間は大陸の書物に日本に関する記述が出て来ません。
この150年が日本史の空白期間になります。
413年に大陸へ使者を送ったのは「倭の五王」の時代と言われています。
この大陸の記録に何も出てこない150年の間に倭国が新たな勢力により
統一されて大和朝廷の基盤を作り上げられのではないでしょうか?

雄略天皇が21代なんですが、実はその後の25代武烈天皇までは
実在が確認されていません。※居たのではないか?と言う説の天皇も居ます。
26代の継体天皇からは実在が確認されています。
では神武東征とも呼ばれている日向から宇佐、北九州を通り近畿を統一した
神武天皇をリーダーとする勢力とは?
やはり大陸から馬を連れて渡って来た渡来人と言う事になりますね。
魏の記録で邪馬台国には馬や牛がいないとなっています。
ですから馬を連れた民族って事なんでしょうね。
この空白の150年の間に大きく変わった事は、、。
①それまで金印や大陸の古銭しか無かった漢字が使われるようになった
②それまでの銅に代わって鉄が使われるようになった
③古墳の形が円墳などから前方後円墳が造られるようになった
不思議なのは、古代中国の記録に残っているのに
邪馬台国と言う記述が日本の記録に何一つ出て来ない事ですね。
しかも倭国を統一する位の勢力を誇ったのに何故になにも
記録が無い、、。
700年代になってようやく古事記や日本書記に神武天皇として
ぼんやりと歴史書として描かれたのは何故なのか?
414年に造られた高句麗(今の北朝鮮から中国北部を支配)の好太王の
碑には倭国が高句麗に攻めてきたと記録されています。
これは神功皇后(架空の人、14代仲哀天皇の皇后)の大陸出兵と
何かの関わりが有るのか?
まだまだ調べて勉強します。