木に触れろ!
「あなたの新しい車、とっても素敵ね」と、エジプト人の友人の新車をほめると、彼はちょっと困った顔をして、「タッチュー」と呟きました。「タッチュー?」「Touch woodっていったのさ、あのね、前から君に注意しょうと思ってたんだが、この国では人の持ち物をやたらと誉めちゃいけないんだよ」「えっ?ほめちゃいけない?」ほめる事は良い事だと、教えられて育ってきた私にとって、この友人の言葉はちょっと衝撃でした。「どうして、ほめちゃいけないの?良い車だから、良いって言っただけなのに」「日本にはいないんだろうけど、この国にはいるからさ」いったい何がいるのだろう?人が人をほめる事を、阻むものとはなんなのでしょう?「邪の目さ。人が他人の持ち物を誉めるとき、そこには妬みの心が生じる。その妬みが、人に不幸をもたらすのさ。だから、この国では人の物をめったやたらとほめたりしちゃいけないんだよ。裕福な日本の国にはいないからか、日本人てのはやたらとほめるから困るよ。だから僕はしかたなく、タッチューと言って、君からの邪気を木に流したのさ」「邪気を木に流す?なんで木になの?」「わかんないけど、英語だと木に触れろって昔から言うのさ」家に帰って英和辞書で調べてみると、友人の言ったことがちゃんと載っていた。「解説:自慢などをしたあとで、たたりなどを恐れて手近にある木製品に触れたり、たたいたりすること;動作を伴わないでこの言葉だけを発するだけの場合も多い」アラビア語にも英語にもあると言うことは、この言葉の語源は、古代エジプトに端を発するのでしょうかね。古代エジプトでは鷹の顔を持つ神様の目の形を模った、ホルスの目、もしくはウジャドの目と呼ばれていた護符がよく使われていました。現在までに残る神殿や墓の壁にも描かれているし、発掘された墓からも多数出土しているので、博物館で見ることができます。魔よけとして用いられ、ネックレスにして首にかけたり、壁に描かれたりしていました。エジプトのお隣トルコにも、目の形のお守りがあり、邪の目返しと言われています。西洋や中東、そしてインドでもそのような表現が存在するのに、日本ではあまり聞かないと言うことは、日本人の目は邪気を発するには貧弱すぎると言うことでしょうかね。ここエジプトの人達は、大きくてとても魅力的な目をしています。確かに、あんな迫力的な目で妬まれたら、凄みがあると思いますよ。日本では「目は口ほどに物も言う」と言うけれど、エジプト女性は、自分から好きな男性に声をかけるなんて言う事がご法度なので、目で訴えるしかなく、なので、それ以上の役割があるのです。そのせいか、エジプト人女性の目は、男性以上に迫力があるし、美しい。大きな目に、濃くて長い睫毛が生えているのです。まるで、お人形のような目なのに、その上にマスカラをつけたり、アイシャドーを塗ったりするのですよ。アイシャドーは、虫除けとして目元に塗られたのが始まりとされ、古代エジプトでも男女ともに塗っていました。世界で最初にアイシャドーを塗り出した国の末裔だけあって、ごてごてと塗りたくっても、それがサマになっていますね。そんな迫力満点の目を駆使して、好きな男性に目線を投げかけ、気を引くのだから、目力が強くなるのも当たり前ですかね。この国では、目力が人の心をつかんだり、人に災いをもたらしたりすると言うのも、あのエジプト人達の迫力ある大きな目を見ていると、なんだか納得できる気がします。エジプト人から見ると、日本女性の小さな目はとても純粋で幼く見えるそうです。だから、日本女性は皆が真面目でおとなしいと思っているエジプト人が多いです。エジプト人男性の中には、セックスアピールの強すぎるエジプト人女性の目を嫌って、日本人女性を好む男性もいます。彼等は幼い目をした女性はおとなしく、従順で純粋だと思いこんでいるのですよ。「幼くて、か弱そうな目をしていても、したたかな遊び人の日本女性はたくさんいるわよ」と彼等に話したところで、信じようとしません。ちなみに、人の物をめったやたらとほめちゃいけないと言うエジプト人男性達は、こと女性に関してはほめまくります。女性は、ほめられるのが大好きだから、ほめるのは男の義務だそうです。 そこには、邪の目は存在しなくても、色の目が確かに存在していますよね。