ryokoのブログ

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 仕事を辞めたので家にいる。家といっても、娘の離婚問題が解決していないので、母の家に娘とともに居候をしているので、その「家」だ。

 母とテレビをみていたところ、孟子の「性善説」で人間をみるか、荀子の「性悪説」で人間をみるか、という討論をしていた。

 これまで、どちらかというと私は「性悪説」で人間をみるところがあった。しかし、婿殿に関しては、娘が選んだ人だから、と、気にいらないところが多々あっても「性善説」でみようとしていた。当然のことながら、娘自身は好きで結婚した相手を信頼していたわけであるから「性善説」で婿殿をみていたわけだ。

 しかし、離婚問題でもめ始めると、そのような「性善説」は全く通用しないことがわかった。二人は共働きであり、共通の支出をするための家計口座に、それぞれの収入に応じて必要な額を納め、それ以外のお金は自分の小遣いであったり預金であったりしていた。

 婿殿は金遣いが荒く、貯金は極めて少ない。金遣いが荒いといっても、いわゆる賭け事にお金を費やす、というのではなく、仕事に関連するDVDや書籍を購入したり、PC関係の物品を購入したりすることに使っている。仕事に関連するDVDや書籍だから、よいではないか、と思われるかもしれないが、その額は半端なものではない。また、自分の能力に自信がないから購入し、安心ているのか?と思える面もある。

 このたび、離婚協議をするにあたり、婚姻期間中の預貯金は共有財産とみなされ、娘が洋服も買わず遊びにもいかず、節約をしてためていた娘名義の預貯金も半分は婿殿が権利を主張できると知り、驚愕した。

 それを知った娘の結論、どんどん使えばよかった、店舗兼自宅をもつために一生懸命自己資金をためて、自分のローンの負担額を少なくするべく努力をしたが、それは無駄だった、二度と結婚なんかしない、である。

 このことについて、否定はすることができない。私は夫とうまくはいっていないが、夫と仮に離婚をすることになったとしても、30年以上一緒に生活をしてきた経験や、今の娘に対するサポートの状況から、こういった金銭問題でもめることはない、と断言できる。その点で、夫のことはある意味「性善説」でみることができる。だから、全員がそうである、というわけではないが、疑念が残る人のことを「性善説」でみるのはやめようと心に誓った。一人娘である娘には、このままずっと独身で一人で生きてほしいとは思っていない。特に年齢を重ねていったときに、人生を一緒に過ごせるパートナーを見つけてほしいと心から願っている。しかし、結婚という形態をとることには慎重にならないといけない、そう強く思う。