「それが芸能の置かれてる立ち位置だろ」

 

と言ったのは、ここに登場するのはお久しぶりの友人Aです。

 

友人Aはご存知の通り「BTSはアイドルとしてはすごいかもしれないが、アーティストとして認めない、BTSが取れたらグラミーは終わり」でお馴染みの洋楽に親しみ、アメリカ留学経験ありのあいつです。(ちなみにスポーツも好き)

 

憎たらしいことばかり言いやがりますが、いつも痛いところを突いてくることは確かで、「はぁ?」って言いながらもいつの間にか興味深く話し込んでしまう相手。

 

そんな友人Aが発した先述のセリフはいつ吐いたのかというと、アジア大会のサッカー決勝を観ていた時のこと。

 

決勝のカードは「日本対韓国」

 

日本は国内組で年齢を絞った若手中心のチーム編成。

片や韓国は先日シュチタにも登場した至宝イガンインを擁するガチ編成。

 

なぜ韓国がガチ編成だったのか、そしてこれが単純に日韓戦として盛り上がっただけじゃないのか、の理由はご存知の方も多いと思います。

 

そうです、それは韓国チームには「優勝したら兵役免除」が掛かっていたからです。

 

「なぜ防弾少年団は免除にならないのか」という声はずっとありますし、実際に大衆音楽も含むべきだという議論にもなっていました。

 

防弾少年団が世界中で評価されていることを引き合いに、今回のサッカーで言えば、ワールドカップで優勝、ならわかるけど、アジア地域の大会で優勝で免除、なんか腑におちないよね、っていう声は以前からありましたよね。

 

けれど結果はならなかった。

 

試合を観ながら、そんな話をしていた時に友人Aの口から出たのが冒頭のセリフです。

 

ちなみに私は兵役免除について、彼らが望んでいたと思っていないし、彼らが免除されるべきだとも思ったことがなかったので、友人Aのセリフはとても的を得たものだと感じました。

 

そして続けて、国際的なコンクール(クラシックやバレエなど)での入賞でも免除だと伝えると「芸能と芸術は違うだろ」と言いました。

「芸能とスポーツや芸術を一緒にするのはナンセンス」、こうも言いました。

アジア大会からしばらく経った先の1週間、私は時間さえ許せば東京・有明コロシアムにいたのですが、何を観に行っていたかお分かりになる方はここにどれくらいいらっしゃるのでしょうか。

 

そうです、テニスです。(まだまだ観戦するスポーツとしてはマイナーですよね)

 

そのテニスの国際大会「ジャパンオープン」が開催されていたわけで、ある時は仕事を休んで、ある時は仕事と称して、ある時は仕事終わりに・・・有明に足を運んでいたわけです。

 

なんならコメントのお返事を有明で書いていたりして。

 

毎年の楽しみの1つであるこの大会ですが、今年は非常に歴史的にもきっと大きな、私にとっても非常に印象に残る瞬間を目の当たりにしました。

 

鬱陶しくなりますので割愛しますが、つまりはとんでもない奇跡的な勝利を2度も見せてくれた選手がいたのです。

 

2度とも現場に立ち会い、また1つ時代が変わったかもしれないこの瞬間を味わい、コロシアムが歓声で揺れるような、そんな人々の興奮と歓喜を体験して思ったことは、当たり前に「スポーツは素晴らしい」ってことと、一発で全ての人を黙らせることが出来るんだなーってこと。

 

スポーツは行為そのものに意味があって、それをプレイする人の人間性や思想に関わらずルールの前では平等で、何人もそれを冒すことは許されないし、そのルールに則った結果の勝ち負けが全てである、ということ。

 

テニスがプロスポーツである以上、選手は多くの人に愛されなければならないし、トップ選手になればなるほど子供達のお手本になるべく人間性もついて来なければ応援されない。

 

けれどそれも正直「強さ」のパワーには敵わない。

 

いくら素晴らしいスーパーショットも泥臭く押し込んでも1点は1点で、たった0.01秒の差であっても負けは負け。

 

厳格なルールがあって、その上でのはっきりした勝ち負けがあるのがスポーツで、その勝負の前では、頑張ったからとか、良い人だからとか、かっこいいとか、社会運動をしているからとか、弱者の味方だからとか、人気があるからとか、そういうことは全く勝敗に関与しない。

 

 

私はあの日、無名選手であった小柄な望月慎太郎がたった1人で起こした大きな大きな歓喜の渦の中で、友人Aの言葉を思い出した。


そして気づいたことは、芸能にはルールがないのだ、ということ。

 

美しさや面白さや上手さや強さに規定はなく、ただただ受け取る側がどう思うか。

 

一見勝負に見える事柄も、流動的で、見る人やそこに参加する人によって評価が分かれる。

 

好きか嫌いか、それこそ千差万別で、趣味嗜好によってのみしか判断しない。

 

つまり、答えはない。

ルールがない代わりに、正確な、明確な、確定的な評価もない。

 

何かを評価することに対する自由さがそこにあるのだと思う。

 

だからこそ、人々が気楽に楽しみ、人々が気兼ねなく悦び、人々が癒される。

 

 

彼らの評価基準は「人気」であることは間違いないと思う。

 

けれど、漢字から読んでもわかる通りそれは「気」であって、説明のつかない「ぼんやりした何か」である。

 

サッカーにおいてボールがゴールに入ったら1点で、その1点は誰がどう見ても1点だが、芸能においてはそもそも何をしたらゴールなのかすらなく、仮にファンの心を掴むことがゴールだとしても、同じゴールを観て、それが1点なのか10点なのかは人の心が決める、つまりファン次第。

 

芸能は評価をファンが下す。

スポーツの評価はルールに則ってされる絶対値であって、ファンが下すものじゃない。

 

つまり、サッカーは1点は1点で、それ以上にもそれ以下にもならないが、芸能は100点にも1000点にもなれば、ー100点になることだってある。


そんなことを思う時、昨今の7人が置かれている状況とファンとの関係に想いを馳せてしまう。

 

彼らの活動をルールに則って点数化は出来ない。

 

私にとっては100点でも、他の人にとっては1点かもしれない。

 

同じ彼らの同じ姿を見ていても、同じ歓喜を得ているとは言えないし、同じ安らぎを受けているとは限らない。

 

私の100点が他の人の100点と同じ重さかどうかもわからない。

 

私の「好き」が他の人と同じ好きかどうかも確かめたことがない。

 

正しいことをしても、それが誰かの正しさかどうか誰もわからない。

 


私は望月慎太郎個人のことを何も知らない。

 

彼がコート以外のところで、どんな振る舞いをし、どんな友人がいて、どんなことを学び、どんな思想を持って、どんな活動をしているかを。

 

けれど、彼がするプレイに魅了され、彼の勝利と共に味わったあの昂る気持ちは本物で、純粋なものだった。

 

今、そんな風に彼らを見ている人はどれくらいいるんだろうか。

彼らの人となりではなく、彼らのプレイ(音楽)だけに魅了されている人が。

自分も振り返って、そう思ってしまう。

 

スポーツ選手たちはウイニングショットを決めるその瞬間のために、ゴールテープを切るその瞬間のために、ゴールネットを揺らすその瞬間のために、生活を捧げている。

 

全ては勝つために。

 

では防弾少年団の「勝ち(ゴール)」ってなんなのだろうか。

 

その彼らの「勝ち(ゴール)」は、私たちファンと同じなのだろうか。


そもそも彼らは何かに勝とうとしているのだろうか。


 彼らが今したいことって何だろう。

彼らが今ファンに求めることって何だろう。

 

彼らが欲しいのは、ただただあの場を埋め尽くしていたような混じりっ気のない歓喜と純粋な歓声なのではないかなぁ、と思ったりする。

 

けれど、彼らはスポーツの道を選ばなかった。

もし選んでいても、きっと多くの歓声を浴びる選手になったことだろう。

 

彼らは自分の意思でこの芸能の道を選び、それを続けてここまで来た。

それがルールなどない無差別級の戦いの場であっても、顔も知らない誰かに評価され続ける世界であっても、まだこうしてここに居る。

 

全部全部、彼らが自分で選んだこと。

 

私は私でそんな彼らを好きになり応援することを選んだ。


昨今は特にファンが彼らを評価する声が聞こえやすくなっている。

評価は人気なのだから聞こえなくなったら終わりだけれど、聞こえなくてもいいものも聞こえてしまうし、評価以上のあれこれが聞こえてしまうこともあったりして、聞こえてしまった以上、そこに少なからず心を持って行かれてしまう。

 

芸能にはルールがない、受け手が自由に評価したらいい。

でも、スポーツのようにバチっと勝ち負けがあったらいいのに、と思うこともある。

ファンだけにしかわからないクローズドなルールじゃなくて、国際ルールがあったらいいのに、って思ったりもする。

 

ファンからの評価が辛いのではないか?と彼らを思うと胸が痛む。

 

スタンドで望月慎太郎を取り巻く報道陣と未だ興奮冷めやらない観客たちを観ながら、そんなことをグルグルと巡らせる。


結局今、どんな状況であってもお互いにその選択をしている自分を信じて、自分を尊重するしかないんだよなぁ、と思いながら最後のビールを飲み干し、会場を後にしたのでした。

アジア大会決勝の日、実は、友人Aの冒頭のセリフにはつづきがあって。

 

「だからこそ芸能はどんな人にも見ることが出来て、どんな人でも楽しめるものなんだろ。スポーツなんてもんは上流階級の嗜みだったわけで、芸能のように庶民の生活に寄り添ったもんじゃないんだから。」

 

「芸能がスポーツのようになる必要なんて全然ないだろ。きっと胸を張ってるよ、あいつらも。それをファンがわかってねーだけだろ。」

 

 

ね?友人Aってムカつくけど時々ハッとするようなこと言いよるんですよ。

 

彼らは胸張ってるよね、本当に。

 

私も胸を張ろう。

自分自身に。