Murmur Diary -4ページ目
百年も遡ればおそらく、世の男性の8割方は職業を大して多くない選択肢から選んでいただろう。
代々うちは豆腐屋をやってきてるから、とか、田舎で百姓やる以外にない、云々。
女性に関しては最早職業という概念すら確立していなかったはずだ。
別に生活面では、国から多くの搾取があっただろうし、病気にかかれば何かと命に関わるような時代であったろう。
それでも、各々が自分の職業にはある種、満足して暮らしていたのではなかろうか。

”近代社会では、仕事における詩歌の時代は過ぎ去ってしまっている。仕事と余暇、レジャーは別々のものになってしまっている。仕事をたのしむことより、いやな仕事はなるべく少なくして、遊び休める時間を少しでも多くしようというのが人々の関心になった。仕事は仕事、余暇は余暇。両者が歌い合わなくなった。対話もしない。”

(みんな、なんだか疲れ果てているなあ。)
月曜日の朝、毎週そんな風に世の中を眺めることが多くなった。
同時に、いつも思う。人生の分岐点(それが曖昧なものであれど)に於いて最善の選択をしてきた結果、自分の職業に不満を感じるとは、なんだかちぐはぐだなあ、と。

私自身は、古風と言えば聞こえはいいが、妙に古くさい考え方を持っている。
男として生まれた以上、自分の職業に誇り(この誇りという言葉は曲者で、特に十代の子供には人生に於いて適切な判断力を鈍らせる効果がある)を持ちたい、という考えが根底にある。
例えば、私の今までの実務経験はアルバイトのみだが、それを狭義で「仕事」と表現したことはない。
「仕事」という言葉は少しとっておきたかったのだ。

プライドとは時にとても邪魔臭いものだが、引用中にある、仕事と余暇が歌い合う為には、大変重要なものだろう。
やりがいがあろうがなかろうが、世に貢献していようがいまいが、プライドを感じている仕事には、自然と多くの時間を割いてしまうだろう。
休憩や休暇中も、どこか意識は仕事に行っている。
そういう態度こそ、職業を選択した者としては自然なように感じる。

つまり、選んだ仕事をこなすのに、不満が出てくる時は、その職業に対するプライドやそこからくる責任を、放棄する時なのだ。
違う仕事をするなり、身を退くなりして、ステージを降りなければならない。

以上が、私の就業観です。