原チャリで36歳の時に東京に出てきての。
当時事業の失敗で負債が1,400万円くらいあったかの。
所持金2万円くらい。ヤマハのチャッピーという原チャリを中古で5,000円で買って、それに乗って出てきたんじゃ。広島から5日かかったけの。
倉敷⇒姫路⇒京都⇒名古屋⇒沼津⇒東京で、東京に着いたときはすでに深夜じゃった。
宿なんて泊まる金がないけん、公園や駅などで野宿じゃ。
まだ6月頃の時期だったかの。気候もえかったし何とかしのげたんじゃ。
あれは静岡辺りだったかの。野宿で一緒になった青年と酒を飲む機会があっての。
まだ学生で、バイクで日本一周している途中だと言っとった。
見るからに本当に普通の青年だったで。何かをやりとげたい、成し遂げたい言うとっての。
お金を殆ど持たず、代わりに現地の人々のお手伝いをして食事をさせてもろうたり、何かを分け与えてもらったりして生活しておったそうじゃ。
九州の子だと言うとったかな。一ヶ月ぐらいかけて静岡まで来たと言うとった。
ゆっくりと3ヶ月ぐらいかけて全国を回るつもりだと言うとったな。
あの出会いには感動したで。
そんな話をしとったらな、
「お兄さんは東京に行ってどうするの?」
聞いてきたんじゃ
「わからん、金も無いし東京に行ってもあても無い。美容師免許と車の免許だけもっとるけん、それで何とかするつもりじゃ」
言うたんじゃ。
もうその時にすでに所持金は3,000円くらいじゃったかの。
沼津の手前位の所だったかの。畑でニンジンを取って食べた事があっての。
3本ほど畑から取って、泥を洗うのにそれからしばらく小川を探して歩き回ったかの。
取ってそのままの取れたてのニンジンじゃ、あれはほんまに美味いと感じたのぅ。
そんなこともして、空腹をしのいできたんじゃ。
東京に着いた時にはすでに所持金は2~300円しかなかった。
当時ガソリンが1㍑30~40円ぐらいの時代じゃ。
東京についてからすぐに、土建会社の寮がある会社を求人誌で探したんじゃ。
東京に着てから2年間は4tダンプの運転手をしてたんじゃ。
わしは美容師でハサミばっかり持っとったけん、力仕事はようせんかった。
体ができとらんかったもんでな、ダンプの運転手なら力仕事じゃない思うとったけん。
ところが、とんでもない間違いじゃった。
ダンプへの担ぎ込みも全部自分で行うとんでもない力仕事じゃったでぇ。
当時寮で、午前3三時半に起きて3食分の食事を自炊で作っての。
午前5時出勤じゃ。弁当を持っていったけん。
夕方4時(16時)に仕事が終了して、その後は平井にある深夜美容室に18時から23時半まで勤めたんじゃ。
当時、夜遅うにやっている美容室はそこくらいしかないけん。
夜も働こうと思うたらそこしかなかったでの。
昼も夜も働いた。広島から乗ってきた愛車のチャッピーで通っての。
一番悲しかったんが、3時半に起きて3食分の弁当を作ってた時にの、おかずを全部ひっくり返してこぼしてしもうたんじゃ。
いやこれは、今思い出しても悲しいて涙出てきそうなぐらい、ほんまにショックでの。
こぼしてしまったおかずの上の綺麗な部分をそっととって使って、床にこぼれた下の部分も洗って食べたんじゃ。
今でも当時の気持ちは鮮明に覚えとるけん。
3年後の38歳でめでたく華の六本木で美容師を始めたんじゃ。
立地条件の悪う所で、1日に2,3人しかお客さんの来ん美容院を任された。
これを2年後には六本木で行列のできる一番人気の美容院にしたんじゃ。
この時に努力したことは、毎日毎日、一日も欠かさず、朝6時に起きて、チラシを配ることじゃ。ノルマ一日500枚と決めておった。
一人一人に手渡しで配布したんじゃ。ポストなんぞに投函しても中々来んけの。
霞ヶ関から恵比寿の辺りまで日ごとに場所を変えて行うたんじゃ。
一人来るために110枚(110枚配って1人くらい来る)ぐらいのものなんじゃ。
2,3百枚配って効果ないなんて諦めたらいけん。
それはまだ努力が足りんということなんじゃ。
人気になってきても、忙しくなってもチラシ配りは続けたんじゃ。7、8年休みなしで続けたで。定休日も祝日も関係なく、毎日配り続けたんじゃ。雨の日も風の日も行うとったで。
他社との差別化をするために、「痛んでる髪を治します」というキャッチフレーズにした。
安いだけのチラシじゃいけん。
他と一緒じゃお客さんが来んけの。どんなに立地条件が悪くても目的があれば人は来るもんじゃ。それを言い訳にしたらいけん。
何よりも大切な事は、自分が楽しくないとダメ、とにかく笑顔で楽しそうに配ること。
自分が楽しくないと相手に伝わらない。
「何で俺がやらないけん」なんて思うたら、何百枚、何千枚配っても、お客さんは来いへん。
この子だって思うような子には、受け取って欲しいと、追いかけて行ってでも配る。
絶対に髪をきれいにしてあげるから来て言うて。
受け取ってくれたら笑顔で有難うと伝えることじゃ。
2,3百枚配って2,3人しかお客さんが来んからって諦めちゃいけん。
それはまだ努力が足りんかったいうことじゃ。
本田総一郎さん、松下幸之助さん、日本の志を高く持った経営者を念頭に思い浮かべ、皆努力して成功してるんじゃ思うて頑張ってきたんじゃ。
その後、RYO黒田があみだした、誰も生み出したことの無かった8本のハサミを使った独特のカットの手法は女性の魅力を最大限に引き出すことに成功した。
瞬く間に評判が広がり、当時のTV、雑誌等マスメディアをにぎわせ、現在で言うカリスマ美容師の地位を不動のものとする