そんな言葉が建築家の間でも使われるようになったのは、最近の事だと思う。それが、「建築が一般の人からもっと身近に感じられるようになってきたからじゃないか?」と雑誌で読んだ。
自分も荘厳である建築というよりは、愛される建築に興味がある。そんなPopCultureと一緒にある建築は長続きがしないかもしれないけど興味がある。
建築という分野でで遊びがあると認識したのは、日本の今の若手の建築家じゃないのか?
フレンドリー。そんなのが良い。
そんな言葉が建築家の間でも使われるようになったのは、最近の事だと思う。それが、「建築が一般の人からもっと身近に感じられるようになってきたからじゃないか?」と雑誌で読んだ。
自分も荘厳である建築というよりは、愛される建築に興味がある。そんなPopCultureと一緒にある建築は長続きがしないかもしれないけど興味がある。
建築という分野でで遊びがあると認識したのは、日本の今の若手の建築家じゃないのか?
フレンドリー。そんなのが良い。
動物の巣の様に暮らしの中から自然に生まれるそんな建築が特に好きだ。蜂の巣の様に何気なく蜜を集めていたらいつの間にかとっておきの巣が出来ていた。デザインされたものではなく暮らしに軸を与えて行きながら「暮らしの秩序を包み込む」そんな考えが好きだ。
人の存在が建築から排除されていなく、住み手が居ないと成立しない「人の住む場所」に興味がある。
そんな思いは今でも変わらない。
でもこのテーマは卒業製作でやってみて、いかに難しい事であるか実感したところもある。
結局、そういった暮らしの積み重ねで生まれてくる家は時間がかかり建築家が関与する事は難しいのである。
例えば、玄関の一歩上がる段差。
人に必然的に靴を脱がせドア以上に建物の内外を形作っている。
日本の建築に特有で生きる習慣の中から生まれた建築的要素。
そんな要素は好きだ。
あくまで生活のバックグラウンドで、人が居なくては成立しない建築。と言う事は可能な気がする。
演劇の舞台のように起こる様々なイヴェントを意図的に演出し、彩を与えられる装置の様な建築。一つの舞台でも様々なヴァリエーションが可能な広がりのある建築はできるんじゃないかな?
老若男女に理解され、心地が良いな。と思われる物を作る事を目指したい 。
卒業制作はモチロン終わり、無事に卒業も果たし、今は就職活動中の身。今になって、今まで以上に自由な場所に立たされると、しっかり自分のしたいことを見据えなくてはならない。
最近「スタッフ募集」の応募書類の中に一つこんな質問があった。
「自分の好きな建築とその理由。」
非常にプリミティブな問いだがそれは難解である。
前にもこう言う事はあった。
自分が建築を始めて、一年経ったときの事である、
友人の家に遊びに行った時に、そのご両親に聞かれた、
「好きな建築家は誰?」
正直一年生じゃあ、その答えも出てくるなんて事もなく、まだ触れた程度であったから、適当に「ミースかな?」なんて答えた気がする。
やはり、建築が好きな人なら、この問いには答えられる気がする。
今なら、だんだん分かってきた気がする、
ならば、
25歳現在の、自分の建築とは?