110803 京都有馬大阪旅行記 粋な本物の扇子を買いたい 京都三木半の想い出
京都に来るときに旅行とは別にトヨナガ先生と楽しみにしていたことがあった。
それは粋な扇子を買うことである。余りにも時間を隔ててしまったので、わかりづらいだろうが、この時は今の塾で講師デビューをして、夏期講習の入るコマが決定したところであった。その記念品を買おうじゃないかということである。その後話し合った結果、京都に行くことだし、粋な扇子なんていいじゃないかということになった。それも高かろうが贅沢に本物のヤツにしようと決めた。その扇子に恥ずかしくない、それに見合うだけの授業をしてやろうという気持ちの表れだった。
私が欲しかったのは、京扇子で、男モノの普段使い用の、それも大短地というもの。「大短地」というのは、いわゆる紙の部分が短くて、骨の部分が7割ほどを占める扇子で、これが繊細でスマートで素晴らしいのである。よくしなる京竹の部分が大きい分、仰いだときの風も多くくる上にやわらかい。逆に、紙の部分が7割を占めるよくある扇子は「地長」という。
いや本当、京扇子の大 短地のかっこよさは半端ではない。ためしに少し調べてほしい。あの夏は震災の影響で、扇子が流行っていた。私の周りの学生なぞも、扇子を持って「和だぜ」という顔をしてこれ見よがしに仰いでいたが、知識のなさというものは大変に不幸で嘆かわしいものである。
「扇子」を持つことに気が行き過ぎて、紙にへたくそな金魚の絵が印刷してある扇子の安っぽさに気づかない「センス」というか、100円ショップの扇子を「これが俺の扇子」という顔で、人に見せつけるように仰いでい るのを見ると、言葉も出ない。この愚かさに本人は気づかないのである。気づけないからその愚を露呈してまわる。見ているこちらが恥ずかしいものだ。
諸君、扇子に限らず、小物はなんにでも気を付けなければいけない。役割だけ果たせばいいと思っていると手痛い目に合う。本物を一つでも持っていれば、その真相がわかるはずである。少なくとも黒バニストの諸君だけは、わかる人でいてほしい。
と講釈を垂れつつ、結局扇子を決めきることができず、いくつか候補を決めて、他の店も見ることにした。他の店を回ってみて、またここに帰ってきて、それでも光る一本の扇子があれば、それは本物である。とりあえず観光に戻ることにした。
今回の観光の目的の一つの企画として、マサトが置いてきぼりにされたあの中3修学旅行で通った道をなぞっていこうということも考えていた。その第一弾にやってきたのは
宿泊所、三木半である。
あれから5年。成長した私たちは再び三木半の前に立った。何とも言えぬ感慨深さである。三木半は変わらずに営業していた。3B男子は2~3部屋に押し込められ、村田もトヨナガと小坂くんも、宇田川も田嶋も、藤澤も畠山も深井さんも(元)林くんもそしてマサトも同じ部屋だった。ただし金子は岡宮や神山と仲が良かったので隣の部屋だった(笑)。イネナガトヨナガは班長で、班長会議に出た覚えがある。皆、この部屋で夜中まで語り合い、トヨナガは駅員のような白い手袋をしてPSPで「電車でGO!」をやって、消灯後は仏教校らしく誰からともなく同唱十念を唱え、教員の物まね大会をやったのである。楽しかった。楽しい夜だった。
あの後、不幸な事件が多発し、小坂くんとマサトくんという犠牲者が出るとは思いもよらなかった(笑)
私はあの事件が風化してしまうのを恐れ、あの事件を笑い話として語り継ぐことで、あのような不幸な事件を再び起こすまいという気持ちを人々の心に根付かせたいのである(笑)。
それにしてもあの修学旅行は楽しかった。私が実行委員長として腕を振るったのは沖縄修学旅行だったが、それでも楽しかったのは京都奈良の修学旅行だった。皆もそうではないだろうか。
だいたい沖縄がなんだ。特に特別なものなんてなかったではないか。
私はクーラーの効いた部屋で白い天井しか見た覚えがない(笑)。実行委員長だったけど。
今でも「沖縄修学旅行」という文字を見るだけでなんだか具合が悪くなってくるほどである。
話がそれた。沖縄のことはひとまず忘れよう。いや、永遠に忘れよう。
これから私たちは修学旅行シリーズで再び知恩院を訪れることにした。芝の修学旅行ではスタート地点になるところである。外からの呼び名は「ちおんいん」であるが、京都では「ちおいん」と呼ばれているようで、京都市バス(これも206系統である)でも「次は知恩院前、next Chioin-mae」と案内される。
京都はどこでも自転車で行ける。私自身最近気づいたのだが、福岡も実は自転車がすごく便利なところである。歩道が広くて、今までは西鉄バスに乗って天神まで出てきたのだが、最近は自転車で直接天神までひとっ走りである。
私はお寺の立ち並ぶ京都も好きだが、河原町などの今風の風景も好きだ。この旅行で気づいたのは、やはり風景が福岡に近いからである(こいつは何でも福岡だなと思われないようにして頂きたい。その通りである)。人口も福岡と京都はほぼ同じくらい。田舎と都会の距離が短いところも、大阪程にきつくない人間性もそっくり。そんな街を自転車で走るのはそれはそれは気持ちのよいものである。
しかし、そんなサイクリングを楽しめていない男がいた。
トヨナガである。
ここから遡ること1時間ちょっと前。ちょうど銀閣から京極かねよへ向かう時の事である。
金子、トヨナガ、私の順に縦一列に並んで、車道を走っていた。しかし京都は車の往来が多く、危険なために歩道に入ったり出たりしながら進んでいた。先頭の金子がポンと縁石に乗り上げ、左側の歩道に入る。その次はトヨナガのオバチャリ、通称「オヴァ」が軽やかにポンと乗り上げる……はずが
縁石にあたったオヴァはその場に倒れ、代わりにトヨナガが飛んで行った(笑)
トヨナガ「オヴァァァーーーー」
ガッシャーン!!!
トヨナガーーー(笑)!!!!
トヨナガ「痛ったーーい!!!」
あわれ、オヴァには縁石に乗り上げる力は残っていなかったのである。オヴァは縁石にあたる瞬間に「あ、これは無理w」と静かにその場に横たわったのだ。しかしトヨナガはかなりの勢いで歩道に向かって飛んで行ったために、ジーパンは破れ、出血もして、それはそれは大変な様相である。自転車はかなり安全な乗り物であると言えるが、ドライバーがむき出しの状態で走る以上、事故を起こすとかなりの被害が出るものである。トヨナガも「重症」と言うにふさわしかった。…のだが、
どうしたことだろう。笑いをこらえることができない(笑)。目の前でヤムチャのようになっているトヨナガのお見舞いにふさわしい顔がどうしてもできないのである(笑)
もはや「私を拒絶するのか、オヴァ!!」というセリフが霞むぐらい、完成されたギャグなのである。結局私と金子はお腹を抱えたまま「大丈夫?」と、お見舞いしたのだった(笑)。
それ以来、トヨナガはオヴァを恐怖の対象として認識、シンクロ率は限りなく0パーセントに近い(笑)。そうしてみるとオヴァのギァッギァッギァッときしむ音も高笑いのように聴こえてくる。
かくして、トヨナガを除いて、私たちはサイクリングを楽しんでいたのである。知恩院編はまた次回。
ちなみに、先週は体調不良だったため、いねらじおの制作はできなかった。そのため、今週はお休みさせていただきたい。よろしくおねがいします。