アンニョンハセヨ。

Yomogimusi&Linpathy 

Herb です。

私にとって命の大事さを

経験した出来事。

忘れてはいけない経験。




28年前の1.17 5時46分。

私は高3 、妹は中3、双子は小6

姉は大学で東京へ。


大震災がおこった1週間前位から小さな地震が

何度もあった。

1.16の晩、東京の大学に行ってる姉と

電話で話をした。

その日、体調も悪く熱もあったので

早めに休んだ。


1.17 5時46分。

地面の底から聞いたこともない音。

ゴゴゴーーーッ❗️

未だに耳から離れない音。

その後、

上に突き上げられて横に揺れた。

本棚の本が寝てる私を叩きつけた。

怖くて布団に潜ったが、

家族が心配で起きて見に行った。

家が傾いていて真っ直ぐ歩けない。

タンスが倒れアボジが背中で支えて

妹達を助け出した。

皆んな無事だった。

一つのベットに集まり余震が落ち着くまで

ジッーと待っていた。

アボジが大声で、大変な事になってるわ!!


窓の外を見たら4階のビルが2階になっていた。

とりあえず、外に出ようと思ったが

階段が無い。。崩れ落ちてる。

一階に毛布を全部投げて

カーテンを繋げて二階の窓からカーテンをつたって

必死に降りた。


崩れた玄関から靴やスリッパを取り出し

何とか外に出る事ができた。

空を見上げたら真っ暗な雲、、

家は1丁目、アボジの工場は5丁目

5丁目から黒い煙と灰が舞っていて

家まで風で流れてきた。

その風景が『ホタルの墓』の様だった。


避難しようとしたが、

あちこちの家が倒れてなかなか進まない。

戦場といってもおかしく無い。

血を流した人、泣き叫んでる人。

このままどうなるの??住む家も無い。学校もいけない。水も食べ物も無い。

凄く寒かったので毛布に包まりながら

避難所へ歩いて行った。

今でも鮮明に焼きついている。


避難所はいっぱいで入れず、車の中で3日間

過ごした。寒くて寒くて。

街は燃え尽きて、あちこちで小さな火の塊が

ポツポツとあった。

焼け野原を見ながら

目の前真っ暗になった。

泣きすぎて涙も枯れていた。

3日後、体育館で場所を確保して、

避難生活が始まった。

賞味期限の切れた、パンやおにぎりが

物資で届いたが、それさえもありがたかった。

自衛隊が簡易風呂を出してくれたりと。

日が経つにつれて、温かいスープやお弁当なども

物資でいただけた。


避難生活も辛い日々。

書ききれない。。



親の世代は、今まさに、私たちと同じ年代。

子供達を、育てながら災害が起きた時にどうやって守るのか?考えさせられた。

子供達には、小さい時から写真を見せて

伝えている。

今ある幸せが当たり前では無い。


私の人生の中で、どん底に落ちたあの日。

あの日から這い上がるしか無い私の人生。

無事であった事に日々感謝して

一生懸命に生きよう。