ナムジュンがスイス、フランスの旅を終え、テヒョンがパリへ旅立ち、ジョングクは早々にコラボ曲を発表し、よく考えたらあの会食の収録日からはすでに1ヶ月が経っているというのに、未だこんなことを書いている私もマジで頭おかしいことは自覚しています。

 

防弾会食についての想いについて長々書いてきましたが、きっとこれが最後です。

最後は今の私の心の有り様を素直に書きたいと思います。

 

今回だけでなく今までもずっとそうでしたが、本当に素直に書くので「は?何言ってんだ、こいつ?」的感情をお持ちになるかもしれませんが、あくまで私の胸の内ですのでご理解いただきたく、あ、いやご理解はいただかなくても良いのですが、あらかじめご承知おきくださったら幸いです。

 

 

 

思えば、私はずっと彼らのことを心配ばかりしていて、過去のブログを読んでみると何度となく同じようなことばかり書いてきた。

 

それと同時に彼らの活動について、方向性について、考えさせられることが多かったし、特にButter以降ここ数年は何でもかんでも彼らのすることだから良い、とはいかず、ファンとしての葛藤を繰り返していたことは読んでくださっていた方はよくご存知だと思う。

 

私が受け入れられないこと、それが彼らを心配する要因であったということは間違いない。

 

だからって私が彼らの気持ちをわかったわけなんかじゃなく、私のような末端のファンが見てもわかるくらい「誰が見てもおかしかった」っていうこと。

 

彼らをわかったように書いていると思われたら何をどう書いても伝わらないのだろうけれど、私は「わかった」からじゃなくて「わからない」から書いている。

 

本当に長いだけでどうでもいいクソつまんないブログだと自覚しているし、だから「彼らのため」に書いたことなど1回もないし、これからもないし、私が彼らのためにできることなんてあるわけがなく、そんな烏滸がましいことは思ったこともない。

逆に言えば、私のブログで彼らを傷つけようなんて思っているわけがないし、傷つけているとも思っていないくらいの小さなプライドくらいは持っている。

 

全ては「自分のため」であって、他の誰かのためじゃない。

じゃ、なぜこんなことをしているのかと言うと、言葉が好きで、言葉の持つ力を信じているから。

 

言葉にすることによって自分を知ることができるから。

 

だから他の誰かの意見を変えられるほどの影響力があるとも思っていない。

共感してくださったり、考える時間を持ってくれる方はいたとしても。

 

考えれば必ず自分の意見や感情に辿り着く。

それは他者の意見に影響されたのとは全く違う。

それはきっかけを他者から得ただけのことだから。

 

それこそが学びであって成長なのであって、それはその人の財産になる。

私は幾つになっても学びたいし成長したい。

そのためには広く様々な人の意見が聞きたいし、同じように聞きたいと思う人の一助になれたらいいと思っている。

 

誰かの言葉はきっと自分の学びに繋がるから。

たとえそれが自分とは真逆のものでも。

 

だから他の人がどう思おうと、私は言葉にこだわってしまう。

 

だからどうしてもナムジュンの言葉には大きく心が反応してしまうのかもしれない。

言葉を大切にしている人だから。

それが彼の「生きる意味」に繋がるから。

 

どんなに隠そうとしても、自身の心は漏れ出てしまうものだと思う。

同じことを伝えるにしても、どんな言葉を選ぶのか、どんな表情で、どんな声色で、どんな言い回しをするのか、そこに意味は大きくあると思っているから。

 

 

彼らの言葉通りに受け取った方が良い、のはその通りだと思う。

ナムジュンも「1は1のままで」と言っているし、私だってそうしたい。

 

でも彼らはどう受け取って欲しかったのか。

 

私の受け取り方は間違っているのだろうか。

そのまま受け取れる人はあの言葉たちをどうやって消化しているのか、教えて欲しい。

 

そもそも私は何が1なのかよくわからない。

 

何が言えないのか、本当に言いたかったことはなんなのか。

 

言いたいことが言えない、すべてを共有することなど無理だと口にしながら、1は1のままで受け取れ、だなんてそんなの勝手じゃん、って思う。

 

私だってあの会食を見て、ポジティブなソロ活動への移行と活動休止だと受け止められるファンでいたかった。

 

無理だよ、そんなの。

 

だから彼らの言葉の裏には彼らの計り知れぬ苦しさがあって、言いたいけれど言えない事情があるのではないか?と寄り添わない限り、受け止めきれない。
 

正直言ってまだその渦中にいる。

 

今までよりも全体の仕事のペースは落として休みを取りつつ、ソロ活動を中心にシフトしていくよ、よろしくね!

 

で済んだ話なのに、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。

彼らの「会いたい」「すぐに会いに行くよ」は嘘じゃなかったと、あの時はそのつもりだったんだよ、と、それすらも言えないことだったのか。

 

もっと良いやり方あっただろうよーー!ってずっと思ってる。

 

ここまでひとりひとりの発言や様子を見てきて、私なりに思うことを書いてきてみれば、ファンをガッカリさせるかもしれなくても選ばざるを得なかったことは理解できる。

それほどまでに苦しかったのだろうと思う。

 

もうこれ以上ファンに嘘をつきたくないという感情になって、それを告白してくれたのだろうと思うし、それは嬉しい気持ちでもあるのだが、過去の言動が、少なくともここ数年の言動が、もちろん全てではないけれど偽りと苦しみの姿であったことの衝撃からまだ立ち直れないでいる。

 

あの彼らを見て、すぐに前向きにソロへの期待を口に出来るファンが本当に羨ましい。

こんなことを書いていると「早くペン卒しろよ」と言われるだろうなぁ。(読みながら思っている方、いらっしゃると思います)

 

 

テヒョンがパクボゴムとリサと一緒にパリへ飛び立った。

よく考えたらこんなことすら今まではなかった。

ヨジャと同乗、なんて許されなかったと思うから。

 

個人的に固定ブランドのショーに呼ばれるなんてこともなかったわけで、それだけでもこのソロ宣言には意味があるのだろうと思う。

 

私がこんな風に思っている間にも、ナムジュンは相変わらず素敵な写真と意外な行動力をインスタで見せてくれて、ジンも変わらずイケ散らかした姿をみせてくれるし、ユンギは相変わらず忙しくスケジュールをこなしているのだろうし、ホソクは相変わらずメンバー思いで、ジミンはむしろSNSに浮上してくれるようになって、テヒョンは相変わらず可愛くてカッコイイし、ジョングクも相変わらず綺麗な子鹿の目のままだ。

 

何も変わっていないし、むしろ仕事の幅が拡がるのに、良かったね!とは思っても心は晴れず、サラッとしかコンテンツを消化できていない。

 

最後の音楽番組はちゃんと観れていない。

Yet To Comeも聞く気にならないし、For Youthにおいては歌詞がキツすぎて無理。

 

FESTAが終わったというのに、なぜかFESTAっぽいコンテンツを上げてくるやり方にもついていけず、それを見ても「あぁ、この時はすでに・・・」っていう思いが邪魔をする。

 

 

FESTAは、6月13日は、1年に一度の大切な日だった。

この日、私たちはお互いに感謝し、お互いを労う日だったように思う。

 

またこの日をみんなで迎えられたこと、それはお互いの努力があってのこと。

メンバーはいつもアミも頑張ったよね、って言ってくれた。

 

私たちもこの日を待ち望んでいたし、彼らへの感謝の気持ちをいつにも増して感じるし、彼らもまたどんなに忙しくてもたった1日のためだけにしていることとは思えないくらい準備をして、この日をまた一緒にお祝い出来ることを喜んでいてくれていたと思う。

 

そしてまた、メンバー同士の絆を確かめ合う日でもあったはずだ。

 

特別な日だった。

 

でも私にとっては今年は違った。

 

彼らの絆が離れてしまいそうな危機であったことを告白されたのだ。

 

このままでは壊れてしまうかもしれない、そしてその理由のひとつにあなたたちの存在がある、という現実を突きつけられた日になった。

 

あれだけアミのことを思う言葉を口にしていても、結局はファンの期待が彼らを苦しめていた事実は変わらない。

 

直接言葉にしなくても、あの会食での姿を見て、そう感じなかった人はいるのかな。

 

ナムジュンが「休みたいと言うことすら罪悪感を感じる」と言ったけれど、そう感じさせるのは誰なのか?

誰に対して感じている罪悪感?

 

ファンの存在でしかない。

 

確かに直接的に「アミのせいで辛かった」とは言っていない、でもその罪悪感は誰に対して?と問えば答えは「アミに対して」でしかないことは誰でもわかる。

 

これも言わなかったという事実「1」だけ信じろと?

 

一部の過激アミたちの言動はあえて触れるまでもなく酷いものだ。

でもここでいう相手はそれじゃないと思う。

その人たちのことならば罪悪感など感じないだろうと思うから。

 

 

彼らが目指していたと思っていたものへ押し上げようとしてきたことが、彼らの目指していたものではなかった、という事実どころか、彼らのために、と思ってしてきたことが彼らの苦しみの元になっていたという事実を、彼らの口から聞かされた思いだ。
 

 

一緒に同じ夢を見ていた、いや、同じ夢を見ようとしていた。

もういいんじゃない?とは思っても、行かないで欲しい、と思っても、高いところへ上ろうとしている彼らを応援していた。

 

それが辛かったであろうことは想像がついていた。

だって高過ぎたもの。

自分たちの手元からはとっくに離れた活動が続いていたから。


想像がついてはいたから、だから理解してあげたい。

彼らの気持ちを、彼らの辛さを。

そしてその中の彼らの未来への希望を。

 

彼らが心配だし、彼らの決断を尊重したい。

 

いや、理解はしてるし、尊重もしてる。

 

でも今はまだ無理だ。

頭ではわかっていても、心が追いついていかない。

 

あのナムジュンから言葉が出なくなったくらいなのだから如何程か。

あの日だって本当ならもっと上手く話せただろう。

 

でも、だからこそ出てしまった本音だったような気もして、私にとってはキラキラした思い出が、彼らの「辛かった」と言う言葉で上塗りされていくのがしんどい。

 

いや、わかってる。
彼らの問題じゃない。

彼らの決断はナムジュンが言うように、現在における最適解なのは間違いない。

 

でも心は、正解とか間違いとかそんなのとは関係なく機能しなくなる時がある。

 

それはつまりは私の問題なのだ。


 

あぁ、そうだった。

すべての物ごとは、受け取る側に委ねられている。

 

同じ事実を知って、楽しむのも、悲しむのも、怒るのも、嘆くのも、私次第。


私が勝手に彼らのファンになって、勝手に彼らと多くの時間を過ごしたような気になって、私の中に勝手な「信じるもの」が出来上がっていただけなのだ。

 

そして今私は、私の中の信じていたものが失われそうな恐怖と闘っている。

つまりは自問自答していただけなのだ。

 

だって。

不思議にここまで落ち込んでいても、ショックを受けていても、

彼らを嫌いになんてなっていない。

彼らには彼らであって欲しい。

彼らには好きなように生きていって欲しい。

何をしていても彼らのことを応援してる。

 

 

ここまで長々書いてきて、やっとわかったことは2つ。

 

全ては私の問題だということ。

彼らへの気持ちは変わっていないということ。

 



防弾少年団と私の関係も距離感も何ひとつ変わっていない。

もともと遠い存在で、近くもなっていなければそれ以上離れてもいない。

ある程度覚悟していたし、理解していたはずなのに、それなのにほんのあの彼らの言動でこんなにも乱されている自分に驚いている。


そうか。

ショックを受けている自分にもショックだったんだな、私。


だから、 もうしばらくは、活躍するであろう彼らの姿を見ながら、彼らへの想いを確かめ整理していく時間が必要かな、と思う。

 

 

(釜山でコンサートね・・・。複雑だよね。)