このブログは

2010年5月に白血病を発病し、
2017年9月(満24歳)まで、
命の限りを精一杯生きた息子との日々を綴ったブログです。
 
流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星


§44の抗がん剤と永遠の別れという
ブログで、病院の広場で
キャッチボールをしていた。
と、書いていたが、よく思い出すと
キャッチボールをしようとして
できなかった。


というのが正しかったように思う。


確か、胸のカテーテルが邪魔で
上からボールを投げることができず
下投げで、子供にボールを
渡すような恰好で
ポーーンと投げるだけだったと
思い出した。


グローブは、はめてたいたけど


このころは常に点滴棒を
従えていたわけではなく
薬や栄養剤を定期的に
投与するときだけ
カテーテルの管につないで
点滴していた。


退院となりカテーテルが取れて
本当にうれしそうにしていた。
足枷が外されたみたい。


退院はしたが、とても学校に
行ける状態とは思えなかった。


まず、もう一人暮らしはできない。
現在4回生として野球部にも
学生コーチとして在籍しているが、
学生コーチとしても
活動できる状態でもない。


退院したからといって
もちろん完全に良くなったわけではなく
二週間に一度の通院は
必要だった。

もう無理をせず、前期の休学を決めた。

思えば、移植前の新薬の
抗がん剤を投入している辛い状況で、
ほとんどのレポートを
病室から教授へメールで提出し、
登録している科目の
ほとんどの単位を
取得していた。


いずれにしても
就活が出遅れている段階と
いうこともあり、療養と自宅での
勉強期間に充てることにした。

この頃から本格的に英語の勉強に
精を出していた

就活の事を考えて
TOEIC 750
に照準を定めて頑張る事にした

はぁ?
言うのは簡単やけどなー



通院は私が車で一緒に付き添った

先生は少しずつ歩くほうが
リハビリになるという事だったが
今回の移植のダメージは
相当なものだった


私も会社に行かないといけなかったので私の実家に一緒に住む事にした。


昼間はずっとおばあちゃんと一緒👵


少しずつおばあちゃんの手伝いをしたり、おばあちゃんも楽しそうだったおねがい


車が運転出来るようにまで回復すると
一緒に病院も付いて行ってもらい
帰りにはランチをしたり
一緒にスウィーツを食べたりトロピカルカクテルお団子爆笑


この時のことを、母は
いつも思い出して涙する



あんなにええ子やったのに…

あんなに可愛かったのに…

おばあちゃん、おばあちゃん
って言うてくれた


私が誰より一番一緒に居たんやで。


息子も人生でこの3ヶ月が一番ゆっくり過ごせたのかもしれない。


でも、なんかやっていないと
落ち着かない性分なのかなぁキョロキョロ


TOEICの本を何冊か買ってたなぁ



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この写真を撮った目的は分からないけど
くっきりとカテーテルの手術痕四ヶ所が、残ってる