そう、相当参ってる。こんなにも惨めな俺。


うっちーとメールできたのは一生の思い出だけど。


その前に先生に怒られて、俺への信頼をいっきに無くしてしまったと思うと


どんな顔してゼミにいけばいいのかわからんくなる。


完全に怒らせた。そんな気がしてならない。


もう何話しても、何しても、「こいつはダメ人間」というレッテルを貼られて見られちゃうんだろうね


パラダイムが完全にネガティブなもんでね。参ったわ。



そもそも、夏に行こうといって連絡をよこさないというか明確な日にちを教えてこないのは貴様であり、

俺が企画しようとしてんのに妨げているのは根本的にあんたなんだよ。気づけ!


そしてOB名簿の件は俺だけじゃない。すぐにとりかからなかった俺ら3人のせいだ。

みんなでやればあんなのすぐに出来て終わって先生に手渡しできたし。


今回の件は俺が完全に悪い。ただ、お前はなんで手渡しするよといっておいて送りなさいっていわないんだ?

礼儀としてというか、もってこいといったのはあんたじゃないのか?


すぐに送らなかったことに関しては俺は反省しなければならないし、謝るべき点だとおもう。


俺はみんなの怒られる分を全て背負って、代表して謝ったんだ。こいつはダメ人間だなんて思われても仕方ない。


ただ、みんなのためにやっているのであり、時間に追われる毎日をすこしでもカバーしてやろうと思っても助けだったんだ。


抱えすぎた負債が不良債権になっては意味の無い事だけれども、忙しいのにゼミ生のために頑張ろうとする俺の姿勢を見てもいないのに、評価をくだすんじゃない


表向きしかみていないあんたに俺の何がわかるんだ。ひととして大事な点が欠けているよと言いましたね


確かにかけているけれど、貴方とは違う大事な部分を一生懸命こなしているんですよ


怠慢だ?考え直したほうがいいのはわかりますけど、いくらなんでもおかしいですよ。


同じ立場である友人にいわれるならわかりますけど、言い訳するのが許せないのはわかりますけど、


親父の友人だからといいますけれども、俺はあんたを完全には認めない。


許せない。理不尽で、人をいらだたせる天才だとおもう。



俺は、時間にルーズだ。


俺は、自己管理に欠ける。


俺は、人が本当にして欲しいことをできない。


俺は、言われたことを実行に移せない、馬鹿だ。


俺は、言い訳をする負け犬だ。


俺は、ダメ人間だ。



こんな人間を扱う先生も可哀相だ。哀れに思うだろう。


しかも友人の息子であるから更に面倒くさいだろう。


どうしようもない俺はまた、助けを求めて声を出してしまう。


「やってらんねえ」と。


もう、どうにかしてくれ。くそったれな俺を助けてくれるのは


誰なんだ。家族も先生も友達もみんな暖かいけど冷たい。


どうしようもない俺を、救ってくれる救世主は俺しかいない。


弱った俺を癒すのも俺しかいない。


俺は俺。死にたいと久々に感じた。


今妄想して薬たくさん摂取して死んでやろうかとおもったくらい


他人による自己否定は、自信を失わせ、狂わせ、同じ自己否定の連鎖を生み出す。


失恋に始まった悪夢は、とどまることを知らずに、俺を蝕んでいく。


弱い俺は強がって大丈夫だと言い聞かせてきたけど


所詮弱い俺は弱いまんま。いくら強がっても心の傷は癒されない


聞いて欲しいメッセージを聞かせるのは、情けないと思っていてなかなか話せなかった。


かっこ悪い俺はみせたくなかった。俺はかっこいオトコになりたいんだ。


もう、何が正しくて何が良くて、どんな奴になりたいのかわからなくなってきた。


ため息をついて、タバコすって、酒のんで、今の生活がいやだいやだといいますけど


もう、生きる気が失せたね。日本にいるのがいやだ。


遊牧民?なれるんだったら前えりと話したように一緒に夢見た世界に飛び込んでもいいとおもう。


自然に死んで、苦労しない世界で、愛に満ちた世界で旅立ちたい。


誰だ俺を救ってくれるのは。

なぜでしょう。心が満たされないときがあるとこんなにもブルーな気持ちになるのですか。


別に何も嫌なことおきたわけでもないのに、この満たされない日々にイヤになるだけ。


つまりは満たされない要因を突き詰めていけば、それが無いこと自体がイヤなんですね


あーこのココロ、いかにして好転させようか。どうすれば、と考えれば考えるほどバカになる


憂さが晴らせないこんなときには、何か別のことをして熱中すればよろしい。


だから今、勉強をしようと心に決めたわけであります。


そりゃそうだ、テスト期間ですもの。。



それにしてもゆりこの顔を思い出すだけで死にそうになる俺というかオトコつうのは柔な生き物ですな。


寂しくて恋しくて潰れそうになったときに、支えてくれる誰かがいてくれるのはありがたいことだけど


いないという現実にぶちあたると、コレほどまでに涙を誘う曲が心振るわせるのですね



家族でさえ、聞いてくれない。必要とするときに支えてくれないと、こんなにも信頼感が薄れていくものなんですね


うだうだ言うなといわれても、うだうだ言わせてくれよと。一回聞いてくれればそれですっきり次のステップに移行できるというのに、なぜ批判的にモノを聞こうとしないのか


信じられないくらい人に興味がなく、殺伐とした人間関係にヘドが出そうだ。お前らに人に優しくしろという権限は、無い。


普段元気でいる人ほど、元気がなくなったときに誰かの声を必要としていることにどうして気づいてあげられないんだ。


俺はそのことを知っている。人の痛みを感じ取る、人の優しさを求める聞こえない声を察することができる。


どうしてそれを同じようにできないんだ。愛がないってのはそういうことだ。



偽りの、表面上の愛だったらもう結構だ。心に響かない愛なんか愛じゃない。


声が聞こえないと伝わらないのと同じように、愛も心に届かないと響かないし効力も持たないのだ。



さて、勉強しよ

最近の出来事を書くことが多くなってきているんだが。


ゼミについてすこし書いておこうかな。



商学部の中で人気ゼミの一つになってきている齊藤ゼミ


マーケティング・消費者行動論を扱い、人間の消費行動を読み取るマーケティングの面白みを存分に楽しめる


なにより齊藤先生のお話が面白い。面白いの一言に片付けられるほど密度が薄いものでは決して無い。


人間とは何か、人生を生きることの意義を探す、など人生論を語る。あのときほど心踊り、異世界に紛れ込んだような感覚は無い。


4月から始まったゼミ活動を振り返ると、充実と不快の間を行き来していたのだと感じている。


先輩、同期と触れ合っていく中で生まれてくる信頼関係もあれば、一方で失っていく絆。


充実とは新しいコミュニティを見つけそして育みあっていく組織内での満足いく活動内容から生まれた。


不快とは、一言で言えば「ゼミに入ってよかったと思えることがない」という人があまりにも多く、彼らをどうにかしタイ気持ちが強かったこと。


代表をして、必ず彼らを満足いく方向に導いてやると心に誓ったものだ。未だに忘れていない。


しかし、留学希望が捨てきれず、俺は代表の座を諦めた。代わりに代表に就任したのは心友の一人。


ゼミ内の誰よりも信頼し、信頼される間柄で俺は彼を応援することにした。


しかし、彼には代表というポジション経験歴が無くどう動いたらいいのか、わからない。


暗中模索の中で見つけ出した答えも他のゼミ員の心に響くものでなく、それが反感を買う結果に。


俺は自分の持つリーダー像を彼に教え込んできた。強制でなく、道を示して歩き方は彼次第。


そこに、敵が現れた。俺をリーダーに勧めようと以前から考えていた連中が反発しだした。


俺は現代表の成功を導く方向性を示すだけでなく、彼らの動きをコントロールして代表に好影響を与える存在にする舵取りを任されることになったのだ。


彼らは、正しい。俺と同じもしくは違う視点からゼミをよくするリーダーシップを発揮する術を知っている。


ただ、それを受け入れる柔軟な許容力を持たない代表と、押し付けようとし受け入れない代表に怒りを覚える連中がいるのだ。


両方を理解し、仲介役としてうまくまとめていけるのは、俺しかいない。そう自覚している。


自覚しているからこそ、そのポジションの仕事を尽力しているが、他の奴にはもっと代表として望んでいた活躍をしろという声があった。


違う、それは俺の仕事ではない。でしゃばるつもりは毛頭無いし、それをやっては代表の顔をつぶすことになる。それは同時にゼミを潰す行為になりかねない。だからやらない。


俺のやることは、代表と副代表及影響力を持つメンバーをまとめてうまくゼミが回転していくようにコントロールすること。


それぞれやることがある。彼らがいて良かったと心から思う。ゼミ活動をよりよくしていこうとする人間がここまで集まって話し合い、実現に近づこうともがき苦しむ姿はなかなか見れない。


決して投げ出さない。それだけゼミが好きで、真剣に取り組めるほど自発的になれている証拠なんだ。


俺が代表になっていたら、ここまで一人ひとりの闘争本能を掻き立てることも無かっただろう。


今なるべくして、なったこの状態を、快く思っているのは俺だけだろうか。


ゼミ活動を終えて卒業するときに、みんなが泣いてお別れを言うときが来たら、一生失われることの無い絆が生まれるのだろう。


俺は留学するから一緒に卒業できないけど。それでも彼らの一生の中で得る最高のモノを築く手助けを少しでもしたいと思うのだ。


高校野球部、そしてUCSC留学以来の仲間意識が芽生えたのは自分の中で自覚している。


俺が自分を捧げるのは、このゼミに集まった全員を良き方向に導くため。みんなが好きだから。


頑張ろう。嫌がらず、みんなのためだと心に説き続けよう。まだ見ぬ先に笑顔があればそれで幸せだ。