ブログを書いているとたまに脱線した内容を書きたくなります。

テーマに関係ないけど、文章に残したい、、!
みたいなテーマが結構私の頭の中を混沌と彷徨っているので、少しずつこう言ったものも載せていこうと思います。


小学校、中学校、高校、大学、社会人
全く生活は異なるけれど、どれにも共通していることが一つありますね

そう
勉強です


小中高は、多くの人が勉強に悩まされていたと思います。
  
また高校を卒業し大学に通うようになるとまた授業、テストがあり一定の点数を取れないと単位を落としたり再試験になったりします。

就職しても、高校や大学で学んだことを直接生かして働ける仕事に就く人は少なく、働き始めてからも仕事についての専門的な内容を勉強することになると思います。

では、なぜ私たちは勉強する事が嫌いなのにずっと勉強と付き合っているのでしょうか?


勉強はそもそも定義が大きく曖昧です。

例えば、私たちが苦労して勉強してきた英語は、アメリカに行けば足し算や引き算も分からない子供でも話せます。

逆に私たちが無意識に使えるようになった日本語は、外国の人からしたらかなり大変な勉強のようです。

他にも三国志や戦国無双は好きなのに、日本史は嫌い、ニュースは見るのに、政治経済の授業は寝ている、など様々あります。


また、勉強にセンスがある、無いなどと言っているのはそれ自体がナンセンスです(笑)

それなら日本語を話せる日本人には全員日本語のセンスがあって、アメリカ人は全員英語のセンスがあって、中国人は中国語のセンスがあることになりませんか?

少しややこしくなってしまいましたが、確かに言語を学ぶには幼少期が大切ではあるけれど、日本人だから日本語のセンスがあるのではなく、日本語を常に見聞きしてきたから日本語を使えるようになったんです。

じゃあどう勉强すれば良いんだ?!
って感じですよね(笑)

私も受験勉強、国家資格の勉強をしてきたので多少勉強哲学的な事を言わせていただこうと思います。

まずなぜ勉強が嫌いなのか。原因は3つ
①抽象化されている
②上から目線
③間違いが存在する

①の抽象化されているとは、勉強の内容が現実と切り離されていて何のために勉強しているのか分かりづらいという事です。

これを解決するには自分の力が必要です。

勉強した内容を私生活に当てはめられるかを考えてみてください。

例えば古文を学べば歌舞伎で話されている内容を詳細まで理解できます。

また英語を学べば洋画で字幕を追う必要もありません。

机の上で文字の羅列を覚えなければいけないと考えてしまうと勉強は頭に入らないし、楽しくないものになってしまいます。


②の上から目線とは教師のことです。

気になってる人とかなら別として
上から目線、嫌ですよね(笑)

教師の方が立場が上であるのは当然ですが、生徒に理解してもらいたいと思ったらやはり上下関係よりも親近感の方が大事だと思います。

そうは言っても生徒は教師を選べません。(最近は選べるようにはなってきてはいますね)

ですから逆に考えるんです。

「この科目が嫌いなのは教師のせいで、自分のせいではない。いい教師に教えて貰えば絶対に好きになる」

傲慢に思うかもしれませんがそんな所で人生の選択肢を狭めてしまうくらいなら傲慢上等でないでしょうか。

そして最後、勉強には間違いが存在する事です。

勉強していて間違えて赤ペンでチェックつけられた経験、誰しもがあると思います。

これこそ勉強の悪しき風習だと考えています。

自分なりに考えて出した答えにあっさりチェックをつけられる
これは自信を失います

勉強していれば間違えない?

もちろんそうですが、例えば自動車の運転が怖いという人に「もっと車に乗れば怖くなくなるよ」と言ったところで一歩踏み出す気にはなりません。

勉強も、やりだせば出来るようになりますがやり始めるのが難しい。

車のように物理的な危険は勉強にはありませんが、間違える事で心のダメージはあります。

「間違うことは恥ずかしくない」と言いながら間違った箇所にチェックをつける教師は理解に苦しみます。

勉強に間違いはありません。勉強はそもそも新しいことを学ぶ土台づくりです。問題の解き方を考えている時点で勉強の99%の価値が消費されています。

土台を作るにはいろいろ試しが必要です。化粧やヘアセットなども失敗から学んで今に辿り着いている場合が多いと思います。

そうしたプロセスがあって初めて勉強を武器として高校、大学、専門職に挑めるのではないかと思います。

勉強ができる人は好奇心があって発想を飛ばすのが上手です。

「でもガリ勉は無理…」とお思いの方、大丈夫!
どこの集団にもガリ勉は居るでしょうが、同じ数パリピもいますし、スポーツ好きも映画好きもいます。

また合わなかったらやめて別の場所に行けば良いだけです。学歴社会の日本では学力があれば多少はみ出したことをしても社会から認められる可能性が高いですよ。

長くなってしまいましたがこれが私の勉強哲学?です。

また次回からは場面緘黙改善作戦の軌跡を投稿していきます。(^ ^)