110803 京都有馬大阪旅行記 レンタサイクルで銀閣慈照寺へ 京極かねよの絶品「きんし丼」
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京都に到着後、バスに乗った。このまま叡電元田中まで行って、金子と落ち合う予定であった。
乗ったバスは循環バス206系統で、京都のおいしいところを循環するコースのドル箱路線。京都市営バスの一日乗車券を駅前ロータリーで購入して出て来たところ、目の前に来たので、慌てて飛び乗った。
バスに乗ったところで、朝の夏の日差しとゆりかごのような揺れが、夕べのムーンライトながらの疲れと仲良く私を攻め、トヨナガに「叡電元田中」停留所のいくつか前のバス停の名前を教えて(私がきちんと起きてから降りられるように)、私は後部座席で一瞬溶けるように寝てしまった。
結構寝ただろうか、ところが、バスはまだいくつか前の停留所にも着いていないようだ。所要時間は大幅に過ぎている。どうも様子がおかしい。トヨナガに「叡電元田中で降りたいんだけどね」と言うと「多分それさっき過ぎたよ」という。
いったいどういうことだろうか。
答えは簡単で、循環バスの逆回りに載ってしまったのである。山手線で言えば、渋谷から池袋に行きたいのに、品川、大塚を経由して行ってしまったようなものである。これは大きな失敗であった。いやしかし、あれは方向幕が分かりにくかったと思う。これは全国のバスに言えることだが。
叡電元田中停留所で無事に金子と合流する。一旦家にお邪魔しようということになり、連れて行ってもらったのだが、これがまた東京の学生には縁がないほど、いいマンションである。
この日の予定は、自転車を借りて、一日京都観光をする。しばしの休息を取り、早速私たちはレンタサイクルを借りて、街へ繰り出すことになった。レンタサイクル屋さんに1000円を払うだけで、1日乗り放題という。盆地で歩道の広い京都の町では自転車は大活躍である。これは人口・規模・街(といっても都会の京都の)の雰囲気が似ている福岡にも言える。
レンタサイクル店では予め自転車は決められており、「これとこれを使ってください」と自転車を二台渡された。私は普通のママチャリ。普通のママチャリである。もちろん1日1000円なのだから、こんなところで競輪バイクなんか貸してもらえるわけはない。私だってそんなことを言おうとしているわけではない。
問題はトヨナガのチャリが1日100円くらいのものではないかということで(笑)
なんだそれ(笑)
その幼児用自転車が不気味におっきくなったみたいな(笑)
京都の町を金子の自転車が走り抜ける。その後ろをレンタサイクルのイネナガ自転車が走る。そしてその後ろをトヨナガの自転車(?)が…
ギコギコギコギコギコギコギコギコギコギコギコ
うるさい(笑)!!
トヨナガ「本当なんなの?このおばちゃん自転車(-"-;)!!」
確かに、京都の町は千年前の息遣いが今も生きる世界である。しかし、そんな世界に昭和の自転車は却って古さを感じさせるのである。
老体に鞭打つ悲鳴をとどろかせながら、我々一行は京都大学を見学し、そのすぐ近くの銀閣を目指した。
(懐かしき参道。強引に八つ橋を売りつけてくる悪徳なおばさんがいる。)
銀閣は裏山を通って一巡りする順路が組まれている。日の当たっているところはアブラゼミとクマゼミ(これは関東では鳴き声が聴けない。シャアシャアと関東の蝉の数倍の声で鳴く)がけたたましい声で暑さを歌っているが、裏山に入ると、苔むした路の上でヒグラシがカナカナと囁く。実にいい雰囲気である。銀閣には、前に宇田と奈良君とすぐ目の前まで来たが(今思えば黒バンッ!の黎明期である。)、あの時はタッチの差で閉門時間になってしまっていた。だから中にまで入ったのは遥か昔、中3の修学旅行以来ではないだろうか。
銀閣を出た私たちは、哲学の道を自転車で走り抜けて、河原町三条へ向かった。お昼ご飯に京極かねよの「きんし丼」を食べるためである。
京極かねよというのは、やり手の家政婦の名前ではない。大正より続き、自らの店のうなぎこそ日本一のうなぎと豪語する京都の鰻の老舗である。「きんし丼」というのは、アツアツのうな丼に、これまたフワフワの玉子が大胆に乗っかっているどんぶりである。ここは佐々木蔵之介おススメの店で、是非とも来てみたいところだった。
おば「お待たせしましたー」
私「わーふたから玉子がはみ出てるー」
トヨナガ「ふたを開けると共に香りが立ち上る―」
金子「おおー」
いただきまーす
3人「・・・・・・・・。」
本当においしいものを食べたとき、「かーっ!うめー!!」なんてのは嘘である。
絶品の料理を前に、人は無口になる。というより、軽くひいてるのである。多少大げさに言えば、「えぇ~、そこまで来ますかー。今までのウナギは全否定ですか―(苦笑)」という、虚しさをどことなく感じさせるのである。
皆様お忘れかもしれないが、今回の旅は、「贅沢に」である。私たちは夏の京都で、何度となくこの沈黙を経験するのであるが、それはまた次回をお楽しみに。