あるひととの関係も、すこしずつ落ち着きをとりもどしはじめました。

やっぱりパリにいけたのがよかったようで、ずいぶん、自分自身が開放的な性格になることがわかりましたし、

それまではずっと日本で、あるひとを想っては泣き暮らしていたところがありました。

(これではいけないとは思っていたのですが)

パリの美しい街並みや芸術文化の香りに触れられたことで、「あるひと」の面影や、そこに憧れていた自分の甘えを

置いてくることができ、なにか、ひとつ、ふっきれたような気がしています。やっとすこしだけ大人になれた、ということでしょうか。


あるひとについては、周辺からいろいろ人となりをきくことが出来ました。

わたしなどは、全然足元にも及ぶようなひとではありませんでした。

年は17歳違いますが、実際はもっともっと違うような気がしています。

あるひとは、わたしのことを、きっと「ばかな子だなぁ」と思っているにちがいありません(^-^)


ある朝、あるひとが、ふと机の上に本を載せていて、

びっくりしました。__高橋和己の「わが解体」という本を読んでいたのです。

私は「悲の器」を読んだことがあるくらいで、高橋和己という人はほとんど知りません。

でも高橋和己の世界観は、ほんのりとですが、理解しているつもりです。


あるひとは、ときどき、とても複雑な心理のもち主なのではないか、と思えるときがあるのですが、

その一端が、「わが解体」という本にひそんでいるように思えます。


とても、とても、大きな山が目の前にそびえ立っているような気がします。

恋愛感情を切り抜けて、こんどは、どんな感情を、あるひとに対して思っていったらいいのだろう、と

思案しているところです。




とある芝居を先日観に行きましたら、あるひともきていました。

「神さま、どうぞこの芝居をあるひとがみにきていますように!」と祈っていたら、

本当に現れたのでビックリしました。あるひともとてもうれしそうでした。だから余計にうれしかったです。


奥様もご一緒でした。「いつも、うちのやつと芝居は観にくるんだよ」と、あるひとが照れくさそうに話されていました。

でも、私は笑顔で奥様にご挨拶をしました。奥様も笑顔でした。


小柄で、華奢で、(大柄なわたしとはぜんぜん違いました)髪の長い方でした。

ずっとあるひとは、奥様の手をとり、荷物をもってあげ、やさしくエスコートしていました。

なぜだか、それをみて、くやしいような、かなしいような、あたたかい気持になるような・・・

ぐしゃぐしゃとした思いがつのるのでした。


芝居自体はとてもすばらしく、感動し、また明日への勇気がわいてくるものでした。

あるひとへの思いも、愛情をもっていていいのだ、と背中を押してくれるような気がしました。

献身的な愛情というものも、尊敬という思いの大切さも、その芝居の中でずっと語ってくれていたのでした。


観終わった後、ずっとあるひとが私に感想を語ってくれました。この芝居が大好きなのでした。

「君はよく劇場へ来るの?」というので、「ええ。学生時代からよくきておりました」と話したら、

「君はこういう街で、芝居をみてきたのか・・」と感慨深げに呟くのでした。


あるひとの気持が、ほんのりとわかるような気がしました。それだけでもとてもうれしかった一日でした。


そのとき、「CODE46」という映画を、あるひとへおすすめしました。


先日CSフジで放送したのを偶然みたのですが、いまの自分の戸惑いや苦しみ、

あるひとへの思いをすべて代弁してくれるかのような映画でした。

あるひとと、ティム・ロビンスのまなざしが、まったく似ていることにずっと驚いてしまっていました。


「観てみるよ、『CODE46』」と、あるひとはこたえてくれました。


明日から、私はパリに行ってきます。

先日、メールを貰ってから、いえ、あるいはずっと前から、

あるひとへの思いを、うまく自分の中で昇華することができたら、と思っていました。

それで、パリにいこう、と思ったのでした。


観劇の幕間で、あるひとへそのことを報告しました。

あるひとは、「パリか・・ぼくも行きたい」と呟いていました。「ゆっくり休んでくるのだよ」

あたたかい、そして力強い声で励ましてくれました。

あるひとが、そうおもってくれるだけで、いまの私には十分なのだとおもいます。






きのうは、ずっと風邪をひいて寝込んでしまいました。38℃の高熱にうなされて、全身いたくてけだるくて、

不思議な感触を味わう一日となりました。


そして、夜には、いわゆる「転覆」というやつがおきました。これが起きると本当にやっかいです。

まず息がまったくできなくなります。鼻がつまっているのもさらに苦しいのですが、まったく

口ですら息が吸えなくなるんですね。

それから、体全身がこわばって、ひきつれた状態になります。ずっと両手は上にあがったまま。

なんだかお能をしているような状態なのですが、本人の中では、両手を下に下げたくとも

できないんですね。筋肉ががちがちになってしまい、転覆がおきると、本当に体力を使い果たすと

いった感じです。


でも、旦那がいっしょうけんめい、背中をさすってくれました。しばらくしてくると、安心して、

気が付くとすやすや休んでおりました。


この病気の人は転覆が置きやすくて、それがとても苦しかったりするのですが、

おちついて、自分と周囲を信じて、がんばっていれば、かならず克服できるものなので

がんばりましょう!

やはり、心因性でもなく、病気でもなく、シンプルに「愛情」だったのだ、ということを

感じることになりました。


映画「眉山」という映画を、つい最近見ることができたのですが、

すごくショックが大きくて、しばらく立ち直れなくなりました。

私が、ずっと「あるひと」に対して抱いていた思いが、ずっと科白となって現れるのでした。

「お会いしたい。なぜか知らないけれど、お会いしたい。」とずっと思っていました。

「早く明日になるといい。そうすれば、お目にかかれて、私は元気になります」と、

ずっと、あるひとにメールや手紙に書き綴っていたのです。いまとなっては恥ずかしいことかもしれません。


あるひとが、出張にいくたびに、仕事でものすごく難しい局面に立たされたとき、

私のこころははちきれそうにつらく、体中はずきずきと痛み、涙がなぜかあふれてとまらなくなるのでした。

それを正直に話し、医師にも相談していました。ずっと病気だと思っていましたから。


そのたびに、「ぼくにそういう思いをもってはいけない」と諭されました。

なぜなのだろう、とおもっていました。

でも、それは、「愛情」だったのだ、ということを、映画をみて初めて知りました。

私もおとなになったつもりだし、人を愛したことがあったつもりでいましたが、

ぜんぜん、私は人というものを愛したことがなかったのだと思いました。

「あるひと」を、私はずっと愛していたのだ、と自分自身で悟ったときに、

ショックで、涙で、言葉がでなくなりました。


そして、「あるひと」への思いも、断ち切らなくてはならないのだろう、といまはおもっています。

それがずっと「あるひと」を苦しめていたことを、ようやく私自身が気づいたからです。


「あるひと」がおととい、ようやくメールをくれました。

「君のそうした気持が、僕の心には負担になります。理解してください」

短い言葉でしたが、「あるひと」の葛藤と苦しみをずっと表しているようでした。


まさか、私に対して、そう思ってくれているとは思いませんでした。

ずっと仕事で忙しく、仕事がずっと「あるひと」へのプレッシャーになっているとおもっていたので、

私自身が、「あるひと」への負担になっているとは夢にも思わなかったのです。


たしかに、わたしはその人を愛してはいけないし、「あるひと」も、私を愛するわけにはいきません。

それは大きな罪になるからです。


すこしずつ、わたしも自分を取り戻しつつあります。思いの正体がわかったからには、

すこしずつ、「あるひと」に頼らず、信頼しつつも尊敬し、でも、冷静になっていかなくてはならないと思います。

この体中のふるえるような痛みも、すこしずつやわらいでいくように思います。


「あるひと」へ 

ほんとうにごめんなさい。

ごめんなさい。

ごめんなさい。



ずっとインタビューしたい、したい、とおもっていた「あるひと」のことですが、諸般の事情でやはりむずかしくなりそうです・・・。


理由はいろいろあります。まず、私がとても接近しすぎたこと。そして、その「あるひと」のことを尊敬しすぎたこと。その人の声をたよりにしすぎたこと。実はわたしはメンタルな病気を抱えているのですが、そのひとの声をきいたり、顔をみたりするとすごく安心するのです。それで、ずっと下記のような形で相談したり、頼っていたりしたのですが・・・。


それが、「もう頼ってはいけない。絶対に話をしてもいけない」ということになりました。親まで呼び出されて、病気のことも含めて、してはいけない話までして、すごくかなしい結果となりました。


はじめはすごくショックで、かなしくて、(ほんとうはいけないのですが)自棄酒を飲んでいました。


でも、このひととの関係については、ずっと悩んでいました。この人の声をきくと、(私の病気に関する薬はすごく副作用がつよいのですが)ぴたりと治ります。そして、この人がずっと(仕事などの関係で)どこか遠いところに行くと、なぜか私の具合がすごく悪くなるのです。あとで聞くと、この人が、仕事ですごく大変な眼にあっていたからだというのです。ぞっとしました。いったい、なぜこんなことになるのだろうと思っていました。


でも、それは副作用ではなく、医師の先生によれば、「心因性によるものだ」ということになりました。その人の顔をみて、症状が治まるというのは、実は、病理学的ににはおかしなことだそうです。普通はその存在は「家族」に求めるのだといいます。しかし、私の場合は「ある人」なのです。


この人の写真もよく撮りました。仕事の関係でこの人の写真を撮らなくてはいけなくなったのです。ところが、いつも写真はあまり上手には撮れないのでした。ピンボケになってしまったり、逆光になってしまったり・・・なぜか、なぜかです。もうずっとこの人のことを撮りつづけているのに、なぜかうまくいかないのです。そして、このひとのいろいろな表情を撮りました。ときに穏やかなのですが、ときおり、ぞっとするような、鬼のような顔をしているときもありました。私は、ファインダー越しにこの人の表情を眺めていて、思わず身のすくむような思いをしたことがあります・・・。写真というのは、なにものでもなく、その人の「真実」を映し出してしまうのだ、と思った瞬間でした。


この人と、いつもいろんな話をしました。大きな話もあれば、ささやかな話もありました。芝居の話もしたり、映画の話もしたり、あるいは仕事の厳しい話もいろいろしました。そして、人生における、私の価値観もふくめて大事な話をしました。でもそれを、いつも私は、「にぃにぃ」にお話する、というつもりで話していました。


それがいけない、ということでした。もっと強く、雄々しく、そしてビジネスライクに話さねばいけないというのです・・・。でも、それを他の人には(どんなにそれが偉い人でもです)はなせるのに、この人にはうまく伝えられません。


この人自身も、私にそんな強いショックを受ける話をするのに、そして、ビジネスライクな話を自分から伝えることはできません。私に「もっと強くなれ」というのに、私と話すときは、いつも、こどものようなお話をしたり、もっとも自分の弱い一面を話すのです。それがどこまでその人の本音なのかわかりません。でも私はそれをずっと信じていて、そこから得られる「かれ」の一面を見ていてい、どうしていいか、わからなくなりました。


その人に依存しないために、どうしたらいいのか・・・いま、それだけを考えつづけています。

こうして書くことで、すこしずつ、自分の気持に折り合いをつけていけたらいいなぁ、と考えています。

おゆるしください。





「ある人」とは違う、別の上司の人が一週間夏休みで、わたしがそのお留守番をあずかることになりました。


朝からてんてこまいな一週間。取材の申し込みはよくしていたものの、逆にマスコミからの取材の受け付けをしたり、

ベテラン記者さんの対応をしたり、お客様からの様々なご要望にお答えしたり。

今まで未知数だった仕事も体験できて、なかなか刺激的な一週間となりました。


始めはどうなることやら・・・(実はこの部署、ふたりしかいないので)と心配していたのですが、

なんとか無事にこなせて金曜日を迎えたところ、

別の上司の方が「一週間、お留守番よくがんばったね。ごくろうさま」と言ってくれたので、すごく嬉しくなりました!


いままで、自分ひとりで一体何ができるのだろう?と思っていたのですが、

意外にパワーってでてくるものなのですね。ちいさいけれど、自信ができました。


夜は、会社の同期と久々に飲みました。大好きな映画の話、役者さんの話、仕事で悩んでいること、

将来の夢・・さまざまな思いを、屈託なく話せる仲間たち。すごく幸せな一週間をすごすことができました。


明日は歌舞伎座に行ってきます!こちらも幸せな体験ができますように。


この方とのご縁は、実はとてもとても・・・最近できたものです。

2年ほど前になりますが、同じ部署になりまして、なんというか・・・


そのフロアの雰囲気が一新してしまったんですね!


それまでは、わりと、私のいるフロアは、のんびりしており、(もうちょっと仕事の仕様があると思うんだけど・・・)

と思いながら、でも、みんな自分の仕事以外のことには関知せず、という感じですごしていたのです。

ところが、その方が来てから、「こういうところ、ちょっと工夫してみよう!」「こことここ、もうちょっと協力しあってね」

という感じで、風通しがよくなり始め・・・で、いまなんだか、いい雰囲気になってきたんですね。

てきぱき働いていて、とても気持のいいオフィス、元気なオフィスになってきたんです。


それって、すごいことなんですね。私にとっても。周囲の人にとっても。


それから・・・その人は、とても「人の話をよく聞くひと」なのですね。すごく忙しいから、私の話などきけないだろう、

と思っているんですけれど、「でも、いいよ!」と聞いてくれるんですね。それでダメならダメ、とはっきり言う。

そう言われたら、すごく納得できてしまうんですね。なんというか、懐が深いというのか・・。


でも・・・「こういうことなんじゃないかと思いますけど」と、勇気を出してお話してみると、

あとで「わかった。なんとかがんばってみるね」と言ってくれるんですね。ビックリします。

こういうひとって初めてみたなぁ・・・・、と思っています。

きっと、みんなにもそういう風に話してあげるから、安心して、みんなついてゆくんだろう、と思います。


それまでは、周りの人に相談すらできなかったところがあるのですが、

この方に最初に相談したおかげで、周囲のひとにも、すこしずつ自分の苦労や考えていることを

話せるようになってきました。

率直に話してみると、「それは考えが甘い」とか「それはやってることが凄い」と返ってくる。

でもすごく、自分のなやみを判ってくれるようになったんです。

急に「なかま」が増えたんですね。


それって、私の人生にとって、すごいことで・・・。


で、私はついに、その方に言ってしまいました。

「私にとっての“にぃにぃ”です!」


“にぃにぃ”というのは、映画「涙そうそう」に登場する、妻夫木聡さんのことなんですが、

「そうかい?じゃ、ぼくはお兄ちゃんなのかい」とニッコリ。


言うのはすごく気恥ずかしかったんですけれど・・・・


やったー!ついに言ってしまいました(^^) 


映画もとても面白いので、ぜひ、たくさんの方に見ていただきたいです。
















ogataken 緒形さんが表紙で登場!やっぱり渋い!かっこいいですね!


227ページには、「あの人の私物チャリティーオークション」として、緒形さんの書が出されております。

いつ見ても、本当に素敵な字でいらっしゃいます。


そして、この度モントリオール映画祭で「長い散歩」が見事グランプリ・国際批評家連盟賞・エキュメニック賞を受賞!

12月ロードショーということですが、もっと沢山の人に見てもらいたいですね!(^^)


9月8日(金)の読売新聞夕刊に、海老蔵さんの「出口のない海」に関するインタビューが出ました。

詳しくはこちらから。


http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/cinema/topics/20060908et06.htm


インタビューアーは、名映画記者として鳴らした福永聖二さん。映画マスコミにもどう受け入れられるのか、

とても案じておりましたが、まずは好印象を持っていただいたようですね。


人間魚雷の存在を当たり前として語る歴史の証言に、海老蔵さん自身も圧倒される思いでいらしたのだろうと感じます。

日経夕刊にも「出口のない海」の批評が出ましたが、こちらも好意的な批評がでました。「海老蔵の存在感が凄い」・・って、

そりゃ当たり前です!(^-^)でも映画で初めて見た人は、ビックリするかもしれませんね。

ぜひこれを機会に映画出演も増やしていっていただきたいと思います。


11日(月)からは、16日の舞台挨拶のチケットも売り出すとか。観に行くのは難しそうですが、

たくさんの方に見ていただきたいものです。