またまた再びジャジャジャジャーン!!!
…はい。ふざけました。
打って変わってこの内容です↓↓
『私がとらえている魔王』
興味のある方、読んで頂けたら嬉しいです。
ドラマにあまり興味を持たなかった私が、
こんなにハマってしまったのは何故か…。
ずっとずっと考えていました。
友達に『魔王見た?』と聞くと、
ほぼ全員から、『見たことないよ。どんなの?』と返ってきます。
そこで私は、いつも上手く答えられずにいました。
それは多分…説明すると長くなってしまうからなんです。
短くすることは出来ても、それでは伝わらない、
だからって、説明なしで見る気に何てなってくれるはずがない…。
考えた結果、
私がとらえている魔王はこんな感じです。
自らの手を汚さずに第三者を上手くコントロールして、
次々に復讐の標的を消していく…。
そんな頭の良さに脱帽するとともに、
『人を操ること』がまさに、このドラマの悲しみを大きく彩っていたように思います。
『木々のざわめき、春の木漏れ日の美しさに目を向けて生きてほしい。』
と話した言葉。
『知らない間に大切なものを置き去りにして生きてきたことを、
この海に気付かされた』
『あいつらにも一度でいいから見せてやりたかった』
と話した言葉。
これは良く見る、いわゆる名言と言われているシーンですが、
私はこの言葉に、一番訴えたかったことが描かれているのではないかと思っています。
誰にだって見る事が出来る海を、
あえて『こんな景色を一度でいいから見せてやりたかった』と話しています。
そこには、
いかに領と直人が暗闇の中を生きてきたか…
という意が込められているように思えました。
自らが憎しみや復讐、後悔や罪滅ぼし、
暗いトンネルの中でもがく人生を選び、
木漏れ日や海を、かけがえのない大切なものを見ようとしなかったこと、
自らがそのような人生を創造してしまったことへの悲しさが
この台詞に込められていると、そう思いました。
暗いトンネルの中から抜け出せなかった子供の話が出てくるのも、
最後に暗いトンネルから抜け出した映像があったのも、全て
自らの心が作り出すトンネルから出てこようとしない限り、
大切なものが見える人生は待っていないのだ。
ということをこのドラマは訴えたかったのかなと思います。
完全犯罪が際立っている作品だから、
領が直人を完全犯罪で殺して終わって欲しかった。
という意見も確かに多く聞きますが、
私は、この作品は領の復讐話が主題なのではなく、
領と直人の心の悲しみ。
人と自分を許さない限り、大切なものは見えない。
ということを描きたかったと思うので、
この終わり方がベストだと思いました。
寄り添うように死んでいた二人
死んでからでないと和解できなかった悲しみ…
私たちの中には、
人を許せない領や、
許してほしいと思う直人が
いつまでも生きています。
こんなに素晴らしい作品を作って下さった
『魔王』原作者、ドラマスタッフ、キャストの皆さんに、
心からの敬意を送りたいです。
最後まで読んで下さった方、
本当にありがとうございました。