人生をかけて心身と向き合う讃岐人、 赤山僚輔の軌跡

人生をかけて心身と向き合う讃岐人、 赤山僚輔の軌跡

治療家/スポーツトレーナーという2つの視点から本当に心身にとって重要な事とは何か。
自問自答しながら綴っていきます。


テーマ:

※以下JARTAメルマガ内コラム転載

2017年5月5日作成分

JARTAとは

 

 

まずはスポーツトレーナーへの道という事で、
始まったコラムもやっと高校生編までやってきました。笑


今回は高校生以降の話になります。
(スポーツトレーナーになるまでに長い道ですが、
しばらくお付き合い下さい。)


中学から始めたバスケットでしたが、
高校時代はバスケットを通して

大きな挫折を経験した3年間でした。


進学したのは田舎の公立高校でしたが、入学した際には
県内でベスト4を狙える比較的強いチームでした。

しかし、毎年のように指導者が変わり、
1年時には3年生が引退後、2年生が一気に退部し、
少ない部員での練習を余儀なくされたり、体育館の
修繕工事の関係で何ヶ月もゴールのない体育館
で練習をしていました。

女子バスケ部が県内では男子より強豪校だったのですが、
人数が少なく2・3年生時は男女一緒に練習をしていました。


今となってはよい経験として捉えられますが、当時は
そのような環境に対して常になんで自分達だけと
消化不良な気分のまま過ごしていたことを覚えています。


そんな高校2年の冬に、事件が起きました。


ある練習試合の時でした。

 

ディフェンスをしている際に
相手オフェンスを止めようとした、私の膝に相手の膝が
ぶつかったのです。

 

 

ぶつかる角度が悪かったのか、相手はなんともない
様子でしたが、私は痛みでその後プレイが続行不可能となり、
後日病院へ行く事になりました。


病院でレントゲンを撮ったところ、何ともないということで
数日後痛みがある程度引いてから多少の痛みを抱えながら
プレイ復帰することになりました。


しかし、1、2ヶ月たっても痛みが引かないどころか、
増すばかりでおかしいと思い、初診医とは違う整形へ
行く事になりました。


そこでは少し違った角度からレントゲン撮影をして、
膝蓋骨が骨折を指摘され、更に他院でMRI検査をしました。


結果的には、膝蓋骨が骨折をして骨が離れているので
今すぐに手術をしないといけないと言われたのです。


ちなみにその時期はもう最後の春が

目前に迫っている時期でした。


しかし、現状の痛みと検査結果から手術は避けられず、
スクリューで固定する手術をして、入院する事になりました。


結局最後の総体までに十分な練習が詰めず、自身もチームも中途半端なパフォーマンスで(高校時代もチームのキャプテンでした)県大会の2回戦で破れ引退となりました。


練習量も心身の準備もチームビルディングも何もかも足りず、最後の試合で破れた時には悔しすぎて涙も出ませんでした。


引退後はスクリューを外す手術をして、ほとんど高校時代勉強していなった私は、気づいたら進路を決めないといけない時期になっていました。


父も祖父も職人であり、何か手に職をつけないといけないという思考がありました。

 

それに加えてこれまでのたくさんの怪我の経験と

 

母が養護教諭をしていたという周囲の環境も重なり

自分のような怪我に苦しむ選手を救える
スポーツトレーナーになりたい。


そう思うようになりました。


当時スポーツトレーナーになると言っても

 

周囲にそのような仕事をしている方は一人もおらず

 

調べるとスポーツトレーナーの日本で取れる資格で
一番メジャーなものが、
《日本体育協会公認アスレティックトレーナー》
である事を知りました。


上記養成校で大学に行ける学力のなかった私は

西日本で一番養成校として歴史のある

大阪の専門学校への入学を決めました。


その時、資格と仕事が違うという事を知らない田舎の少年は
ただその学校に行けば、スポーツトレーナーになれる。


そう疑いもせず、都会へ出て行くのでした。

 

 

 

 

スポーツトレーナー養成校以降の話はまた次回。
 

 

 

 

 

今回や中学時代からのエピソードからも分かるように、
私はある人からAと言われてもそれを鵜呑みにせず、
本当にAであっているのかをとことん調べるような
思考に自然となりました。

 

 

 

なぜなら上記のように診断の違いや視点の違いによって
取り返しのつかない時間を多く過ごしてしまったからなのです。
(これは教科書すら疑う天邪鬼な性格の基盤になっています。笑)



 

 

このメルマガをお読みの皆様も

 

常に情報には偽りや虚像が共存しており
(その情報とはJARTAのメルマガやブログも同様です)

その情報をどのように関わっている選手に伝え、還元するか

 


その手段やタイミングによって

 

選手の人生を大きく変える可能性がある

そのように肝に銘じて行動や発言してもらいたい

 

 

そのように感じています。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

(サポートしている高松商業男子サッカー部)

 

 

謙虚・感謝・敬意

行住坐臥

赤山僚輔

 

 

追伸①

このメルマガでも書いたようなスポーツ障害や怪我で悩む選手を一人でも救うために自分一人では限界があるのでJARTAで学びを続けながら講師活動をしております。

 

私が医療現場、スポーツ現場での対処方法や多くの失敗経験から学んだ思考を詰め込んだセミナーを来月からアップデートしてお届け致します。

 

詳しくは下記よりご覧ください。

【JARTAスポーツ障害・循環アプローチセミナー】

https://jarta.jp/j-seminar/candd/

 

 

 

 

追伸②

私の座右の銘である行住坐臥と日々の意識を増やす事で想定外を減らす為の思考である想定外理論をメルマガサービスとして配信開始しております。

是非とも多くの方に実践してもらいたい簡単な内容からあります。

登録は下記URLよりお願いいたします。

https://jinriki-aka.jp/mailmagazine/

 

 

 

追伸③

サポートチームでもクライアント様にもお伝えしている日々の習慣についてどのように実践応用していくか。

『ルーティーン』についてお伝えするセミナーも10月6日に北海道で開催致します。

詳しくは下記より

https://jarta.jp/j-seminar/routine/


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※以下JARTAメルマガ内コラム転載

2017年4月28日作成分

JARTAとは

 

まずはスポーツトレーナーへの道という事で、

現在の私の思考や働き方の礎になった幼少期から

現在に至るまでの歩みについてお伝えしております。

 

 

今回は中学校からの話になります。

(スポーツトレーナーになるまでに長い道ですが、

しばらくお付き合い下さい。)

 

 

私は、中学時代~社会人になって数年までは

競技者としてバスケットボールをしていました。

 

中学時代は、まさにバスケットボールと出会い

魅力に取り憑かれた時期でした。

 

それと共に、それから出会う沢山の怪我や

苦労の始まりでもありました。

 

 

田舎の中学でしたが、郡ではトップを争うチームで

それなりに練習も厳しかったように覚えています。

 

先輩からの扱きにもあい、フットワークでは

吐きそうになる経験も沢山しました。

 

キツすぎてトイレに行くふりをしてフットワークを

さぼったこともあります。汗

 

ただ、それ以上にその時期に自分を苦しめたのは

膝の成長痛でした。

 

中学2年になり本格的に体育館での練習にも

参加できるようになってくるとオスグッドシュラッター病に

悩まされ、一時は階段など、日常生活でも痛みを感じ

練習にも参加できない日々が長く続きました。

 

病院へ通院するも、その時代、理学療法士による

リハビリを受けられるような施設は香川県にはなく。

(あったかもしれませんが、機会がありませんでした。)

 

安静とテンションバンドを利用したサポーターを

常時つけて徐々にプレイをしていくような状態でした。

 

何が解決策になったわけでもなく、身長の伸びが

停滞するにつれて症状は沈静化していき、

最上学年になる頃にはほぼ問題なくプレイは

できるようになっていました。

 

 

最上級生になり、キャプテンを務めていた私は

最後の総体で今後の人生に大きく影響する出来事に

ぶち当たります。

 

 

それは

 

大事な最後の総体の初戦で、試合中に手をついて

左手首を受傷し、救急病院で骨折しているとギプスを巻かれ

その後の総体に出場が不可能であると言われたことです。

 

 

今はスポーツトレーナーとして多くの中学生アスリートや

高校生にとって最後の総体に出場する、その舞台で

活躍することの意味や意義が分かっているつもりです。

 

彼らにとってはそれが人生のピーク、全盛期であり、

それを奪われることは決して大人には分からない苦しさ

があります。

(スラムダンクをご存知の方は花道のあのセリフですね)

 

その時の自分もこれまで私が対応してきた多くの選手同様

この世の終わりかのように途方にくれ、どうしても出場したい。

 

どうにかならないのか、そう親に頼み込んだのです。

(その為、骨折していても試合に出たい選手に思いは良くわかります)

(前職では何度も折れているのに選手を試合に出しました。

認めてくれたDr.に感謝です。)

 

そうすると養護教諭をしていた母が、その時代では珍しく

セカンドオピニオンで別の整形につれていってくれました。

 

すると、左手首の骨折は今回のものではなく、小学生の

時に骨折した骨片が残っていただけのものだったのです。

 

ギプスは外され、その週末の試合にテーピングを巻いた状況で

復帰することが可能となりました。

 

結果は満足のいくものではありませんでしたが、

 

そこで最後までプレイできたという経験は、母がくれた

チャンスであり、自分の医療に対する捉え方を変える

きっかけとなるに十分な出来事でした。

 

 

しかし、神様のイタズラか高校生に上がった私を苦しめたのも

また同じような怪我と医療を取り巻く出来事だったのです。

 

 

このような経緯から医療機関に勤めている時から、

最後の試合にかける選手達の思いに必要以上に熱くなっていた

ことは言うまでもありません。

 

前職のクリニックではそのような厳しい選択を迫られる局面に

多々遭遇し、多くの選手の涙をみましたし、

初診で無理だと言われた

選手に最後の舞台に立たせることが何度も経験できました。

 

今後はそのような経験を多くのセラピストやトレーナーに

してもらいたいと思い、このような活動をしております。

 

 

さて、まだまだスポーツトレーナーへの道は遠いですが、

ちょっと今の赤山の出来上がり方の一端が感じられるように

なってきたのではないでしょうか?

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

(サポートしている丸亀南中学バスケットボール部)

 

 

 

謙虚・感謝・敬意

行住坐臥

赤山僚輔

 

 

追伸①

このメルマガでも書いたようなスポーツ障害で悩む選手を一人でも救うために自分一人では限界があるのでJARTAで学びを続けながら講師活動をしております。

 

私が医療現場、スポーツ現場での対処方法や多くの失敗経験から学んだ思考を詰め込んだセミナーを来月からアップデートしてお届け致します。

 

詳しくは下記よりご覧ください。

【JARTAスポーツ障害・循環アプローチセミナー】

https://jarta.jp/j-seminar/candd/

 

 

 

 

追伸②

私の座右の銘である行住坐臥と日々の意識を増やす事で想定外を減らす為の思考である想定外理論をメルマガサービスとして配信開始しております。

是非とも多くの方に実践してもらいたい簡単な内容からあります。

登録は下記URLよりお願いいたします。

https://jinriki-aka.jp/mailmagazine/

 

 

 

追伸③

サポートチームでもクライアント様にもお伝えしている日々の習慣についてどのように実践応用していくか。

『ルーティーン』についてお伝えするセミナーも10月6日に北海道で開催致します。

詳しくは下記より

https://jarta.jp/j-seminar/routine/

 

 

 

 

 

 

 

 

 


テーマ:

私は現在、香川県を中心に

 

スポーツトレーナーとして活動しています。

 

関わる多くの選手は勝利を目指し日々必死で鍛錬している。

 

 

高校生たちの必死な姿からは

 

いつも自分の中高生時代を投影してしまう。

 

 

私は中学高校時代バスケットをしていた。

 

今関わっている選手たちと同じように

 

バスケットを取られると何も残らなくなるくらい

 

夢中になっていた。

 

 

 

ただただ不器用だった自分は

 

中学時代はオスグッドや捻挫

 

高校時代には足底筋膜炎やシンスプリント

 

そして自分たちの代になってからは膝の大きな怪我をして

 

手術も経験した。

 

 

 

 

今のようにどうすればそういった怪我を防げるか

 

情報を手に入れることも

 

病院で定期的にリハビリを受けることもなかった。

 

その為、常に痛みを抱えながらプレイしていた。

 

捻挫の恐怖と常に隣り合わせだった。

 

 

そして色々な歯車が噛み合っていない身体の影響で

 

24歳の時に試合中にアキレス腱を断裂した。

 

 

その時理学療法士の養成校で学生だった自分は

 

自分の足をみて一瞬で現象が理解でき、天を見上げた。

 

 

 

一人暮らしだったので

 

1ヶ月以上の松葉杖生活は本当に大変だった。

 

バカだった自分は片脚しか使えない状況で

 

よく出かけていた。

 

 

その影響で反対の膝が悲鳴をあげているのに気づいたのは

その1年後くらいだ。(高校時代に手術した側の膝でした)

 

 

 

理学療法士になってからは

 

こういった怪我からのリハビリを精力的に学び

 

臨床では多くの患者様を担当させていただく事ができた。

 

 

うまく復帰できない事案がある度に、同僚や先輩に相談し

 

院内で解決出来ない問題を解決する為に1年目から

 

休みのたびに勉強会に行き、1円も貯金できないくらいに

参考書を買った。

 

2年目からはどういった経緯で怪我に至るのかを知るために

 

怪我の多い女子バスケットの現場で活動を始めた。

 

 

教科書で言われていることやセミナー等で習得できた

技術や知識でほとんどの場合問題を解決する事ができたが、

現場での怪我はゼロにならなかった。

 

 

ACL損傷後のリハビリも200例くらいまでは再受傷を経験せず

 

鷹を括っていたが、その後立て続けに再受傷を経験し

 

自分の至らなさを痛感した。

 

 

 

怪我を減らすことは簡単だがゼロにすることは難しい。

 

でも現場ではそれを求められておりそこに居続けることで

 

日々視点を増やす事ができた。

 

 

 

その後違う女子バスケの実業団チームに関わって

 

3年間慢性障害で練習を休む選手がゼロで膝にテーピングを巻く事がなくなった時には、ある一定の成果を実感できた。

 

多いと言われている女子バスケで膝を捻って痛めるような事象が1件も発生しなかったのだから。

 

 

しかし、そこに至るまでの思考で怪我がなくなっても

 

勝利に繋がらないと選手も指導者も満足してもらえないことも

経験できた。

 

 

 

 

 

 

自分自身が、怪我をたくさん経験し

 

競技者として勝利による喜びを経験出来ていないからこそ。

 

 

今の飢えに繋がっていると実感している。

 

 

 

 

もし医療現場やスポーツ現場で

 

まだまだ怪我や慢性障害の選手に対峙して

 

困っている方には伝えたい。

 

 

 

そこでの悩みを少しでも早く解決して

 

もっと先にある

 

もっと難しくやりがいのある課題に対峙していこうと。

 

 

 

 

 

少なくとも

 

選手や指導者はもっと先をみている。

 

 

医療従事者だけが

 

怪我を治す事、怪我を減らすことに

 

フォーカスしすぎているのかもしれない。

 

 

 

そういった観点も含めて

 

スポーツトレーナー団体”JARTA”で私が医療現場、スポーツ現場での対処方法や多くの失敗経験から学んだ思考を詰め込んだセミナーをお届けいたします。

 

【JARTAスポーツ障害・循環アプローチセミナー】

https://jarta.jp/j-seminar/candd/

 

 

ここはゴールではなく必ず選手に関わる上で必要な

 

通るべき通過点として様々な治療方法や評価方法を統合化して最低限のレベルが上がっていくことを目指しています。

 

 

10月から大阪、11月から東京での開催ですが、多くの皆様とお会い出来ることを楽しみにしております。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

謙虚・感謝・敬意

赤山僚輔

 

 

 

追伸①

私の座右の銘である行住坐臥と日々の意識を増やす事で想定外を減らす為の思考である想定外理論をメルマガサービスとして配信開始しております。

是非とも多くの方に実践してもらいたい簡単な内容からあります。

登録は下記URLよりお願いいたします。

https://jinriki-aka.jp/mailmagazine/

 

 

 

追伸②

サポートチームでもクライアント様にもお伝えしている日々の習慣についてどのように実践応用していくか。

『ルーティーン』についてお伝えするセミナーも10月6日に北海道で開催致します。

https://jarta.jp/j-seminar/routine/

 

どちらもご興味がある方は是非ともご参加ください。

 

 

 

 

 

 

 

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