My Story 1
彼(僕)は、埼玉の端とある田舎で生まれた。
シルベスター・スタローンに恐らく憧れていたであろう「父親」。
美容師だった、オシャレが大好きな「母親」。
両親とも、学生時代はスポーツをやっていてそれなりの「選手」だったらしい。
そんなことも関係してか、ゲームよりも外で遊ぶのが好きだった。
ただ、少し「人見知り」だったし自分(気持ち)を出すのが苦手な少年だったと思う。
勉強も普通にやっていたし、どちらかと言えばかなり良い成績だった。
当時、爆発的に「人気」で「オシャレな選手」の多かった「Jリーグ」。
本当は「サッカー」もやりたかったけど、言えずに「野球」だけやっていた。
友達にも付いていく感じで、自分からって感じではなかったな。
ただ、心の中では常に「自分の思ったようにやりたい。」と思っていた。
中学に入ると、少し変わるキッカケがあった。
そのまま野球を続けていた彼は、それなりのセンスがあったんだろう。
1年の時から上級生の練習に参加させられていた。
うん。させられていた。
本当にメンタルが弱かったな。試合なんか「チャンス」になるとひたすら打順が回ってこないように祈ってたもんな。
とにかく、失敗が怖かった。
怒られるのも。
みんなに迷惑もかけたくなかった。
「練習みたいに普通にやれよ。」っていつも言われてた。
なぜ?そんなに好きでもない野球をやってるのかわからなかった。
そんな時に部活が終わって、夕暮れの中。公園に集まり「スケボー」する先輩たちを見つけた。
なんだろ?マジでカッコ良かったし。オシャレだったな。
そのくらいの年って、ワル=カッコイイみんなそう思うと思う。
しかし、たかが中坊。1万以上するボードなんて買えるわけなく。
部活が終わって(放課後の放課後かな?)友達と一緒に毎日のように見に行くのが楽しかったな。
そのうち話しかけてもらえるようになり先輩が休憩している間だけ、ボード貸してもらえるようになった。
みんな「ここぞとばかりに」飛びついて、(ボード)奪いあって。
キラキラしてたな。あの時。
(その後、お年玉かき集めて念願のマイボードGET。部活なんてテキトーで友達と自由に楽しくできるスケートがすべてだったな。)
そして、高校。
悪い成績も恥ずかしかったし、勉強はできない方ではなかったので。
普通に地元の進学校へ。
ただ、中学の時からの「ツレ」はみんな「工業系」「商業系」。
進学校の生徒はみんな「マジメ」に思えたし、完全に浮いていたと思う。
学校が終わると友達のいる「他校」に遊びにいっていた。
その頃は、バイトもしていたし「スケート」なんかよりもっと「お金」のかかる遊びができた。
ただ、何の目的・目標もなかった。ただ毎日楽しければそれでよかった。
友達はどんどん学校を辞めていき。現場作業なんかしてお金を稼いでいるのが、うらやましかった。
ただ、彼はやっぱり周りを気にしていたし。学校には行っていた。一応。
うん。ただ一応。
そして「進路」。
進路なんて何もないよ。笑
何がやりたいか、そんなに若いうちから決められないでしょ。
当時は、メチャメチャ美容師が流行ってて(キムタクのドラマとか。)
土木作業は、ちょっと・・・。と思っていた彼は、なんとなく専門学校を目指す。
そして、見事に。
受けた5校すべて不合格。
それなりの進学校だったし、先生も「まさかっ!」って顔してたよ。笑
面接だって悪くなかったし。
でも正直、成績だって進級できるかギリギリだったし。何よりも出席日数が問題だった。
卒業式では、毎年恒例の卒業生の進路発表。
「T大学 3名」「M大学 5名」・・・・・・・。
「~短大 6名」「~専門学校 2名」・・・・・・。
最後に。
「進路未定 1名」
それは、「彼」のことだった。
My Story 1
現ロッテ 西岡剛
憧れのPL学園に入れず、大阪桐蔭へ進学した時の話。(僕にとっては両方とも強豪校)
来年からはメジャー。アメリカです。
My Story 2へ続く