お母さんが泣きながら怒りだした日は事故から二日がたっていました。
そして、新たに目を覚ました日は事故から5日がたっていました。

入院は4ヶ月位だったと思います。

入院中に隣のベッドに私より2つ位年上の患者が入りました。

マーにぃと私が読んでいた彼は当たり屋をしているらしかったです。

過去にも失敗して入院した事が2回程あったと笑いながら言っていました。

マーにぃは義父の合図で車の前に飛び出すのが仕事だと笑いながら言っていた事を憶えています。

マーにぃのお母さんも病院にお見舞いに来ては、今回は失敗したねって言ってたなぁ。


私のお母さんは、会話を聞きながら怒りだして、貴方は子供に何をさせてるんですか!って怒ってました。

その時は何の話かわかんなかったけど、ただ酷い母親だなっておもってた。


此処からは私の記憶とお母さんから聞いた話を元に書いていきます。


埼玉に来た私達親子はお母さんの友達を訪ねた。

友達は結婚してて子供もいた。

この頃私には同い年の友達はいなかったから年の近い友達に凄く興味津々だった。
託児所には行ってたけど、友達は程居なかった。
だって託児所にいる間は大体寝てる時間だったから。


お母さんの友達の家で世話になって4日がたった頃お母さんは住み込みの仕事を見付けてきた。

直ぐに住み込めなくて、それから3日位お母さんの友達の処にいた。

そして、初めてお母さんが働いてるお店に行く日が来た。

お母さんの友達の家から車で15分位行ったところにある昼間は定食屋夜はスナックになるお店だった。
住む場所は、お店の裏にあるトタン屋の家だった。


そして幾日がすぎた頃私は幼稚園に行くことになった。
そこはお受験をしないといけない様な幼稚園だったのに、入園できた。
その頃は、お母さんの働いてるお店のマスターが幼稚園の園長と友達だから入れるって聞いたけど、いま思えば裏金だな。

まぁ、そんなこんなで入園した幼稚園ですが、良かったんだよね。
楽しかったの。

先生も良い先生だったし。

そして私はなぜかクラスで、ガキ大将的な存在になっていた。

そして私が5歳の時に交通事故にあいました。

忘れ物しない5月5日の子供の日でした。

その日は、お母さんとマスターと一緒に遊園地に行く予定でした。
その日私は道路を挟んで反対側に住んでいる同じ幼稚園の友達に遊園地に行こうと誘いに行きました。

答えはダメでした。
しょんぼりしながら、道路を渡るために横断歩道に向かって歩くと後ろから私を呼ぶ声がしました。
振り向くと其処には友達のお婆ちゃんがたっていました。

「お婆ちゃんが見ててあげるから此処から渡って行っちゃえば?」この一言に私は「うん!」って意気揚々とはしゃいでお婆ちゃんの処まで行きました。

そして私が道路を斜め横断して行くと私の右側からクラクションの大きい音が…

気付くと私は足をギブスとをして、針金みたいなので固定されて白い壁の部屋に寝ていました。

横では泣き腫らしたであろうお母さんが私を見て怒りだしたんです。

その声がなぜか心地よくまた私は寝てしまいました。




お母さんと二人の生活がはじまって、2年がたった頃

お母さんも、水商売をしていた。
産みの母と、お母さんは同じ職場で働いて、同じ部屋に住んで似たような境遇で、だからお母さんは私を捨てなかったのかもしれない…

ってこんな話は置いといて

私が2歳の頃お母さんは京都の某クラブでNo.1だったんだって。
この頃は、幸せだったのかもしれない、だって毎日昼間はお母さんと遊んで夜寝てる時にお母さんが働いてたから、起きてる時はお母さんとずっと一緒だった。

ただ、この頃お母さんは何度か、自殺ってか、心中を考えたらしい。
私を抱っこして職場の寮(集団住宅の一部を間借りしてたらしいです)の屋上から飛び降りようとしたらしいです。

私の笑顔を見て心中出来なかったらしいけど…って当たり前か、死んでたらいま書けてないもんね。

この頃に私は身体が弱くて、熱だしたり怪我したりで大変だったんだって。

そして、ある日幸せを壊す出来事があった。

お母さんのお店のお客様が、私を誘拐したんだって。

直ぐに私はお母さんの処に帰れたけど、その事件せいでお母さんはお店を辞めました。

この時、捜索願いを出したけど警察は動いてくれなかったらしい。
理由は、私に戸籍が無いかららしい…


仕事を辞めたお母さんは、友達を頼って埼玉県に行きました。


この時私は三歳と半年位だったらしい。