韓国でトレンド入りしている「不適格少年団」。

 

PROOFに収録される新曲「달려라 방탄」が放送局のコードに引っかかったと。

 

面白いですね。

これ、何が面白いと思うかって、これってネガティブなタグじゃなくて、大きな期待を込めたタグだってこと。

 

この不適格、ってどんなことを指すのかというと、悪口とか低俗な表現が使われた歌詞、ってところで引っかかってる。

 

とはいえ「Born Singer」ですら引っかかってるから、それほどのものじゃないとは思うし、あの曲名でそんなに暴力的な表現とかないだろうから、何かの言い回しや使っている単語でNGが掛かったってことでしょうね。

 

でも、こうして不適格が出たことで、逆に期待が高まるっていう見方が多い、ってのは、それだけここ数年の明るく楽しくみんなに受け入れられる曲、ではなく表現強めの刺激のある曲が求められているってことじゃないでしょうか。

 

人の感情は現金なもので、いくら好きでもあまりに大きいものになるとなぜか違う方へと気持ちが行ってしまいます。

だから単純に次はちょっと違う感じのものが聞きたい、ってだけかもしれないけれど、私はなんやかんや言ってもBTSに求めているものはそっちのファンも多いのだろうなぁ、と思います。(好みの問題だけど)

 

 

私的には「For Youth」が「冒頭の30秒に入った公演会場の音声の歌詞がついてない」ということで保留になったのも興味深い。

 

ということは、はっきりと聞こえる歌詞があるってことで、それはコンサートでのアミの声だと勝手に想像してるし、その曲は「Young Forever」なんじゃない?って思ってる。

 

みなさんはどの曲を想像しましたか?

 

 

 

さて。

「Yet To Come」のTeaserが公開になりましたね〜。

 

年々Teaserが短くなって、ほとんど楽曲は聴かせてくれなくなっていますよね〜。

(IDOLとかめちゃめちゃ聴かせてくれてたのにな〜。あの時の興奮たるや)

 

その分メンバー個人のVになっていて、この曲はコンセプトが大事なんだね、って感じがします。

たくさんのアミが考察してくれていますのでここでは紹介しませんが、花様年華とのリンクがハッキリと。

 

そして

 

砂漠なのに波の音

 

が印象的ですね。

 

砂漠と海

海と砂漠

 

かつて、彼らは「海だと思っていたらそこは砂漠だった」とデビュー当時のことを振り返ってそう表現しています。

 

そして砂漠を海にしてくれたのはアミだ、と。

 

その海がパンデミックにより、アミに会うことが叶わなくなって、また砂漠に戻ってしまったように感じていたのではないかと思います。

 

 

 

砂漠を海にできるのは私たちだけ。

 

だと自負するくらいには、彼らのことが大好きです。

 

この先はまだ何が起こるかわかりませんが、こうしてまた会えるようになってきた今、「PROOF」で彼らと私たちの歩んできた時間を振り返ると共に、もう一度砂漠が海になっていく歓びを彼らに思う存分感じてもらえたら嬉しいし、その海を構成するカケラになれることの歓びを私も思う存分味わい尽くしたいと思います。

 

彼らの望む海かどうかはわからないけれど、精一杯彼らに海を見せてあげたいです。

 

私たち日本のアミが作る海の先にはアメリカがあって、彼らの目的地はそこかもしれない。

ちょっと寂しいけど海は繋がっているから、喜んで私たちの潮に乗せて、対馬海流から津軽海峡を通って暖かい黒潮で太平洋の大海原へ送り出しましょう。(え?なんの話?)

 

その潮に乗ったからか(いや、そんなものはない)我らの希望がシカゴで行われるフェス「Lolla Palooza」のヘッドライナーとして単独出演が発表されましたね。

 

このフェスの全体のデザイン仕様がカラフルでポップでまるでJ-HOPEのためみたいに見えるくらい。

こんなにピッタリな人、他にいないだろうなぁ。

 

でも、1人で持ち時間1時間ですよ、いや〜、緊張するだろうなぁ、でもすごいなぁ、それにTeaser(っていうのか?あの煽り動画)がめちゃめちゃカッコ良くて、今からワクワクしますよね。

 

いいなぁ〜、フェスとホビなんて最高の組み合わせじゃん。
日本にもたくさんフェスはあるけれど、きっとこんな形で来てくれることなんてないだろうなぁ。

悔しいけれど、これが現実なんですよね。(悲)

 

日本はATMだと言われて久しいですし、JPFCの「PROOF」でも後出しラキドロの件で、これはちょっと・・・ってなってるし、イルデ記念日には相変わらずだしで、私と違ってちゃんと出たものは黙って全部購入の模範アミ(ジミンペンの例の友人ね)はだいぶメンタルやられてます。(ジミンが浮上しないってのも大きいが)

 

今までだってイルデ記念日にはFCにメッセージがあっただけで、メンバーからは特に何もない、ってのは当たり前だったし、畳み掛けるようなグッズ、いつ届くかわからないし、まぁまぁ不良品があったりは前と大して変わっていない。

 

なぜ友人がそんなメンタルになっているかというと、やっぱりコンサートがないって事が大きいんだろうなぁ、っていう結論に至って。

やっぱりコンサートがあったから頑張れていたんだなぁ、って。

その上、かつてはサイン会や握手会まであったわけで。

 

グッズに興味がない私を今まで「グッズ買わないとか信じられない。このエセアミが!」と罵っていた友人がはじめて「そっちのスタンスの方がダメージが少なくて羨ましい」と言っていて。


年に1回か2回か、良くて3回会えるだけで、いや1回でも会えるだけでチャージ出来ていたのだなぁ、と。

 

あの時は気がつかなかった。

当たり前だったから。

 

この2年間も確かにコンサートはあった。

でも私たちはよっぽどの覚悟と時間とお金がなければ現地に会いに行く事は叶わなかった。

 

確かにこのパンデミックでの恩恵としてオンラインコンサートがあって、それは絶対に行く事が出来ない会場のコンサートをオンタイムで観れるという夢のようなシステムだけれど、友人と私の見解はこう。

 

オンラインコンサートはグッズと同じ。

 

ありがたいんです、ありがたいんだけど、そんな気持ちなんですよね。

 

オフラインコンサートなんて言葉がなかった時には気が付かなかったけれど、どれだけ遠いスタンド席で彼らの姿が豆粒でも、現場の空気が与えるパワーはオンラインのドアップにも勝るのだと思う。

 

「ATMでも全然いい」

 

と言っていた友人が揺らいでいる。

これに関して私は何も言ってあげられない。

 

だってそう思ったことがないから。

 

友人のように迷う事なくお金を払うファンが偉いに決まっているが(だってそのために彼らは働いているから)、でも推しを愛することはそれだけではないこともまた思うことで。

 

友人とは推しを前にしての考え方が本当に何もかもが逆で。

 

推しも違えばファンとしてのスタンスも違う。

だから話していると面白いし、「はぁ??」ってことも多いけれど逆に仲良くやれているのかもしれない。

 

でもコンサートは私たちの生きる糧、ってことだけは共通している認識で。

 

早く会いたいなぁ。

会えるのかなぁ。

 

 

ホビが7月末にはシカゴってことを考えると、そのあたりでアメリカツアーかなぁ、とか、じゃ日本はどう?ってなるし、この前のインタビューでMOSツアーの予定地だった都市の話の時に、日本はひとつも言ってくれなかったなぁ、とか思い出しちゃったりして、悲しくなったり。

 

こういう時に日本を出さない、ってのには慣れてる。

慣れてるんだけど、メンタルが若干落ちてるとたまに流せなくて、悲しくなったりするんですよねぇ。

なので、友人に話して思い出させて一緒に悲しみに引き摺り込んでやりました。(そして怒られる)

 

 

 

たくさんの供給でネタはたくさんあるのに、いつものようにダラダラとどうでも良いことを書いてきてしまいましたが、梅雨入り前ギリギリの1番良い季節の我が家の狭いベランダでチャミスルを飲みながら、夜空を見上げ、友人が言った一言をここに置いて今日は終わりにします。

 

 

「織姫は良いよね〜、絶対に年一は推しに会えるって約束されてるんだもん。しかもサシで。恵まれてるよね〜。」

 

 

たしかに。(彦星のことを推しって呼ぶ人は他にいないと思うが)

 

 

アミ名言にインジョン(認定)しましょか。(アミ名言ってなに?)