FESTAのど真ん中だけど、今日は韓国の祝日だからか供給なしだし、この間の【Butterは黄色人種の象徴か】の続きを書きたい。
先に断っておくけれど、長くなってしまうことはお許しいただきたい😅。ごめんなさい。
発表日の記者会見でナムジュンが「ニューノーマルを迎え、今後どういった価値観を追うべきなのかについて責任は重いが、Butterで自分たちなりの答えを出した」と言った。
どんな答えなのか。
Butterはグラミーを見据えたアメリカ戦略の上で選ばれた曲なのは間違いない。
そしてMVもコンセプトフォトやteaserなどButterにまつわる全てのコンテンツの中にその答えを紛れ込ませているのも間違いない。
MVを見ると印象的なのはポップアートの手法を取り入れているところ。
同じデザインが整然と並んでいるセット。飾ってある絵画もそうだ。
ポップアートとは非日常である芸術を大衆化させた、気軽で身近なものもアートとして表現するところから始まった。
それはすなわち芸術はこうあるべきという概念を壊し、アートの解放を表現したもの。
グラミー賞は今まで新しい音楽にはほとんど与えられて来なかった事実がある。
伝統的な芸術とポップアート、グラミーとポップス、この相対関係は似ているような気がする。
今回、この手法を取り入れた背景には、グラミーという音楽業界の古い概念を壊すべく、より日常的で身近なバターを題材に誰もが楽しめる大衆音楽で勝負に行くという決意の表れではないか。
そしてよりはっきりしているのは、ジェンダーレスを意識しているということ。
コンセプトフォトではレーシーな衣装を着て、化粧をし、アクセサリーをしている。
Rolling Stoneのインタビューでナムジュンが、「男性らしさのレッテルや男だからというような制約を受けるべき時代じゃない」と言っている。
元々BTSはレディースの服を着ることも普通にしていたからことさら特別なことじゃないんだけれど、こうして影響力が増した今、この注目が高まるカムバのプロモーションでこれを持ってきたのは大きなこと。
Teaserが出てQueenのトリビュートではないか?と話題になった時、これはとんでもない勝負に来たな、と勝手に思っていた。
それより少し前に、タリョラでテヒョンを「フレディマーキュリーみたいだ!」とナムジュンが言ったことはスポだったのか!と1人喜んでいたのだが。
フレディマーキュリーが自身のセクシャリティについて苦しんでいたことは周知の事実で。
それをトリビュートして、フェミニンな衣装や装飾をし、黄色人種の象徴であるイエローをコンセプトカラーにして、人種差別撲滅のメッセージを携え、グラミーに殴り込む。すごいことだよ、これは。
結局は、Queenのトリビュートではなかったんだけれど😅。
とはいえ。
どこが「大袈裟なメッセージはない」んだ?
こうなってくると、ジミンのレインボーカラー(LGBTQの象徴)のヘアも、Vライブでジョングクが半袖を着てタトゥを堂々と見せていたことも同じ理論が成り立つ。
ファッションもタトゥやメイクもセクシャリティも国籍や人種も生き方もそして芸術や音楽も、全ての境界線を無くしていく、それぞれが自分らしく生きる為のボーダーレスな社会を目指そうというメッセージにしか見えない。
でも敢えてそれを声高にアピールすることなく、ことさら意味づけをせず「ただ何も考えず楽しむ曲」として歌詞の通り、「滑らかなバターのごとく」人々の心にこの概念を染み込ませようとしているのかもしれない。
韓国の若者が誰しも抱く怒りや葛藤に塗れた時代を過ぎ、もっとも輝く青春時代を経て、大きく羽ばたく過程で自身のペルソナに苦しみながらも、マインドフルネスを使い自分自身を愛することの重要性を知った彼らが、コロナによって疲弊し閉塞した世界を音楽で救った。
でも彼らのステージはもうその先にあるんだなぁ、と思わずにはいられなくて。
どこまでが彼らの意思なのか?については花様年華の頃からずっと疑問だった。
MVに秘められた複雑な背景、続くストーリー。ギリシャ神話ともエジプト神話とも考察されていてとにかく複雑。
マジックショップもユングの理論も、到底常人には理解するのが難しい。
私もわからない、全然。
なぜこんなことをするんだろう、って思っていて。
これは彼らのために、彼らの成長と、彼らの助けになるためにしてきたことなんだと私としては結論付けている。
MVの背景についてはよくわからないけど、音楽制作の思想の柱にマインドフルネスやLove your selfやU理論を持ってくるのは、それを彼らに表現させることで、彼らの意識を変え、それはとりもなおさず、魑魅魍魎の芸能の世界で彼らを守る為のものだったと理解している。
意味なんてわからなくても、言われたままに演じ、言われたままに歌いパフォーマンスをすることでじわじわと身体に染み付いていく。
わぁ、自分で書いておいて驚いた。ここでButterのコンセプトに繋がった。
意味なんてわからなくても、Butterを聞き一緒に歌い踊ることで世界中にじわじわと染み付いていく。
男性がフェミニンな格好をしてメイクをしてテレビで歌っていても、グラビアを飾っても違和感を感じなくなってきていることだろう。
欧米のメディアでアジア人がトップスターとして扱われていることにも拒否感がなくなってきていることだろう。
これが、じわじわ染み込んでいく、ってこと。
人々の凝り固まった理念や概念を覆す為には必要なプロセス。
メンバーのためにしていた期間が終わって、これからは世界中の人々へと向きが変わったと感じる。
メンバーの中でその本質を理解しているのはジンとナムジュンだけなのかなぁ、ユンギはどうかなぁって感じがする。
寂しいと思うのは、こうして彼らの言動全てに意味を求められるようになってしまうと、自由な発言がしにくくなることだ。
記者会見でもライトな質問には全員答えるが、楽曲制作や難しい質問になるともうナムジュンとユンギしか答えない。
一言一言の重みが、責任感が大きくなって簡単には答えられないのだろう。
ナムジュンも言葉を選びに選んでいるのがわかる。
立て続けにメディア対応が重なって、毎日のようにインタビューが見れるが、今回はほとんどが韓国以外の国。
それだけ欧米からの注目が高いのだろう。
露出の順番は必ずしも撮影順ではないのであれだけれど、ナムジュンが疲れているのが目につく。
そりゃピリピリするよね、って思って心配になる。
正直に言って、当たり前のようにビルボード100の1位になって、こんな風に注目されるようになったBTSをあまりに大きくなって遠い存在に感じることがある。
もっと何も考えずに一緒にただただ大好きでただただ楽しんでいた頃が懐かしいと思うこともある。
でも、ずっと同じでなんていられない。
前の記事にも書いたけれど、彼らが今も現在進行形で、もがき悩みながらも私たちに自分たちを見せてくれている事は変わっていない。
「Butterが今のベストの答え」と言うのは本当のことなんだと思う。
どんなことをしても、必ず賛否はある。
でもこの賛否の論争を起こすこと、が世の中を変える第一段階には大切なこと。
彼らは本当に世界を変えるかもしれない。
でも彼らの奏でる音楽と思想とは切り離して考えなければならない。
ここまで、浮かんでくるさまざまな想いや疑念やそれに対する自分なりの答えをこうして書き起こしては来たけれど、彼らの言うように頭を空っぽにしてButterのビートに思うままに身を委ねて、BTSの音楽にどっぷり浸かることの方が大事だ。
それが彼らの望んでいることなのだから。