私にとってもおそらく広島県民にとっても忘れられない事が起きた。
「広島大規模土砂災害」
9月10日現在で死者73名・行方不明者が1名
広島県は災害が少ない。
台風が来そうでも来ない。
見えない力で守られている。
私もそう思っていた。ただ今回の土砂災害で見方は変わった。
準備を怠った人も正直いるのではないかと少し思っている。
土砂災害が起こる少し前から広島では雨が降り続いていた。
「梅雨だからなー」と軽く自分自身感じていた。
それでも毎年に比べたら強い雨。止まない雨。
そして8・20を迎えテレビを観て唖然とした。
「なんだこれは」
率直に思った。普段いつまでも眠たい私のまぶたは一気に開き、テレビに映し出された映像ただただ見つめていた。
それからは毎日のように状況がテレビで伝えられた。
死者が増え行方不明者が減る。
そんな災害が私の実家の区域の安佐南区・及び安佐北区で起こったのだ。
しかし私は心で思うばかりでボランティアという発想は出てこなかった。
少し日が経ち、映し出された被害にあった場所。
そこに映った場所は私にも大変関係があるところだった。
すぐさま実家に連絡をして確認をする。
間違いなかった。
今回の土砂災害でおじいちゃんの墓が流されてしまった。
私は自分の目でその状況を見たくなった。
遅いながらボランティアとしてではなく見届けようと私は実家に車を走らせた。
9月7日(日)
空は晴天・気温は30度前後だったであろう。
さすがに災害現場には車では近づけないので知人の車屋さんに連絡をして駐車場を拝借した。
その車屋さんの駐車場にすでに今回の災害の脅威を垣間見た。
車が土にまみれ壊れていた。
これはまだ良い方なのだろうと感じ、先祖の墓へ歩を進めた。
少し住宅地の中を歩くと子供2人と遊ぶお母さんがいた。
私がジャージ姿だったからなのか少し申し訳なさそうに
「こんにちわ」
胸にグッときた。
ごめんなさい。ボランティアじゃないんです。そこまで伝えることもできずこちらも「こんにちわ」 胸が痛かった。
何組かの人と遭遇するがみんな挨拶をしてくれる。
きっと思いは1つなのだろう。
「なんとかしよう」「何かをしよう」
さらに進み、駐車場から10分ほど歩くと墓があった緑井墓苑の前まできた。
そこで言葉を無くした。
いつもこの横の細道を通って墓参りに行っていたがその道は一階部分が潰れた家で通れない。
画像じゃわからないがこの土の山は2つあり、その間には土手があったのでそこを飛んで越えるしかなかった。
この一階部分が潰れてしまった家族の方はみんな亡くなってしまったと話を聞いた。
家の横を通る時には干したままの洗濯物・傾いた仏壇・そして生活排水が流れていたのだろう。下水を流れる排泄物のような匂いがした。
この家の横に土砂で流れたことによって開けたスペースがありそこから墓へ通じる舗装された山道に続いてた。
少し傾斜がきつい上り坂。
所々、道が崩れていた。
木々も何本も倒れていて自然の恐ろしさをひしひしと感じていた。
その坂を3分ほど歩くと本来なら墓の駐車場があった場所が
流れ倒された木・そして流された無数の墓石でせき止められていた。
この参拝者の前にはお寺からの言葉も書かれていた。
「お参り御苦労様です。ご覧の状況ですのでこちらでお参り下さいませ」と。
それでも自分の目で見たかったのでこの画像の左に少し足場は悪いが上がれそうな場所があったのであがった。
そこで息を飲んだ。
正直、今から開拓しようと計画立てている場所かと思うほどでした。
画像を見るだけじゃここが墓地でしたなんてわかりません。
お寺からの言葉の横にはどこに誰のお墓があったか墓地の縮小図があった。
そして自分の今までの感覚からするとおおよそこのあたりに墓があっただろうと思われる場所を見つめた。
この画像の左に写ってるのが親父ですw
もう言葉が出ませんでした。テレビである人が言っていました。
「墓が流されてほんまに二度死んだような気分です」
まさにその表現は適切で私はこの木々の下敷きになっている墓石に向かって手を合わせることしかできなかった。
ここにもボランティアの人々・そしてテレビ局のカメラはいました。
中にはパッと見ヤンキーっぽいのに必死で汗を流してくれている若者が3人ほどいました。
その人達が着ているシャツを見たらももクロだったのでかなりのモノノフであることが想像できました。
ボランティアさんは100人近くはいたように思います。
あまり邪魔をしてもいけないので私は墓地を後にしました。
そこからほど近くの土手ですがたくさんの土嚢があり土手はいまだに土色をしていました。
少し左にカーブしているのでわかりにくいですがこの先の交差点まで車がびっしり止まっていました。
中にはフロントガラスに
「ボランティアに行っています」
と書置きしている車もちらりほらりしてました。
テレビで報道されている現場にはもっと多くのボランティアがいたり消防士や警察がいたのでしょう。
正直、何もしていない自分はそこまで近づくことができませんでした。
現場から直線距離で500mぐらい離れた場所からの一枚。
肉眼でも容易に確認できるほど流れたというのがわかる一枚だと思います。
ここが一番ひどく死者が多く出た場所です。
先ほどの写真の後ろを振り向くと某釣具屋の駐車場があるんですがそこには災害派遣の車がたくさんありました。
安佐南区のことばかりテレビに映っていますが安佐北区の方面はさっきよりひどくはないですがきっちり爪痕がありました。
画像が小さくて申し訳ないですが画像中央に山肌がみえている部分があります。
安佐北区にいた親戚には被害はありませんでしたが2週間くらい夜は避難所生活だったと後日聞きました。
もっと被害があった場所をお伝えできたら良かったのですがそれはテレビで報道されてますし先ほども言ったように
何もしていなくて申し訳ない。その気持ちがあると足も心も進めなかったです。
ボランティアの人も口数少なく中には小学生くらいの子が動いてくれていました。
こういう現状を見て思うのは人ってすごい。
1人で生きている人なんていないって率直に思いました。
誰かに支えられ助けられ生きている。そして人と人は繋がっていると。
多くの方々からの義援金もありがとうございます。いち広島県民として感謝致します。
現場に行くとテレビの5倍は感じる事がたくさんありました。
気温や匂い。そして素のままのみんなの表情。絶望感や悲愴感よりは前に進もうとしていると感じました。
こんなブログでは伝えきれませんがそれでも何かの情報になればと思いキーボードを打っております。
そして出来ればみなさんに8月20日を忘れえて欲しくないです。
東日本大震災はもっともっと大規模で未だに行方不明の方もたくさんいます。
それでも前に進んでいく。
忘れるのではなく胸に刻む。
そして今生きている自分たちは多くの人の命に守られていると。
誰かの為に命を犠牲にしろなんて言いませんし自分もできません。
でもできることをしましょう。
無理はしないように。
亡くなった方々のご冥福を祈ると共に皆様のこれからの明るい未来を切に願います。
そして最後に・・・
おじいちゃんありがとう
9月10日(水) りょう