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ホイアンフェスティバル同行記~エピローグ

今回のベトナムホイアンフェスティバル同行ツアー。

まずはオファを頂いたGYPSYQUEENのAkiさんとONE ASIAのviviさんに感謝申し上げます。

そして、僕のベトナム行きを快諾してくれて終始僕を支えてくれた家族や職場にも最大級の感謝の意を。



以前、某大手スタジオを退社してから10数年。

僕の中で音楽という小さな炎が消えかかっていた現実の生活の中、この準備期間から出発、本番、帰国まで含めて、ちょっとだけ音楽業界に戻れたような気にさせてくれました。

今回のツアーでの失敗は、責任という意味において全て僕のミスであり、前に書いた通り消えモノのライブではあってはならないミス。

それが例え僕と関係の無いミスであっても、音響担当ということで期待されベトナムツアー参加も自分で決意したのだから、これからも消えない責任と消えない思い出になると思います。

この先またオファがあるのかどうか、万が一それがあってもまたお受け出来るかどうか、これから先はそれも全く分かりません。

今回の結果だともうこの次はオファないかもですが。。。

でも今回のベトナムツアーは僕の中で一生の思い出になったことは間違いないし、これらの失敗はこれから必ず何かの力に変わっていくのだろうと信じてます。

いや。
そうするべきことで、一緒にベトナムへ行ったことが自分に報われてくるのではないだろうか。

そうなればいいな。


ホイアンは日本からの観光促進ということで、これから近い将来気軽に行けるリゾート地として必ず発展していくと思います。

人の温かさ、気候や食文化など、これから益々日本とベトナムの友好が深まっていくのではないか、と切に願う次第です。

日本からダナンへの直行便もこれから就航するようになれば便利になります。

その日を楽しみに、また僕はいつかベトナムを訪れたいと思いました。

ベトナムには大きな置き土産を残して来てしまったからね。


今回出会った方々は僕のことを忘れているかもしれません。

でも僕はベトナムを、ホイアンを覚えています。


現地のPAさんが差し出してくれたボトルキャップのおちょこに入ったVODKAの味。

ハノイのフォーのお店で見た女将さんの笑顔。

ホテルの向かいにあった店で出会った少女の無邪気な瞳。

抜けるような真っ青な空と水平線に続く海の青。

爽やかな金色のビールと喉越し。

道路を埋め尽くすようなバイクの数とクラクションの鳴り響く雑踏。

まとわりつくような暑さと日差しの強さ。

ベトナムコーヒー独特の香りと甘み。


全てが素晴らしい体験になりました。

南北に長い、日本列島にも似たベトナム。

悲惨な過去があったにもかかわらず、人々はそれを乗り越えて懸命に生きていて、貧しい生活でもその中にある活気ある人のエネルギーを感じました。



今回、こうしたログを書いたのは、自分の「今」を記録しておきたかったから。

だから読んでいて失礼な言い回しになった文章もあったかもしれません。

でもそれはその時に思った正直な気持ち。

どうかご容赦ください。

いつか読み返した時に、今より成長した自分がこのログを読み返せるように。

その時にまたベトナムを訪れることが出来たらどんなに素晴らしいだろう。

その時にベトナムの景色や人はどんな風に見えるのだろう。

それはまたこれからの楽しみとして残していきたいと思います。


拙い文章、読みにくいログを最後までありがとうございました。

最後まで読んでいただいた方々にも、篤く御礼を申し上げます。

そして今回の旅を通して出会った全ての方々に・・・


スィン カムン(どうもありがとう)。
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ホイアンフェスティバル同行記~第6話

色々あった本番から明けて翌日。

今日は早々からホテルをチェックアウトし、ダナン国際空港からハノイへ向かう。
VIPの方々はホーチミンから帰国の途へ。
出演プログラムを全て終了し、帰国の深夜便までしばしのOFFというわけだ。
ココから先は全員が旅行者になる。
もちろん仕事抜きにしてプライベートではこのような旅行は実現しないのだから、そういう意味では珍しい光景なのである。

昨夜のテンションを半ば強引に回復させ、今日は普段通りに振る舞うことは決めていた。
心の奥底はまだまだ落ち込んでいるが、それはそれ。これはこれ。
せっかくのベトナムをこれから楽しまないと。
家に帰ってからまた落ち込めばいいのさ。
これは自己解決しか出来ない問題なのだから。

送迎のバスが着くなり、元気よく挨拶して回る。
それを昨夜の事情を知る人にとっては不謹慎に見えたかもしれない。
その表情は見て見ぬフリをした。
ベトナムの道路事情は相変わらずなのだが、風景はどことなく日本に似ていて車窓を眺めていると日本を走っているような錯覚さえ起こす。
唯一、走る車線が日本とは逆なだけだ。
しばらくするとダナン国際空港へ到着。
ココで今回ガイドして下さった方々ともお別れとなる。

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ひとつのイベントにはこうした裏方で支える方々が沢山いる。
テレビだろうがコンサートだろうがツアーだろうが、こうした人々の協力なしに成功するものではない。
彼らの仕事はパーフェクトだった。
僕もいろいろ助けられました。
本当にありがとうございました。

ダナン国際空港からハノイのノイバイ空港までは約1時間。
席は窓側を確保し、隣はギターのmachaだった。
その隣にOdikの社長さんでありYuccaさんのマネジメントまでこなす木戸さん。
通路を挟んでYuccaさんだった。
machaがYuccaさんのCDを購入。
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この時実は僕も欲しかったのだが、このタイミングで「僕にも!」と挙手すると、何となくついでの感覚を与えてしまいそうな気がして、この時は切り出せず。
お話しているとYuccaさんのこれまでのいろいろなお話を伺うことが出来た。
中でも、Yuccaさんはパイロットになりたいという夢をお持ちなのだそう。
僕は飛行機に乗る旅行で必ず持っていくフライトログ手帳と空港のチャートをYuccaさんに手渡した。
飛行機話でYuccaさんとは大盛り上がり。
パソコンで出来るフライトシミュレーターの話まで持ち出してしまったのだけど、木戸さんにとっては迷惑な話だったかもしれない。
最初に抱いていたYuccaさんの印象は今回のツアーを通して打ち砕かれて、気さくで純粋で天然であり、そして素晴らしい感性をお持ちの素敵な女性という印象に変わった。
これを機に、歌の声色や歌唱力もさることながらその人柄にすっかり魅了されてしまったのだった。
オペラの歌唱力とロックを融合させたロックオペラ。
その声はサラ・ブライトマンにも抜擢されるほどの実力。
まさかCDを持ってきているとは知らなかったので、もう普通の一般人としてYuccaさんのCDを購入してしまいました。
帰国の深夜便でCDにサインとメッセージまで書いていただき、今回のツアー一番のお土産になったことは言うまでもありません。
昨日の落ち込みはどこへやら?

そんな楽しいひと時を過ごさせてもらいながら、ハノイのノイバイ国際空港へと到着。
ホイアンよりも気温が高い気がする。
これからバスに乗り込み、昼食と市内観光が予定されている。
昼食はハノイ1美味しいフォーのお店へ。
いざ出発!

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って、僕の乗りこむ席がなかった。
同室だった友人とガイドのリンくんと取り残され、タクシーで向かう。
逆にゆったり座れて涼しいタクシーの方が快適だったのだが、それは内緒にしておくべきだろう。

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ガイドブックには出てるのだろうか?
外観だけ写真で。
行きたい人は後は頑張って探して下さい。
というか僕も行き方が分からない。

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こちらはハノイのローカルビール「ビア・ハノイ」である。
少し重めの口当たりですが、苦みとホップの香りのバランスが絶妙で少し酸味があるのは南国特有のテイスト。
こちらもフォーとよく合う。

で、そのハノイ1美味しいフォーがこれ。
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敢えて説明しないので、味は想像してみてください。

お店の女将さん。
何かいい雰囲気の絵だったので、お願いして写真を撮らせてもらった。
笑顔がとっても自然なんですよ。
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入口に掛かっている油絵のことを一生懸命説明してくれた。
ベトナム語で。
僕にはよく分からなかったけど、観光だけで行ったら味わえない体験の連続だったな。

今回のツアーはメンバーやVIP、出演者からスタッフ、ベトナムの人々に至るまで、「人に恵まれた」旅だった気がする。
助け助けられ、話し話され、通じ合うこと。
結局言葉というのは気持ちや意思を伝える手段でしかないこと。
通じ合うのはそれだけじゃなく、人と人が出会うことなんだな。
最後はきちんとチームになってた気がする。

って、僕が言うまでもないだろうけど。
でもそう感じた。

この後も僕と友人とリンくんはタクシーで送迎車の後を追っかけるようにして市内観光。
市場や池のほとりを散策したり。
昨日のバタバタした1日が嘘だったようなツーリストとなった1日だった。

そうそう。
この日、ハノイで記録した瞬間最高気温はどのくらいかというと・・・。

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ちょっとしたインフルエンザの発熱と同じくらい。
ココナツシェイクで体温を下げようとしたけど、無駄に終わるくらいに暑い日になりました。


ようやく夕食となり皆で乾杯。

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出遅れたけど、ようやく一緒に乾杯することが出来たのは嬉しかったな。
人に恵まれ、食にも恵まれた旅でした。

こんなゲストも。
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最後はみんなで記念写真。
再会と再来を祈念して・・・。

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あれれ?
そういえば僕の映った写真が一枚もない・・・。

ホイアンフェスティバル同行記~第5話

もうココから先は思い出すのも書き出すのも嫌になるくらいの経験だった。
PAである以上、音が出ないというのは致命的。
それらチェックを怠ったわけではないが、充分ではなかった僕のミスと言われればそれまで。
現地のPAが悪いというのは簡単だが、こと、チームの出演者のステージにおいては、結局PAスタッフとしてベトナムまで同行した僕に全ての責任がある。
リハでは鳴っていたシンセサウンドが出ない理由。
・シンセ自体に問題がある。
・シンセからダイレクトボックスまでのライン上に問題がある
・ダイレクトボックス自体に問題がある
・ダイレクトボックスからPAコンソールの間に問題がある
・PAコンソールのチャンネル回路に問題がある
・PAコンソールからアンプ、スピーカまでの間に問題がある。
その他もいろいろと考えられるが突発的に起きる物理的諸問題はおおよそハードウエア的な不具合に生じることが多い。
まずシンセ自体は問題がない。
ダイレクトボックスから先の問題なのだが、PAのインプットに信号が流れてきていないのが確認できたので、恐らくダイレクトボックスかそれをつなぐケーブルに問題があるはずだ。

「なんで音が出ないんだよ!」

というAkiさんから檄が飛ぶ。
その声にハッと我に帰り、そして最悪の状況である今に頭の中は完全にパニックになった。
時間だけが刻々と過ぎゆく中で音が出ない。
彼らの目の前には観客がいるというのに、完全なPAのミスで演奏を滞らせているのだ。
責任の大きさが絶壁となって僕の前に立ちはだかったように思えた。
現地のPAの言葉が分からない僕はステージをPAの間を何度も行ったり来たりした。
何か原因があるはずだ。
それを一刻も早く見つけて対応しなければ。
現地のPAはマイペースに作業をする。
PAエンジニアの彼は、「ココに信号が来ていないのだから当然音は出ないよ」と言わんばかりの顔つき。
それを何とかしろよ!
いまさら後悔しても遅い。
どうにもならない。
これは今現実だから。
何も分からず、何も出来ないまま時間が過ぎる。

結局シンセの音無しでGYPSYQUEENの演奏が始まった。
1曲目「cassini」。
何故音が出ないんだ。
未だに分からない。
こんなPAなど失格だ。
全て僕の責任である。
素人同然の何もできない子どもになった。

ふと突然耳にシンセのサウンドが聞こえる。
いつから出てる?
さっき?
今から?
分からない。
とりあえずシンセのインプットゲインを上げて、客席後方へ走りだした。

・・・・・。
確かにシンセが鳴っている。
分からない。
なぜ音が鳴りだしたのかも分からない。
現地のPAスタッフの対応なのか。
自然とトラブルが解決されたのか。
ケーブルの接触ならあり得る話だが、全く理解できない。
心は落ち込んで、すぐにでもこの場から逃げ出したい最悪の気分だった。
ホッとする間もなく、モニタースピーカのチェックに行く。
何とか回線は復活したみたいだ。
そして急いでPA卓へと戻り、ツマミやフェーダーを見まわす。
信号はチャンネルに届いていて、それがスピーカへと送られているのが分かる。
しばし呆然としながら、彼らのステージを見つめる。
音のバランスを取りながら、ギターのソロではフェーダーを上げてライブ感を演出するのだが、この後何が起こるのかさえ予想もつかないのでPA席から離れられない。
とてつもない敗北感と重圧に押しつぶされそうになりながら必死にPA卓にしがみつく。
そんな僕をよそにGYPSYQUEENは精いっぱいのステージを展開している。
そして最後の曲になるギリギリまで僕はPA席を離れられなかった。

最後の曲になると後は現地のPAに任せて、カメラを持って飛びだした。
客席後方からメンバーや全体を連写する。
ファインダーを覗いても気持ちは音のことでいっぱい。
とにかく1ショットのミスを無くすように連写しまくる。
その中で1枚でも良いショットがあればよいのだ。
場所を変えて何枚もシャッターを切った。
上手く撮れたかどうかさえも分からない。
でもシャッターを切らなければ写真は残らない。
無我夢中で駆け抜けたような最後の曲の数分間を何とか終えた。

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そしてこの次はコラボ曲の「Vao Ha!(夏が来た)」という歌をGYPSYQUEENのバック演奏でYuccaさんや時東ぁみさんが再登場して歌う。
演奏が始まり時東ぁみさんが登場する。
その直前、ボーカル用のマイクが充分揃ってないという事態。
これは完全に僕のミスだった。
急遽マイクを出して時東さんに渡す。
現地PAが急いでチャンネルにインプットして音を出すのだが間に合うか・・・。
Yuccaさんに関してはマイクすら揃わなかった。
懸命にマイクを探して手渡そうとしても時すでに遅し。
間もなく演奏が終わる。

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僕も自分の中で何かが終わった。
全てが僕の責任であり、期待を裏切り、勝者になれなかった。
自分の力の無さを悔いた。
悔いたところで仕方なかった。
でも悔いるしかなかった。
他にどうすればいいかわからなかった。
終わってしまったこと。
もう取り返せない。

取り返せない僕のミスなのだ。
まずステージを降りたAkiさんにお詫びを入れに行く。
足取りが重い。
でもやらなきゃいけない。
殴られても文句の言えない失敗と責任を抱えてしまったのだから。

「起こってしまったことはもうどうしようもないよ」

そこには僕以上にいろいろな感情があったことだろう。
出演者は顔なのだから。
それをサポートできなかった僕の力。
笑顔でステージから降ろしてあげられなかった。
僕を怒鳴るわけでもなく淡々と話したAkiさんの背中を見送りながら、僕は自分を呪った。
ライブは消えモノというがそこに一番の難しさがある。
やり直しのきくレコーディングとは違った緊張感の中で、失敗はあり得ないのだ。
パーフェクトが当たり前、これが最初に誓った今回の僕の仕事ではなかったか。
一体僕は何をしていたんだろう。
しのんさんがリハ後に言っていた「上手く行ってる時は何かあるんだよね」
その言葉が何度も何度も頭の中で繰り返された。
それでも自分ばかりが落ち込んでいられない。
立っているだけでもやっとの心境の中で撤収作業といくつかの集合写真やスナップ写真を撮り終えた。
もう逃げたかった。
早くホテルに帰ってひとりになりたかった。
しかしもうひとつやり残したことがある。
時東さんとYuccaさんにもコラボソングのマイクの件を謝罪しなければいけない。
お二人はまだ控室で後片付けをされていた。
頭を下げた僕にお二人は優しくフォローしてくれたが、それが僕にとって少しだけ救われた部分でもあったが本当に申し訳ない気持ちになり、そそくさと控室を後にした。
落ちた、ではなく堕ちた。
プロフェッショナルという仕事中でひとり足を引っ張った僕の仕事。
悔やんでも悔やんでも悔やみきれない。
悔やんだところでどうにもならないし、取り返しがつかないことも分かっている。
でも悔やみ落ち込むしかなかった。

打上げは、朝フォーを食べたお店が閉まっていたので、結局ホテルにあるラウンジですることになった。
打上げなどする気分ではなかったが、かといって欠席するわけにもいかない。
僕のこの今のテンションで場を悪くするのも避けたいところだった。
出演者やVIPが次々と席に着く中、僕もその同じテーブルに着くわけにはいかない。
今回は手伝いとして参加している立場である以上、打上げはツアーの主役たちのものである。
飲物もなく、乾杯を見届けた後ひとり外のテラスのテーブル席に腰かけた。
しばらくすると同室の友人が察知したのか、僕と同じテーブルにやってきた。
外のラウンジなら喫煙も出来るし、静かなので僕にとっては今までのことやこれからのことを考えるのにちょうどよかった。
彼がビールを持って来てくれて、いろいろと他愛ないことを話した。
それが僕の気持ちを一番救ってくれた。
ほんとにありがとう。

ビールをおかわりするころには、作り笑いが出来るくらいまでは復活していた。
まだ帰国するまではツアーが続く。
この気持ちは今夜限りで胸の奥底に仕舞っておくことを決めた。
明日の朝には何もなかったようにしよう。
短い打上げも終わり、店内に荷物を取りに戻る。
先ほどステージの写真を見たい、とカメラごと貸したYuccaさんが
「帰っちゃったのかと思いました。よかった。」
と、心配してくださってた。
ほんとに帰ってたらカメラごと押し付けた形になった彼女にとって迷惑だったろうけど、気に掛けてもらえてたこと、それだけでも嬉しく感じられた。

その後カメラのメモリカードをAkiさんに渡して解散となった。
僕は友人とホテルに戻り、翌日の帰国に向けて荷物をまとめ、まとめ買いした手付かずのビールを飲み直して寝た。
すぐに深い眠りが来た。


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