こんにちはひらめき





久しぶりの投稿です。





母親が亡くなって、もう直ぐ四十九日知らんぷり





1人暮らしになった父親が心配で、あまり母親の死を悲しみつくす心境にならないです。





男性が晩年に1人残されると、切ないものですね不安




父親もうつ病にならなきゃいいけど、冬あたりが怪しいですね。





さて、お題の、





善意と余計なお世話の違いについて。





はい、私、暇になりましてひらめき






何かやりたい気持ちがすごいのです。





とりあえず、ボランティアの登録と、料理修行のためのバイトはそれぞれ週一でやっていますが、、、、。





それでも暇なのです。





一つボランティアをやりたいことがあります。





小1の長男がいるのですが、放課後に友達と遊ぶにもまだかなり暑い、、、





また、1年生は帰宅が早いので、帰ってくると孫がYouTubeばかり見てしまうと嘆いている、おじいちゃんもいます。





だから、、、、、





小学校低学年の子たち向けに、公民館を週一くらい解放したらどうかと思っています。





もちろん暇な私が付き合います。





ただこれが、周りの人には余計なお世話でしかない気がしてならないのです。





私は、名案じゃない⁈って思うのですが、、、、





地区PTAの方と、区長さんに話を持っていく勇気が出ません。





実際、子供が来るかわかりませんし。





人と違ったことをする人、慈善事業をしたい人は、こういう気持ちを乗り越えて、エイッと始められるのかなぁ?と思います。





きっと。

失敗してもいっか。ということなんですよね。





ひゃあ〜、勇気がない‼️泣き笑い