かなり長文です。
読み苦しくて恐縮です。
4月9日土曜日午後1時頃、
母が静かに旅立ちました。
母がアルツハイマー型初老期認知症を患い、
父による自宅介護が限界を迎え、
施設(別荘と呼んでいました)に入所して3年半ほど。
始めの頃こそ週2回娘と一緒に顔を出し、
母に絵本を読み聞かせたり折り紙したり、
なるべくたくさん話し掛けることを心がけていました。
徐々に表情が消え、
口数が少なくなり、
目を開けている時間が減り、
私の足は遠のきました。
娘の学年が上がり、
忙しくなったから。
私も仕事し始めて疲れて時間が取れなくなったから。
そんな言い訳を自分自身にしていましたが、
認めます。
逃げていました。
仕事なんて週4日しかないし、
娘とだって日曜日なら余裕で行ける。
でも単純に逃げていました。
こまめに別荘に通う父に甘え、
親身にお世話してくださるスタッフさんたちに甘え、
母が思いやり深くケアして頂いているんだから安心、
と逃げていました。
母の変化して行く姿に目を向けることからとにかく逃げていました。
父から母の様子を聞き、
症状の変化に一喜一憂しつつ、
数少ない訪問の際の母の衰えに衝撃を受けまた逃げてしまう。
そんな繰り返しでした。
今年に入り、
父の報告から姉が不安を感じ出し、
私は自分も不安を感じているにもかかわらずそれを押さえつけていました。
喋らない母が「美味しい」って言ったという報告で、
母は治ることは無いけどこのように一進一退しながら低空飛行で生き続けてくれると勝手に思っていました。
4月5日。
娘の春休みの終わりがけ。
姉と姪が母に会いに来るとのこと。
一緒に合流して行くことにしました。
その日は朝から物事がスムーズに運ばず、
挙句に車のバッテリーが上がるというトラブルまで発生。
ただ、
あんなに次から次へと思い通りに行かなかったにもかかわらず、
イライラも焦る気持ちもなく、
「事故らないで良かった」と妙にノンキな気持ちでした。
姉や姪、
父と一緒に母に会い、
痰が絡んで喉がガラガラする母の心配をしつつ、
スタッフさんたちが丁寧にケアして下さることに感謝し、
別荘を後にしました。
ランチ後、
用事のある父と別れ、
女性陣4人でモールに行きました。
今まで姉たちが来てくれた時、
遠方の為トンボ帰りしていましたが、
この日は珍しくゆっくりと過ごしました。
夕方になり、
姉たちと別れ、
用事を済ませた父に荷物を届けようと実家に向かう途中、
父から電話が入りました。
「お母さんの容体が悪化した」父が姉にも連絡したところ、
ちょうど高速に乗る手前だったので別荘に戻ることに。
別荘に着くと母は酸素マスクをしていました。
一旦は顔が紫色になったようですが、
この時は若干落ち着きを取り戻していました。
まずはホッとして帰宅しました。
4月6日。
娘、
春休み最終日でしたが、
6年生は翌日の入学式の準備の為に登校。
娘が帰宅後、
母に会いに行きました。
大きな変化はなく、
やはり酸素マスク装着中。
4月8日。
私は本来なら出勤日なのですが、
たまたま社内行事の為、
アルバイトパートは休み。
母に会いに行きました。
変化はないけど、
パーキンソン病で固まった母の手の隙間に自分の手を差し込むと握り返してくれる。
それがすごく愛おしかった。
4月9日、
出勤。
仕事中は携帯を見ないので、
勤務後父からの着信に気付く。
「お母さんが亡くなった」恐らく今年を越すのは難しいだろうと根拠なく思っていたので、
想像よりもあまりに早い旅立ちに驚きました。
でも泣きませんでした。
悲しいのに泣けない。
すぐに電話で主人と上司にその旨を伝え、
帰宅して主人と娘を連れて別荘へ駆けつけました。
スタッフさんたちは皆泣いて下さっていました。
私はやっぱり涙が出ない。
母の頭を撫で、
手をさすり、
「頑張ったね~。
苦しかったけどよく頑張ってくれたね。
ありがとうね」と話しかけたけど、
涙は出ない。
スタッフさんに感謝の気持ちを伝える時にうるっと来た程度。
それから数日、
家族葬の準備の為、
バタバタしてゆっくり考えることを避けました。
葬儀の前の晩は姉と娘と3人で母の側で過ごしました。
ずっとお喋りしたり笑ったり、
きっと端から見たら葬儀を控えている家族には見えなかったことでしょう。
不思議なことに、
それまでにないくらいその晩は母の側で心地よく眠れました。
葬儀当日も子どもの頃以来会っていなかった従兄弟たちと会え、
父が準備した母の写真や器用だった母の作品を見ながら思い出話をし、
たくさん笑いました。
斎場でお骨になった母を見た時にはさすがに心拍数が上がり、
こみ上げそうでしたが、
同じように辛そうだった姉に「考えない考えない。
スマイルスマイル」と言って乗り越えました。
でもお姉さん、
ごめんなさい。
今思えば、
泣ける時にしっかり泣いておくべきでした。
我慢させちゃってごめんね。
今日5月8日、
母の日。
姉一家も来てくれ、
母の納骨をしました。
奇しくも祖父(父の父)と同じ命日。
祖父が亡くなった時には母の夢枕に立ったほど息子(父)の嫁(母)をかわいがっていた祖父。
きっと今頃再会を懐かしがっているかしら。
洗濯物を干している時、
運転している時、
テレビを観ている時、
買い物している時、
料理している時、
ふと「あ。
すごく淋しい」とこみ上げる瞬間があります。
でもまだ思いっきり哀しみに浸ることが出来ません。
怖くて。
昔、
流産を繰り返し、
4人の我が子を天に見送った時、
心のダメージは相当に大きく、
復活するのにものすごくもがきました。
未だに完全復活したわけでもありません。
母を見送ったことの哀しみにしっかり向き合ってしまうと、
恐らく日常生活に支障をきたします。
娘がいて、
学校の用事があり、
私自身も仕事をし、
周囲に迷惑は掛けられない。
今はなるべく母のおっちょこちょいな思い出を笑顔の原動力にして、
明るく過ごしています。
哀しみをどのように表現するか正解はないと思いますが、
「後で反動がくるよ」と仲良しの友人が気遣ってくれます。
「んも~、
あなたはママが亡くなっても泣いてもくれないの?」って母が拗ねてる気もしますが、
今後のことはわかりませんが、
今は元気な頃の母を思い出しながら笑って過ごそうと思っています。
母を看取って下さったスタッフの皆様にはただただ感謝しております。
認知症の入居者に家族のように親身に、
そして何より尊厳を持ってお世話され、
そんなところで最期を過ごせた母は本当に幸せだったと有難く思っています。
心よりありがとうございました。
日付は変わってしまいましたが、
2016年母の日に母のことを強く想いながら。